他人の人生の整理ばかりして、自分はどうなんだろう

他人の人生の整理ばかりして、自分はどうなんだろう

他人の人生を整える毎日、その先にある虚無感

司法書士という仕事は、他人の人生の節目に関わることが多い。相続や登記、離婚や贈与……それぞれにドラマがあって、誰かの人生が「変わる」瞬間に立ち会っている。けれど、そんな日々の中でふと立ち止まると、「自分の人生は、どこに向かっているのか」と疑問が湧いてくる。毎日まじめに仕事をして、誰かの整理を手伝っているのに、自分の心の中は、どんどん散らかっていくような感覚になる。

書類は片付くけど、心は散らかったまま

今日も机の上には申請書や登記識別情報が山のように積まれている。ひとつひとつきちんとチェックして、期日に遅れないように提出する。その繰り返し。物理的には片付いていく。でも、自分の頭や心の中は整っていかない。頭では「やらなきゃ」と思っていても、気持ちのどこかで虚しさがつきまとってくる。書類を処理するスピードだけが上がって、心が置き去りになっている感じがする。

登記簿を見ながら感じる「他人の節目」

登記簿を見ると、その家にどんな歴史があったのかが見えてくる。所有者の名義が変わるたびに、人生の節目がそこに刻まれている。でも、自分の節目はなんだったのか。30代はあっという間に過ぎた。40代になって、仕事に追われる日々の中で、自分の変化なんてほとんどない。気づけば、同じような毎日を繰り返しているだけだった。

自分の節目は、いつだったのか思い出せない

最後に心から嬉しかったことはいつだったか。記憶をたどっても、何か大きな出来事が思い浮かばない。親の介護の手続をしたとき、役所でも淡々と手続きをこなしていた。あのとき、もっと感情が動いてもよかったはずなのに、仕事の延長のような感覚で処理してしまった。そうやって、自分の節目すら「仕事」にすり替えてきたのかもしれない。

「ありがとう」と言われても、埋まらない空白

依頼者から「助かりました」「本当にありがとうございます」と言われることはある。それはありがたいことだし、この仕事のやりがいでもある。でも、最近ではその「ありがとう」が自分の心に響かなくなってきた。むしろ、何かを誤魔化すような空白が広がる感じすらある。「自分は何をしているんだろう」と、自問してしまう。

感謝されることがむしろ苦しくなる時がある

以前、ある相続手続きの依頼で、親を亡くしたばかりのご家族に対応した。とても丁寧な感謝の言葉をもらったのに、心が重くなった。自分には、あんなふうに誰かに見送ってもらえる日が来るのだろうか。感謝されるほど、自分の孤独が浮き彫りになるような気がした。そんなふうに感じてしまう自分に、また自己嫌悪してしまう。

誰かの支えになりたい気持ちと、自分を置き去りにする癖

人の役に立ちたい、そう思って司法書士になった。でも、気づけば他人のためにばかり動いて、自分自身のことを後回しにしている。体調が悪くても無理をして出勤する。休日も電話があれば出る。そういう「責任感」が、いつしか「自己犠牲」にすり替わっていた。でもそれを誰かに指摘されると、思わず「いや、大丈夫です」と笑ってしまう。癖になっているのだ。

独身という現実と、静かな夜の重さ

45歳、独身。結婚のチャンスがなかったわけではない。でも、仕事を優先してきた結果、気づけばひとりだった。忙しさにかまけて、恋愛も後回し。女性にはモテない。気づけば、「寂しい」とすら感じないくらいに、感情を閉じてしまっている自分がいた。

事務所の灯りが消えたあとにやってくるもの

夜、事務所を閉めて、誰もいない家に帰る。コンビニ弁当を温めながら、テレビをつけて音だけで空気を満たす。誰にも話しかけられない静けさが、時に重くのしかかる。「これでいいのか」と考える夜もある。でも次の日も、また仕事が待っている。それに向かうことで、考える時間を消してしまっている。

誰にも話さないまま、心に積もっていくこと

心に引っかかっていることはある。例えば、昔付き合っていた人のこと。友人が次々と家庭を持っていくことへの焦り。でも、誰にも話さない。話したところで、変わるわけでもないし、恥ずかしいという気持ちが勝ってしまう。そして、黙って仕事に没頭する。積もった感情は吐き出されることもなく、どんどん奥に押し込まれていく。

自分の人生も、少しずつ整理していけたら

最近、ふと思った。誰かの人生の整理ばかりして、自分は何を残せるんだろう。時間は有限で、あっという間に過ぎていく。完璧でなくていい。途中でもいい。自分のことも、少しずつ整理していこう。そう思えたのは、この仕事を続けてきたからかもしれない。

完璧じゃなくていい、途中でもいい

他人には「焦らずに、できるところからやっていきましょう」と声をかけるくせに、自分にはいつも「ちゃんとやれ」と言っていた。自分にだけ厳しかった。でもそれでは潰れてしまう。人生も、仕事も、完璧じゃなくていい。少しずつでも前に進めば、それで十分なんだと思うようになった。

司法書士という肩書の前に、「ひとりの人間」として

司法書士という肩書は、自分にとって誇りでもあり、鎧でもある。その鎧の中で、本音や弱さを隠してきた。でも、本当はただの人間で、迷いもあるし、孤独もある。それを認めることが、次に進む一歩になるんじゃないかと、今は思っている。だからこの文章を書いた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。