独立ってそんなに良いものか振り返って思うこと

独立ってそんなに良いものか振り返って思うこと

朝起きてまず思うことは今日も一人かという現実

朝、目覚ましが鳴る。寝ぼけながら天井を見上げて、「ああ、また今日も一人か」と思う。独立すれば自由が手に入ると信じていたが、最初に感じるのはこの孤独だったりする。家族がいれば「おはよう」の一言で始まる朝も、私の場合はエアコンの音とスマホの通知音だけ。開業して数年、慣れたつもりでも、この無音の朝に慣れることはない。事務所に行けば仕事は山積みだけれど、それでもこの朝の虚無感はどうにもならない。

開業当初の高揚感と今の温度差

開業当初は、期待とやる気に満ちていた。「これからは自分の力で食っていくんだ」と意気込んでいたし、実際、初めての依頼を受けたときの感動は今でも覚えている。けれどそれは長くは続かない。数ヶ月も経つと、業務の大半はルーチン化し、感動は減り、疲労が積もる。どんどん現実的になっていく日々に、自分でも驚くほどテンションが下がっていた。高揚感は、次第にプレッシャーに変わっていったのだ。

電話のベルが鳴るだけで胃がキリキリする

仕事中に鳴る電話。それが今や、私にとってストレスの象徴になってしまっている。開業当初は「仕事のチャンスだ」と嬉しかったはずなのに、今では「またトラブルか」「クレームだったらどうしよう」と不安が先に立つようになった。

たいていロクな用件じゃない

こちらが忙しいタイミングに限って鳴る電話は、得てして緊急の依頼か、急ぎの変更連絡。中には「他の司法書士に断られたから連絡した」という案件もある。要するに、厄介ごとの回覧板みたいなものだ。そんな電話を何本も受けていると、やがて「電話=ストレス」と脳が学習してしまう。

それでも出ないと始まらない

とはいえ電話に出なければ、仕事は始まらない。無視していれば信頼を失うし、せっかくのチャンスを逃すかもしれない。だから、どれだけ胃が痛くても、着信音が鳴ればとりあえず深呼吸してから受話器を取る。そんな小さな戦いを、毎日のように繰り返している。

「自由」って言葉に踊らされた気がする

独立の最大の魅力は「自由」だとよく言われる。私もそう信じていたし、実際に会社員時代に比べれば、時間の使い方は柔軟になった。けれどその自由には、責任と不安が常にセットで付いてくる。誰からも指示されないということは、誰も守ってくれないということ。気づけば、自由というより「自己責任地獄」の中を生きているような感覚になっていた。

実際は自由よりプレッシャーのほうが多い

自由なはずの働き方も、実際には案件の締切や顧客対応に縛られている。休日でも依頼者からの連絡に対応することは珍しくないし、電話を無視すれば「誠意がない」と言われる。休んでいても気が休まらないし、遊びに行く気にもならない。気づけば、体は自由でも心は拘束されていた。

休みは自分で決められるけど実際は休めない

予定表に「休み」と書き込むことはできる。でも実際はその日も事務所に足を運んで、郵便物をチェックしたり、急ぎの書類を処理したりしてしまう。「これが終わったら休もう」と言い聞かせながら、結局は休めずじまい。誰も私に強制していないのに、なぜか自分を追い詰めているのだ。

誰にも怒られないけど誰も助けてくれない

上司も同僚もいない環境では、当然怒られることもない。でも、その代わりに「助けてくれる人」もいない。困ったときに相談できる相手がいないまま、ひとりで答えを出さなくてはならない。特にトラブル対応や判断が難しい案件では、孤独の重みがズシンと肩にのしかかる。

事務員さんがいるからまだマシという日常

たったひとりの事務員さん。彼女がいてくれることが、どれほど私の精神を支えているか。書類の確認や来客対応、ちょっとした雑談。そんな些細なやりとりが、私にとっては命綱みたいなものだ。孤独な戦場に、せめて味方がひとりいるだけでも、戦う気力が湧いてくる。

孤独とチームワークの間で揺れる感情

本当はもっとチームで仕事がしたいという気持ちもある。分業して、お互いに支え合いながら案件を進められたら、どれほど精神的に楽になるだろう。でも、それには人件費がかかる。地方の小さな事務所では、現実的ではない。だから今の最小構成でやるしかないという、割り切りと諦めの中で揺れている。

たった一人でも支えになる存在

仕事で大きなミスをした日、「大丈夫ですよ」と笑って言ってくれた事務員さんの言葉が忘れられない。あの一言で、どれだけ救われたことか。家族でも恋人でもないけれど、職場の仲間として信頼できる存在がいるというのは、ありがたい。孤独を完全には癒せないけれど、少しだけほっとできる瞬間がそこにある。

とはいえ気軽に弱音は吐けない

支えではあるけれど、彼女にだって生活があり、感情がある。雇っている立場である以上、簡単に弱音や愚痴をこぼすわけにはいかない。だからこそ、こうして夜に一人で文章を書いて、思いを整理している。どこかで吐き出さないと、自分の中に溜まりすぎて、壊れてしまいそうになる。

元野球部だった自分に問いかける

高校時代、真夏のグラウンドで白球を追いかけていた自分。あの頃の仲間たちは、今は家庭を持ってそれなりに幸せそうにやっている。私はというと、ひとり事務所にこもってキーボードを叩く日々。果たしてこれでよかったのだろうか。あの頃の自分に、胸を張って「がんばってるよ」と言えるだろうか。

あの頃の根性論は今役に立っているのか

「歯を食いしばって乗り越えろ」「逃げるな、向き合え」。そんな言葉を何度も聞いた野球部時代。正直、今でもその言葉が私の中に根付いている。でも、それが本当に正しいのかはわからない。逃げた方が楽だったかもしれないし、逃げなかったことで消耗している自分もいる。

我慢する癖だけが残った気がする

辛くても「しょうがない」と我慢してしまう癖。それは野球部で身についたものだと思う。悪く言えば、自分の感情を押し殺す癖。良く言えば、粘り強さ。でも最近は、それが逆に自分を苦しめているような気がしてならない。我慢しすぎて、何も感じなくなってきたら、それは危ない兆候だと思う。

でもやっぱり踏ん張れるのはそのおかげかもしれない

それでも、結局踏ん張ってここまでやってこれたのは、あの頃の経験があるからだと思う。理不尽な練習や、意味のない上下関係、くじけそうになった夜。そういうものを乗り越えてきたことが、今の自分を支えている。無駄じゃなかったと、信じたい。

この仕事を辞めたくなる瞬間も正直ある

一人でやっていると、逃げ場がない。気が滅入った日、失敗した日、何もかもがうまくいかない日。そんなときは、「もう辞めてしまおうか」と頭によぎる。誰も私を責めはしない。でも自分が自分を責めてしまう。それが一番厄介なのだ。

ふとした瞬間に頭をよぎる「全部投げ出したい」

コンビニで弁当を買っているとき、夜道を一人歩いているとき。ふとした瞬間に、「このまま全部放り出してしまったら、どんなに楽だろう」と思うことがある。家も事務所も閉めて、どこか誰も知らない土地で、別の人生を始めたくなる。そんな妄想が、現実逃避として脳裏をかすめる。

仕事が重なると逃げたくなる

数件の登記が一気に重なると、もう頭がパンクしそうになる。ミスが許されない仕事だからこそ、プレッシャーは尋常ではない。その中で、冷静に、正確に処理をしていくのは至難の業だ。逃げたい。どこか遠くへ行ってしまいたい。そんな気持ちが頭をよぎる日もある。

でも依頼者の一言で踏みとどまる

そんなとき、「ありがとう、助かりました」という依頼者の一言が刺さる。たったその一言で、今までの苦労が報われる気がするから不思議だ。自己満足かもしれないけれど、それでも誰かの役に立てた実感は、確かに存在する。そしてそれが、次の日もまた机に向かう力になる。

それでも独立して良かったと思える日もある

ここまでネガティブなことばかり書いてきたけれど、それでも独立してよかったと思える日も確かにある。自由に働けること、自分の名前で仕事ができること、そして誰かの役に立てること。それらの積み重ねが、自分の人生を少しずつ肯定してくれる。

自分で稼いだという実感

月末に振り込まれた報酬。会社員時代の給与とは違い、それはまぎれもなく自分の力で稼いだ金だという実感がある。額が大きいかどうかではない。「自分でなんとかした」という感覚。それがあるから、どんなに辛くても「続けていこう」と思える。

誰かの役に立てたという実感

書類を届けた帰り道、「本当に助かりました」と頭を下げられた瞬間。ああ、この仕事やっててよかったな、と思う。孤独で、しんどくて、愚痴だらけの日々の中でも、たまにこういう瞬間がある。たった数秒のやりとりでも、それが心に灯をともしてくれる。

意外とそんな瞬間が支えになる

ドラマのような劇的な展開なんてない。だけど、日常のほんの一コマに「報われた」と感じる瞬間がある。それがあるから、今日もまた一人で事務所のドアを開ける。ネガティブでも、愚痴っぽくても、私なりにこの道を歩いていくのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。