いつからこんな毎日になったのか
朝、目が覚めても誰にも「おはよう」と言わない。誰からも言われない。テレビをつけるとサザエさんの再放送。波平の「バカモン!」が妙に染みる。彼には家族がいる。こっちは枕元の目覚まし時計が唯一の話し相手だ。
朝の静けさが身にしみる
味噌汁の湯気が立ちのぼる音だけがキッチンに響く。猫でもいればまだ違ったかもしれない。独身司法書士、シンドウ45歳。テレビもスマホも朝から声をかけてはくれない。
会話のない仕事と生活
電話もメールも無機質
事務所に着けば、メールの山と電話応対。でもそこに“会話”なんてない。全部、業務連絡と確認事項の連続だ。ハンコと書類の海を泳いで、気づけばもう夕方。
声を出さない時間が怖くなる
ふと、今日まだ自分の声を聞いていないことに気づく。サトウさんが休みの日は特にそうだ。誰かと話した記憶がない。独り言をつぶやこうとして、喉が乾いていることに驚いた。
司法書士という仕事の孤独
人と会うのに人と話さない職業
登記、相続、会社設立。人の人生の節目に関わるくせに、こちらはその裏方。会話は最小限で、信頼は正確な処理にしか宿らない。
クライアントとの関係は一方通行
感情よりも正確さが求められる
「ありがとう」より「間違ってないですよね?」が先に来る世界。慣れているけど、たまには人間らしい会話が欲しくなる。
感謝よりもミスの指摘が先に来る
完璧にやって当たり前。ミスは即クレーム。誤字一つが命取り。気がつけば、書類の山の中に自分の感情も埋もれていく。
サトウさんの不在がもたらす静寂
頭の中の独り言が増えていく
「これは登記識別情報付き…」「あ、これは添付書類…」とつぶやく。誰も聞いていないのに。聞かれても困るけど。
返事のない空間に言葉が吸い込まれる
サトウさんがいれば「これコピーしておきますね」と返してくれる一言がある。でも今日は違う。事務所に響くのはプリンターのガタゴト音のみ。
コンビニの自動ドアが開く音に救われる
「温めますか?」は魔法の言葉
名前も知らない店員との関係
夜八時、ようやく仕事を切り上げ、近所のコンビニへ。顔なじみのレジ担当の青年。いつもと変わらぬ「いらっしゃいませ」。
小さなやり取りが心をつなぐ
「このお弁当、温めますか?」「…お願いします」。たったそれだけの会話。でも、今日はそれが一番の対話だった。
たった一言のやりとりがくれる安心感
レジの前でちょっと背筋を伸ばす
「Tポイントカードはお持ちですか?」の問いかけに、思わず「持ってません」と声を張る。なんだか、ちゃんと生きている気がした。
会話じゃない会話に気づくとき
探偵漫画のモノローグみたいに頭の中で「この瞬間、俺の孤独が少しだけ解かれた」とつぶやく。やれやれ、、、くだらないな、と思いながらも少し笑えた。
どこにも吐き出せない孤独と向き合う
「話したい」ではなく「声を出したい」
本当は誰かと語り合いたいわけじゃない。ただ、「ああ」とか「うん」とか、口を動かす相手がほしいだけなのかもしれない。
孤独の中の「他人」という希望
レジに立つ誰かがいてくれる。機械じゃない、息をしている人間がそこにいる。そのことが、思ったより救いだった。
仕事帰りに寄る理由はもう一つある
おにぎりよりもレジの「ありがとうございました」
ご飯なんて適当でいい。でも「ありがとうございました」には何かしらのぬくもりを感じる。
自分の存在を確認できる数秒
袋を受け取る一瞬。自分の存在が誰かに認識されているという感覚。そのわずかな時間に、今日もなんとか救われている。
過去の自分に言ってやりたい
忙しいほど孤独になるって知ってたか?
若い頃の自分は、仕事が充実すれば孤独とは無縁になると思ってた。でもそれは逆だった。
年を取ると会話が貴重品になる
一日誰とも話さなかった、なんて日が珍しくなくなった。会話って、あたりまえじゃない。高級品みたいなものだ。
小さな会話を大切にできる自分でいたい
話しかけられる人間でありたい
たとえそれが「レジ袋いりますか?」でも。ちゃんと返事をしたい。嫌われないように。いや、誰かとつながるために。
レジの店員に感謝する日がくるとは
まさか、自分があの無表情なレジ係に感謝する日が来るとは。でも、今ならわかる。あの一言がどれだけ価値あるか。
今日もまたあのコンビニに向かう
「温めますか?」に救われた男の一日
明日もまた一人かもしれない。でも、きっとまたレジの前で、「お願いします」と言うだろう。それが、今日の自分を支えている。
やれやれ、、、人は声なしでは生きられないらしい
誰かの声を求めて、今日もまた、あの自動ドアの音を聞きに行く。