司法書士だった男の最後の依頼

司法書士だった男の最後の依頼

朝の書類山脈とコーヒーの香り

書類に埋もれる日常

カップの縁に口をつけた瞬間、コーヒーが舌の奥で苦味を主張した。眠気をなんとかごまかしながら、私は山のような登記申請書類に取り掛かっていた。気づけばもう10時を過ぎている。

朝からサトウさんは無言でキーボードを叩き続けていた。そういえば今日、登記情報提供サービスのサーバーメンテだったか、、、ぼやいても仕方ない。私は文句を飲み込んだ。

その時、郵便受けの音がした。スーツ姿の配達員が残していった一通の封筒。それが、この奇妙な依頼の始まりだった。

奇妙な依頼書と古い土地の謎

封筒の中身

差出人不明の封筒には、手書きの依頼書と昭和の地積測量図が一枚。依頼主の名前は「タニグチ」とだけ記されていた。内容は簡潔だ。「亡父名義の土地の職権抹消を願う」――いや、簡潔すぎる。

私は目を細めて、地番を確認した。どこかで見覚えのある数字だった。半ば無意識にパソコンで登記簿を検索しようとして、サーバーメンテを思い出した。やれやれ、、、タイミングが悪いにも程がある。

結局、紙の登記簿謄本をファイル棚から探す羽目になった。事務所の隅、埃の積もった引き出しを開けながら、自分の境遇を呪いたくなった。

地図の記憶とサザエさん症候群

あの神社の裏手

地図に書かれた赤線を見て、私は声を漏らした。「あぁ、あの土地か」——記憶の引き出しがゆっくり開いていく。確か、新人時代にトラブル対応で一度行ったことがある。神社の裏手、小道に挟まれた変形地。

サザエさん一家が日曜の夕飯時に見るような、のどかな住宅街の奥で、あの土地だけが妙に取り残された空気をまとっていた。不動産屋も触りたがらない曰く付き。そういえば、売買の話も立ち消えになっていたような。

私は引き出しの奥に手を伸ばし、当時の案件メモを引っ張り出した。ほこりまみれの紙には、「売買不成立・買主死亡・相続手続未完」と殴り書きがあった。嫌な予感が確信に変わる瞬間だった。

サトウさんの鋭い指摘

「これは、、、何かおかしいですね」

無言だったサトウさんが、静かに口を開いた。「シンドウ先生、この地番、昨日の通知で職権抹消されてます」え? 私は目を見開いた。念のため確認してもらうと、確かに登記簿からその土地が消えていた。

「でも依頼書の日付は今朝届いたんですよ?」私がそう言うと、サトウさんは表情ひとつ変えずに答えた。「つまり、何者かが登記の痕跡を消そうとしてるってことですね」まるで探偵のような台詞だった。

私の中で、名探偵コナンの「真実はいつもひとつ」がこだました。もちろん私は新一ほど賢くも、蘭ほどモテもしない。せいぜいコナンに出てくる警備員Bレベルだ。

20年前の仮登記の罠

失われた所有権

書類を洗い直すと、20年前に仮登記がされたまま本登記に移行されていない売買記録が出てきた。買主はすでに死亡し、相続人の名義変更も行われていない。つまり、今この土地は法的には「幽霊物件」だった。

幽霊物件――なんともこの季節らしい表現だ。だが、ここに目をつけたのが「タニグチ」なる依頼主だとすれば、目的は何なのか。なぜ、今さら職権抹消を?

私は古い新聞記事を調べ始めた。地元紙に載っていた小さな記事、「測量士殺人事件」——そこに、かつての土地所有者の名前が載っていた。

消えた依頼人タニグチ

連絡先は存在しない

依頼書に記された電話番号は、「現在使われておりません」。記載された住所も、実在しない番地だった。登記に紐づく記録も、何も出てこなかった。つまり、「タニグチ」は実在しない可能性が高かった。

「名前を借りただけかもしれません」サトウさんがつぶやいた。「でも、どこからこの測量図を?」その疑問が、事件の核心に繋がっていく。

その地図には、裏面に薄くボールペンで書かれた走り書きがあった。「サイシュウニワタス」——カタカナで書かれた奇妙な言葉。これは誰かへの遺言だったのか。

図面に残された落書き

最後に渡すべきもの

その言葉に見覚えがあった。かつてこの土地をめぐって争った兄弟がいた。「サイシュウ」とは、その弟の名前だったかもしれない。争いの末に、兄が土地を独占し、そのまま放置されたまま時が流れた。

タニグチは、その兄の息子であり、自分の父の過去を清算するために動いていたのではないか。すべての証拠が、そう示していた。

だが、それを証明するにはあまりに時が経ちすぎていた。地目、所有者、登記原因——すべてが風化していた。

真犯人は司法書士だった

不動産屋を兼ねる裏の顔

さらに調査を進めると、20年前の仮登記を扱った司法書士が、複数の職権抹消を操作していた形跡があった。不動産ブローカーとも裏で繋がっていたようだ。その司法書士はすでに引退していた。

しかし今回の「依頼」は、その息子による清算だった。父の罪を隠すためでもあり、正すためでもある。その二重性が、この奇妙な依頼の輪郭を曖昧にしていた。

結局、土地は再び「筆界未定地」として登録された。誰のものでもなく、誰にも売れない――それが、せめてもの罰だった。

そして沈黙は登記簿の中へ

事件は音もなく封印された

「これでよかったんでしょうか」サトウさんが静かに言った。私はしばらく考えてから答えた。「正解なんてないさ。ただ、間違いじゃなかったとは思う」

真実はいつも一つ、かもしれないが、それが公的に証明されるとは限らない。それが、登記の世界の闇だ。黒でも白でもなく、グレーの中で私たちは仕事をしている。

サトウさんが、コーヒーを淹れ直してくれた。こんな時だけ、ほんのり優しいのがまた憎めない。

やれやれ、、、僕にできたのはここまでだ

また地味な日常が戻ってくる

事件が終わっても、山のような書類は減らない。結局、誰にも感謝されることもなく、今日もまた定款認証の相談が入っていた。

サトウさんは一言、「あれも片付けといてくださいね」と塩対応。私は肩を落としつつも、なんとなく微笑んだ。これが僕の仕事。これが僕の戦場。

キーボードを叩く音が、またいつものリズムに戻っていく。やれやれ、、、明日は早く帰れるといいな。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓