朝起きた瞬間に漏れた一言「もう無理」
ある朝、目が覚めた瞬間にふと漏れた言葉が「もう無理かもしれない」だった。何が、とは自分でも説明できない。ただ、体も心も重くて、もう動きたくなかった。たった数秒の感情だったかもしれない。でも、その一言が口から出た時、私は「ああ、限界が近いんだな」と思った。司法書士として、人の人生に関わる責任の重さ。地方で一人、事務員と二人三脚で回している事務所。逃げ場のない状況で、心がポキッと音を立てた気がした。
目覚ましより先に目が覚める絶望感
いつからだろう、目覚ましが鳴る前に目が覚めるようになったのは。朝5時台、外はまだ暗く、布団の中で今日の予定を頭の中で反芻する。あの登記は完了してるか?急ぎの相続案件は進んでるか?そんな思考がグルグル回って、「起きたくない」と思うけれど、もう眠れない。これは、体が「戦闘モード」に入りきってしまっている証拠かもしれない。目覚めからすでに疲れているのだから、やっぱりおかしい。
布団の中で巡る仕事の段取り
実際、布団の中で考える段取りほど役に立たないものはない。頭で想像しても、現実は電話が割り込んでくるし、突然の来客で台無しになる。でも、なぜか考えずにはいられない。「あの書類、忘れてないか?」「昨日の相談者、どう思っただろうか?」そんな不安が波のように押し寄せる。まるで夢の中でも働いているような感覚だ。
「今日は何件あるんだっけ…」のループ
スマホでスケジュールを見るのが怖い朝がある。「今日は何件だっけ…?」と確認して、5件以上あると本当に気が重くなる。しかも、そのうち3件は初回相談で、内容も重い。軽く「不動産登記の相談」と書いてあっても、実は家庭裁判所の手続きが絡んでいたりして、蓋を開けてみたら2時間以上かかることもある。こういう日々が続くと、そりゃ「もう無理」と思う。
カレンダーの予定を見てため息
事務所に着いてパソコンを開き、Googleカレンダーを見た瞬間、心の中で小さなため息が漏れる。詰め込まれた予定が、まるで「今日も逃がさないよ」と囁いてくるようでゾッとする。事務員に「今日はちょっとバタバタしますね」と言いながら、自分が一番バタバタしている自覚がある。でも「そうですね」と言ってくれる事務員の存在が救いでもある。
空いてる時間=電話対応と書類整理
「空き時間」とされている30分や1時間は、休憩ではなく、書類の確認や電話の折り返し、細かい修正などの時間に消えていく。昼ごはんを買いに行こうとしても、ちょうど電話が鳴ってそのまま昼抜きになることも珍しくない。業務時間の中で、本当に「自由に使える時間」が一瞬でもあれば奇跡だ。
休憩時間に電話が鳴るという地獄
昼休み、コンビニ弁当を温めようとしたその時に限って、固定電話が鳴る。しかも、折り返し不可の役所からの電話だったりする。「はい、司法書士の稲垣です」と言いながら、心の中で「勘弁してくれ」と何度も叫ぶ。結局、弁当は冷めてしまい、胃も冷えて、午後の業務がさらに重たくなる。こんな日々を繰り返していて、誰が元気でいられるだろう。
「無理」と言ってはいけない空気感
司法書士という職業柄、「先生」と呼ばれ、しっかり者でなければいけない、という空気がある。「もう無理かも」と口に出したら、何かが崩れそうで、飲み込んでしまう。でも、本当はそう言ってしまった方が楽なんじゃないかと感じることもある。無理をして無理が続くと、それは心を壊すことに繋がる。
頼られる側のしんどさ
依頼者は時には家族や友人にも「相談してもいい?」と言われることがある。相談を受けることが多い人生だった。でも、頼られるって案外しんどい。「稲垣さんなら大丈夫」と言われると、そうでなきゃいけないとプレッシャーがのしかかる。たまには「頼ってもいいんだよ」と誰かに言ってほしい。
誰にも相談できない重み
相談を受ける立場の人間ほど、自分のことは相談しづらい。仕事の悩みや将来の不安、独身の寂しさなんて、誰に言えばいいのか分からない。誰かに打ち明けても、「えっ、先生がそんなこと言うんだ」と驚かれるだけだろう。だから、結局、黙って飲み込むことになる。
「先生だから大丈夫」って何だ
「先生だから大丈夫ですよね」と軽く言われるたびに、「いや、先生って何?」と心の中でツッコミを入れている。人間なんだから、疲れるし、悩むし、ミスもする。先生=万能という幻想に、自分も他人も縛られてる。でも、「大丈夫じゃない自分」を見せることが怖くて、今日もまた仮面を被って働いている。
事務員には弱音を吐けない理由
たった一人の事務員にさえ、弱音を吐けない。「私がしっかりしないと、この人の生活にも影響が出る」と思うと、なおさら言えなくなる。彼女はいつも気配り上手で、こちらが言わずとも察してくれる。でも、それが余計に言いづらい。「先生、大丈夫ですか?」の一言にさえ、「うん、大丈夫」としか返せない自分がいる。
一人だけの支えを壊したくない
この事務所は、私と彼女の二人で回している。もし、どちらかが崩れたら成り立たない。だからこそ、お互いに踏ん張っている部分があると思う。信頼しているからこそ、負担をかけたくない。だから、「もう無理かも」という心の声を、また自分の中へ押し込めてしまう。
なんとか踏ん張ってる理由
そんな日々でも、なぜか続けられている。時々、ふと心に灯がともる瞬間がある。その小さな光が、意外にも強いエネルギーを持っているのかもしれない。
依頼者の「ありがとう」に救われる日もある
一日の終わりに、「本当に助かりました、ありがとうございました」と深々と頭を下げてくれる依頼者がいる。そういう時、「やっててよかった」と少しだけ思える。金銭的な報酬以上に、心に響く言葉だ。その言葉のために、また明日も頑張ってしまう自分がいる。
ほんの一言が心の支えになる
「先生にお願いしてよかった」とか、「説明が分かりやすかったです」とか、そんな何気ない一言が、後からじわじわと効いてくる。心が折れそうな時、その言葉を思い出して、「まだやれるかも」と思える。人って、意外と小さなことで救われるものだ。
この仕事にしかできないことがある
司法書士という仕事は、地味かもしれないけれど、人の人生の節目に関われる大切な役割だ。登記や相続、成年後見、どれも重くて責任がある。でも、その分だけ意義もある。簡単に「辞めたい」と思えないのは、この仕事が持つ力を知っているからだ。
登記の奥深さとやりがい
登記って、一見ただの手続きのようだけど、実は奥が深い。正確さは法律知識と経験がものをいう。特に地方では、複雑な土地の権利関係が絡むことも多く、解けたときの快感は独特だ。誰かの問題を整理して、形にする。そこにやりがいを感じる。
人の人生に関われる責任と喜び
相続や離婚、事業承継など、人生の転機に関わる案件は多い。そんなとき、頼ってもらえることは光栄でもある。「先生がいてくれてよかった」と言ってもらえると、やっぱり頑張ろうと思える。責任は重いけど、それが私の存在意義なんだと感じる瞬間だ。
「もう無理かも」と思った時の対処法
限界を感じた時、自分を立て直すために必要なのは、ほんの少しの「逃げ」や「甘え」かもしれない。真面目すぎる自分を、ちょっと緩めてあげる工夫が必要だ。
いったん仕事から離れる勇気
思い切って仕事から一歩引くことが必要な時もある。何もせずにただソファに座って音楽を聴く。それだけでも、少し心が軽くなることがある。走り続けてきた自分に、「ちょっと休もうか」と声をかける時間が、意外と大切だったりする。
散歩・読書・ひとりカフェのすすめ
私は近所の川沿いを歩く時間をつくるようにしている。何も考えずに風を感じるだけで、少しだけリセットされる。お気に入りのカフェでコーヒーを飲みながら、本をめくるのもいい。日常から切り離された時間が、心のガソリンになる。
同業者とのつながりを持つこと
同じ司法書士でも、悩みの種類や強度は人それぞれ。でも、誰かに話すだけで楽になる。SNSや会合、研修の場など、つながるきっかけは探せばある。「みんな疲れてるんだな」と思えたとき、少しだけ肩の力が抜ける。
愚痴を言い合える仲間の存在
私は年に数回、仲のいい司法書士と飲みに行く。その時間は、ひたすら愚痴の応酬。でもそれがいい。正論じゃなくて、「わかるよ」と言ってくれるだけで救われる。肩書きも責任も忘れて、ただの人間同士として話せる場所があることは、本当にありがたい。