ふとした瞬間に寂しさがこみ上げる

ふとした瞬間に寂しさがこみ上げる

朝のコーヒーがしみる理由

毎朝のコーヒータイム。それは一日の始まりであり、私にとっては心を落ち着けるための儀式のようなものだ。けれど最近、いつもの香ばしい香りにほんのり混じる違和感がある。それが「寂しさ」だと気づいたのは、ある冬の朝。カップを口に運んだ瞬間、なぜだか胸の奥がすっと冷えた。温かいはずの飲み物が、逆に孤独を強調する。忙しい毎日でも、こうして立ち止まる時間があると、不意に心の隙間が顔を出す。

一人で淹れるルーティンが逆に響く

コーヒーを淹れる作業はルーティンになっている。豆を挽き、お湯を注ぎ、湯気の立ち上る様子を眺めながら心を整える時間。以前はそれで充分だったはずなのに、最近はその静けさが妙に重く感じる。一緒に働く人も少なく、事務所に私しかいない朝は、コーヒーメーカーの音すら無音の中に響く。誰かと「おはよう」と交わせる朝が、どれほど心を温めるのかを忘れていたのかもしれない。

事務所に響くマグカップの音

事務所の床は静かで、マグカップを置くと「コトン」と少し高めの音がする。その音がやけに大きく聞こえる朝がある。あぁ今日も一人なんだな、と思う。その音が、誰にも気づかれない存在の証みたいで、切なくなるのだ。何気ない生活音が、逆に誰もいないことを際立たせてしまう。この瞬間、孤独は音として実体を持つような気がする。

誰かと「おはよう」を交わせたら

「おはようございます」の一言で一日が始まる感覚。今ではそれが事務員が出勤してくる昼前までない。以前、研修先の事務所では、毎朝スタッフ全員が顔を合わせて挨拶をしていた。それが今となっては、少し羨ましく感じる。「ひとりでやっていける」という覚悟はあったはずなのに、人との関わりを求めている自分がいる。

仕事の合間に感じる空白

日々の業務に追われていると、ふとした瞬間に「何のためにやっているのか」と立ち止まるときがある。書類を整理し、登記を仕上げ、依頼者に連絡する。流れるように過ぎていく時間の中で、ある瞬間、手が止まり、心にぽっかりと穴が開いたように感じる。それは仕事が嫌いなわけでも、手を抜いているわけでもない。ただ、空白に気づいてしまうのだ。

依頼書の束が埋めてくれないもの

机の上に積まれた依頼書の山。忙しい証であり、信頼の証でもあるのかもしれない。けれど、書類を片付ければ片付けるほど、自分の中の何かが満たされていく感覚はなかった。むしろ反比例しているようにすら感じる。人とのつながりが希薄な中で、仕事だけが膨らんでいく。このギャップが、時折心に負担をかけてくる。

頑張ることが当たり前になった結果

「先生はよく働くね」と言われるたびに、苦笑いしてしまう。本当は、誰かと一緒に仕事を分担できたらどれほど楽だろうと思っている。けれど、それを言葉に出せない。頑張るのが当たり前だという前提に、自分自身も縛られてしまっているのだ。誰にも頼れず、弱音も吐けず、孤独を抱えたまま「普通」の顔をして仕事を続けるのは、思っている以上に苦しい。

「忙しい=充実」ではないと気づいたとき

かつては、予定が埋まっていることに安心していた。相談が入り、登記案件が重なり、休日出勤することもある。それが社会人としての「成功」だと信じて疑わなかった。だが、ふとした瞬間に「何かが足りない」と感じるようになった。自分の時間がないこと、心を休める余白がないこと、それが充実とは違うのだと気づくまでに、かなりの時間がかかった。

夜、電気を消す前のため息

一日の仕事を終えて、帰宅して電気を消す前。ベッドに横になるでもなく、ソファでぼんやりテレビの音だけを聞いている時間がある。画面を見ているわけでもない。時計の針が進む音がやけにリアルに感じられる夜。その瞬間に、ふと心の奥底から寂しさがこみ上げてくる。誰にも見せないその姿が、自分自身にとっての「素」なのだろう。

テレビの音だけが部屋に残る

「ただいま」と言っても誰も返事をしない部屋に帰るのは、もう慣れたつもりでいた。だが、本当は慣れてなんかいなかった。無音が怖くてテレビをつけっぱなしにしている。笑い声が聞こえるバラエティ番組、他人の幸せそうな日常。それを見ながら、自分との距離を無意識に測ってしまう。誰にも言えない空虚さが、画面の向こうにだけ染み込んでいく。

「お疲れさま」と言われたい願望

自分が誰かに必要とされていると感じる瞬間は、依頼者に感謝されたときだ。けれど、それはあくまで「業務」としての関係。家に帰ってから「今日も一日よく頑張ったね」と言ってくれる存在がいないことに、ふと気づいてしまう夜がある。だからこそ、事務員が「お疲れさまです」と言ってくれるだけでも、心がほんの少し軽くなる。そんな小さな一言に救われる自分がいる。

それでも明日はやってくる

寂しさが襲ってくる瞬間は、きっと誰にでもある。司法書士としての仕事を続ける中で、孤独や葛藤、そして小さな後悔を抱えるのは当たり前かもしれない。でも、それでも朝は来る。コーヒーを淹れて、また事務所のドアを開ける。そしてほんの少し、昨日よりも前を向けるように。誰かと比べず、過去にとらわれず、自分らしく仕事を続けていけたら、それが今の自分には十分な「希望」だと思っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。