本を開いても頭に入らない日

本を開いても頭に入らない日

本を開いても頭に入らない日がある。それが現実だ。

司法書士という職業に就いて15年以上経つが、いまだに「今日はダメだな」という日がある。本を開いても、目は文字を追っているはずなのに、内容が一切入ってこない。頭がぼんやりして、やる気も集中力も霧の中にいるような感覚になる。こういう日は、どれだけ自分を奮い立たせようとしても、空回りする。自分がダメなんじゃないかと責めたくなるけれど、実際にはただの“そういう日”なだけなのだ。

集中できない日は、なぜか重なる

不思議なもので、集中できない日は一度だけじゃない。気づくと何日も続いていたりする。前の日の疲れが取れていなかったり、事務所での細かいトラブルが重なったりすると、集中力が削がれていく。体は元気なのに、脳みそだけがどこか別の世界に行ってしまったような、そんな感覚。誰にも相談できないまま、「また今日もダメだったな」とため息ばかりつくようになる。

朝から「無」のまま一日が始まる

たとえば月曜日。朝7時に目が覚め、コーヒーを淹れても頭はぼんやり。新聞に目を通しても、内容がまったく入ってこない。「これはまずい」と思いながらも、本を開いては閉じ、また開く。それを繰り返しているうちに午前中が終わっていた、なんてことも珍しくない。始業時間になってもエンジンがかからず、気づけば事務員に「先生、書類どうします?」と声をかけられてハッとする。

コーヒーを飲んでも、新聞を読んでもスイッチが入らない

私は毎朝、ブラックのコーヒーを飲むのが習慣だ。スイッチを入れるつもりで湯を沸かし、新聞を読みながらゆっくり飲む。でも、頭が働かない日は、コーヒーの味も新聞の内容もぼやけている。まるで自分という存在が霧の中にいるみたいだ。机の上には読みかけの判例集。開いても文字が泳ぐだけ。そんなときは、やらなきゃいけないことすら見失っていく。

気持ちだけが焦って、ページをめくる指だけが進む

読まなきゃ、覚えなきゃ、確認しなきゃ――。そう思って本を開いても、読んだ端から忘れていく。ページをめくる手だけが自動的に動いていて、内容はどこか遠くに消えていく。司法書士という職業柄、条文や判例を理解するのは日常茶飯事だけれど、頭が働かないときには何をやってもダメだ。自分だけが取り残されているようで、心がどんどん沈んでいく。

「勉強しなきゃ」という呪い

資格を取ったあとも、この仕事は勉強の連続だ。改正法が出ればチェックしなければいけないし、実務に役立つ知識も日々アップデートされる。周囲の司法書士がSNSで「今日は○○を勉強しました」なんて投稿しているのを見ると、自分もやらなきゃと焦る。でも、焦りは余計に頭を働かなくする。いつの間にか、「勉強しなきゃ」が自分を追い詰める呪いになっていた。

資格を取っても、勉強は一生終わらない

司法書士試験に合格したとき、「これでようやく勉強から解放される」と思った。だが現実は真逆だった。仕事を続けていくうちに、知らないこと、忘れていたことに何度もぶつかる。そのたびに本を開き、資料を漁る。知識は“使って覚える”とはいえ、やはりベースの理解は不可欠だ。でも、疲れた日はその勉強すら苦痛になる。やってもやってもゴールが見えない、そんな感覚に襲われる。

実務の不安が、新しい知識を押し込む

たとえば、相続登記の複雑な案件を抱えているとき。過去の判例や登記研究を引っ張り出して確認しようとするが、頭が追いつかない。すると、ますます不安が膨らんで、「もっと勉強しなきゃ」と本を開く。でも、入ってこない。まるで知識を詰め込もうとするあまり、脳が拒否しているようだった。焦るほどに視野が狭まり、読むべき情報を読み飛ばしてしまう。悪循環の始まりだ。

追いつけない自分に、勝手に自己嫌悪

世の中の司法書士は、もっと要領よくやってるんじゃないか。そう思ってしまう瞬間がある。SNSで「今日はこれを処理しました」とか「業務効率化ツールを導入しました」なんて投稿を見ると、劣等感がこみあげてくる。自分は一人でやってるから仕方ない、と頭ではわかっていても、心は納得しない。結局、「自分はダメだ」と思い込んでしまい、自己嫌悪に陥るのだ。

何も頭に入らないとき、自分を責めるのはもうやめよう

本当に疲れているとき、人間は頭が働かなくなるものだ。脳みそだって休みたいときがある。そんなときに無理に本を開いても、逆効果になるだけだ。だからこそ、「今日は読まない」と割り切る勇気も大事だと思う。自分を責めてしまう日こそ、自分に優しくしてあげなければ、明日がさらにしんどくなる。完璧な日なんて、そうそう来ないのだから。

そんな日もある。そんな日「ばかり」の人もいる

どんなに真面目な人でも、やる気が出ない日というのはある。むしろ、真面目な人ほど「やらなきゃ」という気持ちが強くて、自分を追い込みがちだ。司法書士として日々働く中で、「頑張っているのに空回りしてる」と感じることはよくある。でも、そんな日は別に異常じゃないし、恥ずかしいことでもない。同じように悩んでいる人がいると知るだけで、少し心が軽くなる。

どうにかやり過ごすための「緩やかな脱出法」

「もう無理だ」と思ったときは、一度すべてを手放してみるのも一つの手だ。たとえば、専門書を閉じて、昔好きだったマンガを読んでみる。散歩に出て風の音を聞く。遠回りに見えても、それが結果的に最短距離だったりする。人間の集中力には限界があるのだから、休むことは「逃げ」ではない。回復のための「投資」だ。

一冊をやめて、マンガでも読んでみる

私はよく、こういう日は『美味しんぼ』を読む。法律とは無関係の世界にどっぷり浸かると、意外と頭がすっきりする。グルメマンガの世界観が気持ちをリセットしてくれるのかもしれない。そうして少し気持ちが戻ったら、また別の本を開いてみる。さっきまで頭に入らなかった内容が、今度は少しだけ入ってくることもある。

散歩に出てみる。天気に文句を言いながら

空が曇っているときは、「こんな天気じゃ集中できるわけない」と外に出る。ちょっとした不満を口に出してみることで、気持ちが解放されるのだ。散歩中、近所の神社で手を合わせたり、知らない猫と目が合ったりするだけでも、なんとなく「もうちょっとだけやってみるか」という気分になれる。人間って案外単純な生き物だ。

最後に:今日読めなかったページは、明日また開けばいい

「本を開いても頭に入らない日」は、特別なことではない。誰にでもある。ただ、それをどう受け止めるかで、次の日が変わる気がしている。私は、自分にできなかったことよりも、できたことに目を向けるようにしている。今日ダメだったなら、明日またやればいい。そうやって日々をごまかしながらも、なんとか続けていくしかないのだ。

継続よりも「諦めない」ことの方が難しい

継続は力なりと言うけれど、本当は「やめないこと」の方がずっと難しい。続けるというのは、失敗しても立ち止まっても、また歩き出すこと。司法書士の仕事は、淡々とした作業の繰り返しだが、そこに意味を見出せるかどうかは、自分の気持ち次第だ。今日読めなかったページは、明日読めばいい。それだけの話なのだ。

でも、続けるのは才能じゃない。生活だ。

司法書士として日々やっていくのは、特別な才能があるからじゃない。生活のためであり、生きるための選択肢だ。続けることがすごいわけでも立派なわけでもない。ただ、今日という日をどうにか越えて、また明日を迎える。それだけのことを、私はこれからも繰り返していく。頭に入らない日があっても、いいじゃないか。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。