友人から恋愛相談される側になってる

友人から恋愛相談される側になってる

恋愛相談される側、という違和感

最近になって、なぜか「恋愛相談される側」になってしまっている。こちらが一方的に聞く役割。正直、恋愛からは長らく距離を置いているので、そんな話をされてもリアルに感じられないのが本音だ。それでも「なんか聞いてくれそうだから」と言われる。年齢のせいか、肩書きのせいか、それとも独特の“暇そう感”が出てしまっているのか。誰かの話をただうなずいて聞いている時間、自分がどこか遠くへ置き去りにされているような気がしてならない。

気づけば、誰かの恋の話ばかり聞いている

恋人と喧嘩しただの、告白するタイミングをどうしようだの、そんな話を聞く日が増えた。「相談」というより、もはや「実況中継」に近い。最初は真面目に聞いていたが、最近はもう頭の半分で別のことを考えている。郵送物の締切、登記の準備、法務局の待ち時間……こちらの生活にはロマンチックの“ロ”も存在しないのに、なぜか恋愛相談の“窓口”にされている自分。なんだか腑に落ちない。

昔は相談する側だった気がするのに

記憶を辿れば、若い頃は自分も「好きな人がいる」とか「告白しようか迷ってる」なんて話をしていた。あの頃は恋に悩むのが日常だったのに、いつの間にか恋愛自体が人生から消えた。そして気づけば、相談される側へと回っていた。人は成長とともに役割が変わるのかもしれないけれど、それにしても恋愛からの退場が早すぎた気がする。まだ“プレイヤー”でいたかった。

話を聞きながら、心はどんどん空っぽになる

「どう思う?」と聞かれても、もう心の中には何も浮かばない。ただ「そうなんだ」と繰り返すだけ。相談されるのはありがたいことだとは思う。でも、こちらの心の中はぽっかり空いていく。誰かの恋の高まりを聞くたび、自分の感情の欠落に気づかされてしまう。相談が終わった後、なんともいえない空虚さが残るのだ。

なぜか頼られる「聞き役」ポジション

特に目立つわけでもない、饒舌でもない。なのに、やたらと話しかけられる。不思議なことに「あなたなら聞いてくれる気がする」と言われる率が異常に高い。自分では気づかないけど、そんな雰囲気でも出しているのか。正直、恋愛経験豊富というわけでもなく、アドバイスの引き出しも多くない。でも、聞いているだけで「ありがとう」と言われてしまう。複雑な気持ちになる。

優しそうに見えるのが原因?

「優しそう」と言われることがある。でもそれは、強くもなく、面白くもなく、頼りがいがあるわけでもないから、無難にそう表現されているだけじゃないかと疑ってしまう。本当に優しい人は、的確に導いてくれたり、背中を押してくれる人だと思う。自分のようにただ聞くだけの人間は、単に「便利な存在」に見えているのかもしれない。それでも期待には応えてしまう。自分の存在意義を、そこでやっと感じるから。

恋愛経験の少なさがバレてない不思議

妙に具体的な恋愛相談をされるたび、「この人、私のこと恋愛経験豊富だと思ってない?」と心の中で焦る。大学時代にちょっと付き合ったくらいで、もうかれこれ20年は“現場”から遠ざかっているというのに。なぜか説得力があると思われている。それはきっと、答えないからバレないのだ。「なるほどね~」「それは悩むね~」と、ふわっとした返事で切り抜けている自分、ちょっと情けない。

的確なアドバイスはできないが共感だけはできる

相手の状況にうまく入り込むような、そんな分析力や経験値はない。でも、「それは辛いね」とか「分かる気がする」といった共感は、嘘じゃないから言える。たとえ恋愛のことが分からなくても、「孤独」とか「不安」とか「報われなさ」は経験してきた。だからなのか、共感だけは伝わるらしい。司法書士の仕事でも、理屈よりも“気持ち”でつながる場面が多い気がしている。

相談されるたび、自分の孤独が浮き彫りになる

友人が「最近うまくいってなくてさ」とか「実は結婚考えてて」と話し出すと、こちらの中で小さな焦りが広がる。自分は何も変わっていない。むしろ退化している気がする。人の幸せな悩みを聞きながら、自分が何も持っていないことを突きつけられる。それは静かだけれど、じわじわと効いてくる寂しさだ。

「どう思う?」と聞かれても何も浮かばない

結局のところ、恋愛というものに正解なんてない。そのことは司法書士としての仕事にも通じる部分があるが、相談されると「何か言わなきゃ」と思ってしまう。でも、無理に言葉をひねり出しても、自分が経験していないものにはやっぱり説得力がない。口を開けば開くほど、「ああ、自分って空っぽだな」と思ってしまう。

こっちは誰にも話せない日々なのに

こちらも相談したいことは山ほどある。急ぎの登記のプレッシャー、依頼者からの無茶な依頼、事務所経営の不安、将来の見えなさ。でも、そんな話を誰かにできるわけじゃない。「恋愛」の話と違って、聞く側は“地味で暗い話”に耐えられないことが多いから。だから結局、溜め込むしかない。そしてまた、誰かの恋の話を聞くことで気を紛らわせる。そんな循環に飲み込まれている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。