忙しさの中で忘れかけていた感情
司法書士という職業は、書類の山と期限に追われる日々の繰り返しです。自分で開業してからは、時間に追われる感覚が常にありました。人と話すといっても、打ち合わせや電話対応など、ほとんどが業務的なやりとり。気づけば、感情を表に出すことが少なくなっていました。感謝も愚痴も喜びも、どこかに押し込めて、ただこなすだけの日々。それが「仕事」だと、自分に言い聞かせていました。
業務に追われて心がすり減る日々
朝から晩まで、書類作成と登記申請に明け暮れる日々。自分で決めた仕事とはいえ、やることは減らず、次から次へと案件が舞い込んできます。事務員は一人だけ。全部を自分で判断して、責任を背負わないといけない。クライアントにはミスの許されない仕事だから、精神的にもずっと緊張状態が続きます。毎日終電近くまで残業して、帰ってテレビをつけても何も頭に入らず、気づけば朝。そうやって、心がすり減っていくのが分かるのに、止まらなかったのです。
小さな事務所ゆえの孤独
都会とは違い、田舎では相談相手も限られています。司法書士同士の横のつながりも希薄で、何か困ったときに気軽に聞ける人がいない。悩みを誰かに話すこともなく、ただ溜め込むばかり。事務所では、たったひとりの事務員が気を遣ってくれることもあるけれど、こちらも忙しさのあまり、それに気づく余裕すらないことも。孤独というより、“自分が自分の敵”になっている感覚でした。
「ありがとう」の一言が胸に染みる
そんなある日、ふとした依頼の後、クライアントから「ありがとうございました。本当に助かりました」と深々と頭を下げられた瞬間、なぜか胸の奥が熱くなりました。ただの挨拶のような一言なのに、それが何日も頭に残るのです。あの言葉がなかったら、たぶんその週は乗り越えられなかったかもしれません。今でも思い出すたびに、自分の中にあった無機質な感情がほぐれていくような気がします。
仕事の責任と向き合うしんどさ
司法書士の仕事は、間違いが命取りになるものが多く、気が抜けません。特に登記関連では一字の間違いがトラブルのもとになり、後から大きな損害につながることもあります。「やって当たり前」「間違えたら終わり」というプレッシャーが常にのしかかってくる中で、誰に弱音を吐くこともできずにいました。
ミスが許されないプレッシャー
どんなに頑張っても「ありがとう」よりも「間違ってないよね?」が先にくる職場環境。失敗すれば信頼を失う、それがこの仕事の宿命です。慎重に慎重を重ねて確認しても、それでもどこかに不安が残る。ミスが怖くて、自分のやり方を何度も見返し、結局寝不足になる。そんな日々の繰り返しに、自信を持つことさえ難しくなっていました。
それでも「頑張ってますね」と言われて
あるとき、地元のクライアントから「先生、いつも頑張ってますね。あれだけの仕事を一人でやってるの、すごいと思います」と言われたことがありました。お世辞かもしれない。でも、その言葉がどれだけ励みになったことか。第三者の優しさというのは、想像以上に心に響くんだと、その時初めて実感しました。
クライアントの優しさに救われた瞬間
思えば、無表情で仕事をこなしているように見えても、相手はちゃんと見てくれていたのかもしれません。こちらが気づかないうちに、感謝や気遣いの言葉を用意してくれていた人たちがいた。クライアントとの距離は、書類のやりとり以上のものがあるのだと気づかされた瞬間でした。
思いがけない労いの言葉
忘れもしない、相続手続きの案件で奔走していたときのこと。ご高齢の依頼者の方が、わざわざ手紙を書いてくださったのです。「先生のおかげで、心の重荷が少し軽くなりました」と、丁寧な文字で書かれたその言葉は、私の机の引き出しの奥に今も残っています。忙しい中で読んだその手紙は、静かに、でも確かに、私の心を揺さぶりました。
手紙に綴られた感謝の気持ち
手紙には「寒くなってきましたので、お身体大切にしてください」といった気遣いまで綴られていました。そんな優しさが、どれだけ心に沁みたか。書類や判子に追われる毎日の中で、まさかこんなに温かいものをもらえるとは思っていなかった。感謝されることで、自分の存在が誰かの役に立っていると初めて実感できたのです。
思わず机の下で泣いた日
あの日、事務員には見られたくなくて、私はそっと机の下に潜って涙を拭いました。泣くことなんて何年ぶりだったか…。司法書士という「職業」に押しつぶされそうだった自分が、ほんの少し人間に戻れた気がしました。あの優しさは、私の中にずっと残っています。
「先生も無理しないでくださいね」
言われてみれば、そんな当たり前の言葉すら、長らく耳にしていなかった気がします。仕事柄、こちらが「大丈夫ですよ」と安心させる側にいることが多い。でも時に、「先生も大変でしょう」とこちらを思いやってくれるその一言が、妙に心に響くのです。人に心配されることが、こんなに嬉しいとは思いませんでした。
たった一言の破壊力
形式的なやり取りが当たり前になっていた私にとって、あの一言は予想外の破壊力を持っていました。肩に入っていた力がふっと抜けるような、そんな感覚。「無理しないでくださいね」——その言葉に、人として見てもらえている安心感を覚えました。
人の優しさが心を溶かすということ
司法書士という仕事に追われて、人の温かさや優しさに気づく余裕がなかった。けれど、実はまわりにはちゃんとそれが存在していたのだと思います。優しさというのは、見ようとしなければ見えない。けれど、ひとたび感じてしまえば、心の芯から溶かしてくれる力がある。
自分を責めがちな性格が和らいだ
私は昔から、自分に厳しすぎるところがありました。何か失敗すれば全部自分の責任、誰かに頼るのは甘え——そう思って生きてきました。でも、誰かの優しさに触れたことで、「こんな自分でもいいのかもしれない」と思えたのです。それだけで、少し肩の力が抜けた気がします。
「救われた」と思える体験
救われたと感じたのは、大げさでも何でもなく、人生の転機でした。仕事は変わらなくても、受け止め方が少しだけ変わった。人に支えてもらったからこそ、自分の在り方にも変化が生まれた気がします。
誰かの優しさに、自分も変われる
優しさは、受け取る側の心を変える力を持っています。私はそれを、クライアントの言葉で、手紙で、表情で、何度も教えてもらいました。今までの自分なら聞き流していたような一言が、今では支えになっています。
司法書士としての働き方を見直すきっかけ
他人の優しさに触れた経験が、仕事のあり方にも影響を与えています。無理をして働くことだけが正義ではない。時には立ち止まって、自分の状態を見つめ直すことも必要だと気づきました。
完璧主義からの脱却を考える
「全部自分でやらないと」と思っていた頃と比べて、今は少しずつ、事務員に任せたり、外部に頼ったりするようになりました。完璧を求めすぎると、誰も幸せにならない。そう気づいてからは、働き方に柔らかさが出てきた気がします。
人に頼ることは弱さじゃない
人に頼ることは、弱さではありません。むしろ、信頼して任せる勇気が必要です。誰かの力を借りることで、自分にも余裕が生まれ、結果としてクライアントへの対応も丁寧になったと実感しています。
優しさをもらったから、今度は与える番
これからは、自分も誰かを支えられる存在になりたいと思います。司法書士として、ただ業務をこなすのではなく、言葉や対応ひとつで安心感を届けられる存在に。自分が救われた経験を、今度は誰かのために使いたいと思うのです。