感情表現が苦手になってる

感情表現が苦手になってる

感情を出すのが怖くなった理由

昔はもう少し素直に笑ったり、落ち込んだりしていた気がします。けれど、年を重ねるごとに、特にこの司法書士という仕事に携わってから、感情を出すこと自体がだんだんと怖くなってきました。周囲に弱みを見せると信頼を失うんじゃないか、感情的になると「プロとしてどうなんだ」と思われるんじゃないか。そんな不安が、いつの間にか感情を抑えるクセになっていました。気づけば、自分の気持ちがどこかに置き去りになっていたんです。

叱られるのが怖かった子ども時代

振り返ってみれば、子どもの頃から感情表現には苦手意識がありました。何か気に入らないことがあると顔に出てしまうタイプだったので、よく親に「そんな顔をするな」と怒られていました。泣けば「男のくせに情けない」と言われ、怒れば「わがままだ」と叱られる。そうやって、だんだんと「感情を見せない方が楽」と覚えてしまったんです。感情を出せば否定される。だから、出さない方がいい。そう刷り込まれてしまったのかもしれません。

感情=わがままと言われた日々

「怒るな」「泣くな」「騒ぐな」。そんな言葉をよく聞かされて育ちました。だから自分の気持ちを言葉にするのが苦手になっていったんだと思います。何かを主張すると、すぐ「わがまま」と片付けられてしまう。親も悪気があったわけではないのだと思います。でも、小さな頃から「自分の気持ちは迷惑なんだ」と思って生きてくると、大人になってもその感覚は根強く残ります。結果、自分の中にある「感情のスイッチ」を切ってしまったんです。

「黙ってろ」と言われて育った記憶

ある日、家でちょっとした愚痴をこぼしたとき、父親に「男は黙って働け」と言われたのを今でも覚えています。たった一言なのに、それが深く胸に刺さって消えないんです。そのとき、「言っても仕方ないんだ」と感じて、何かがカチリと心の奥で固まったような気がしました。それ以来、つらいことがあっても口を閉ざすのが癖になりました。今では、その癖があまりにも自然すぎて、自分でもそれを意識できなくなっているくらいです。

仕事で感情を出せなくなっている現実

司法書士という仕事は、基本的に冷静沈着が求められる仕事です。依頼者の前では淡々と、落ち着いた対応が当たり前とされます。でもそれが、いつの間にか「感情を見せてはいけない」にすり替わっていました。ミスやトラブルがあっても顔色一つ変えずに対応することが美徳だと思われる世界で、私は感情を封印するのが癖になりました。気づけば、自分の気持ちに蓋をするのが日常になってしまっていたのです。

依頼者に安心を与えるために無表情を貫く

依頼者が不安げに相談に来られたとき、こちらが一緒にオロオロしていては信頼されません。だから、なるべく表情を変えずに落ち着いて対応しようとします。「大丈夫ですよ」と言いながら、心の中では「本当に大丈夫か?」と焦っていることもありますが、それは顔に出しません。でも、それを何年も続けていると、今度は逆に、感情を出すタイミングがわからなくなってくるんです。安心させるための演技が、自分の本音まで押し込めてしまうことになるとは思っていませんでした。

笑顔が嘘っぽくなるのが自分でもわかる

ふと気づくと、笑っているつもりなのに、まったく目が笑っていない自分に気づくことがあります。「いい天気ですね」と言いながらも、心はどんより曇っていたりする。鏡を見て、その笑顔のぎこちなさに自分でびっくりすることすらあります。もう「自然な笑顔」がどういうものか、自分でもわからなくなっているのかもしれません。そんな状態では、感情を人と共有するなんて到底できません。結局、誰にも心を開けないまま、また日が暮れていきます。

感情が顔に出ない=プロとしての正解?

司法書士として、感情をコントロールするのは大事だと思います。でも、まったく感情を見せないのが正解なのかといえば、正直よくわかりません。たまに依頼者から「無表情で怖い」と言われることもありますし、事務員にも「機嫌悪いのかと思いました」と言われたことがあります。プロとしての冷静さと、人間としての感情。そのバランスを取るのは、本当に難しい。今の私は、どちらかというと「冷静」の方に偏りすぎてしまっているのかもしれません。

事務員との会話ですら気を遣う毎日

たった一人の事務員とさえ、素直に会話するのが難しいと感じる日があります。雑談のつもりが、なぜか空気が重くなったり、冗談が通じなかったり。もしかすると、私自身が感情の表現を忘れてしまっているせいなのかもしれません。気を遣いすぎて、逆に会話がぎこちなくなる。そんな毎日を過ごしていると、さらに自信をなくしてしまい、ますます話しかけづらくなってしまいます。

ちょっとした一言で空気が変わる職場

「この資料、間違ってますよ」──そう伝えただけなのに、事務員の顔が曇ることがあります。言い方がきつかったのか、表情が怖かったのか、自分でもわかりません。ただ、そういう小さなすれ違いが積み重なると、だんだん職場の空気も硬くなっていくのを感じます。だからといって、何も言わずに放っておけばミスが続く。でも、感情の伝え方がうまくできない自分には、うまくフォローする言葉も出てこない。そんな自分に、嫌気が差すこともあります。

冗談を言っても苦笑いされる切なさ

たまには明るくしようと、冗談を言ってみることもあります。でも、大抵は苦笑いで終わるか、変な空気になります。言い慣れていないせいか、声のトーンや表情が合っていないのかもしれません。「無理に明るくしなくていいですよ」と言われたこともありました。それって、もう笑わせることもできないってことかと、ちょっとショックでした。笑い合うという当たり前のことすら、うまくできない現実に直面するたび、自分は何か大切なものを置き忘れているんじゃないかと思うのです。

「今日は機嫌悪いですか?」と言われるプレッシャー

別に怒ってるわけでも、機嫌が悪いわけでもないのに、「先生、今日はちょっと怖いですね」と言われる日があります。それがいちばん辛い。感情を見せまいとしているのに、逆に誤解されてしまう。どこかで、無表情が「不機嫌」として伝わっている。そんなつもりじゃないのに…。その誤解を解こうとしても、言葉がうまく出てこなくて、さらに気まずくなる。そんな日々の繰り返しに、もうどうしたらいいのかわからなくなることもあります。

感情表現を取り戻すには

気づけば、自分の感情が置き去りになっている。それをどうにかしたいと思っても、何から始めればいいのか分かりません。無理に明るくふるまうのも違うし、泣きたいときに泣けるわけでもない。でも、自分の感情ともう一度向き合うためには、まず「自分の本音に気づく」ことが大事なのかもしれません。それはきっと、司法書士という肩書を一度脇に置いて、「ただの自分」として過ごす時間を持つことから始まるのだと思います。

まずは自分の気持ちに気づく練習

最近、寝る前に自分の気持ちを言葉にする練習を始めました。「今日は疲れた」「ちょっと寂しかった」「やる気が出なかった」。そんな簡単なことでいい。それすら最初は戸惑いました。でも、少しずつ自分の気持ちが見えてくると、なぜかホッとするんです。感情って、抑え込むほど苦しくなるものなんですね。仕事では表に出せなくても、せめて自分の中では、素直に気持ちを認めてあげたいと思うようになりました。

日記にすら書けなかった本音

正直、日記を書くのが苦手でした。だって、そこに本音を書くのが怖かったからです。「今日は誰にも感謝されなかった」「仕事が嫌になった」「孤独がつらい」──そういう言葉を書くのが恥ずかしかった。でも、それを一度書いてしまうと、気持ちが少しだけ軽くなったのです。誰にも見せない場所に、本音を置く。それだけで、救われることがあると知りました。感情は出せなくても、少なくとも「ある」ということを認めるだけでも、前に進めるのかもしれません。

「疲れた」「寂しい」と声に出す難しさ

たった一言、「疲れた」と言うことすら、今の私には難しい。でも、それを言える相手がいたら、どれだけ楽になれるだろうと思います。感情を押し殺して生きるのは、思っている以上にしんどい。だからこそ、「今日はちょっとしんどいんだ」と言える勇気が、少しずつでも必要なのかもしれません。それを聞いてくれる人がいるかどうかはわからない。でも、まずは自分が、自分の気持ちに耳を傾けるところから始めていこうと思います。

同じような司法書士さんへ伝えたいこと

もし、この記事を読んでくださっているあなたが、私と同じように感情表現が苦手だと感じているなら。無理に変わる必要はありません。でも、自分の中の感情にだけは嘘をつかないでいてほしい。プロとして冷静であることと、人として感情豊かであることは、きっと両立できるはずです。私もまだ途中です。一緒に、少しずつでもいいから、自分の気持ちを大事にする練習をしていきませんか。

無感情でも、心がないわけじゃない

感情が表に出ない人って、冷たいとか、何を考えているかわからないって言われがちです。でも実際は、心の中にたくさんの感情が渦巻いている。ただ、それを表に出すことに不器用なだけなんです。私もそうです。だから、「心がない」なんて言われると、本当に悲しくなります。見せ方が下手なだけで、ちゃんと心はある。もし誰かがそう感じているのなら、少しずつでも、それを伝える努力をしていきたい。そんなふうに思っています。

感情を押し殺すのは、頑張ってる証拠かもしれない

感情を出さずに毎日を乗り切る。それって、ある意味でとても頑張っている証なんじゃないかと思います。誰にも頼らず、弱音も吐かず、それでも仕事をこなしている。感情を抑えるという選択をしてまで、責任を果たそうとしている。でも、だからこそ、たまには自分を労わってもいいんじゃないでしょうか。抑えてばかりじゃ、心が壊れてしまいます。少しずつ、自分の気持ちに素直になることを、自分に許してあげてほしいです。

でも、少しだけ声に出す練習、してみませんか

すぐにはうまくできないかもしれません。でも、「今日はしんどかった」「なんか疲れたな」と、ほんの少しだけでも、声に出してみてください。最初は空に向かってでもいい。誰にも聞かれなくていい。ただ、自分の感情に気づいて、認めて、言葉にしてみる。それが、小さな一歩です。司法書士という仕事は、冷静さが求められる職業です。でも、それを支えるのは、自分自身の感情です。だから、少しずつ、感情を取り戻していきましょう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。