登記のプロ、恋はド素人:書類は捌けても心は読めない

登記のプロ、恋はド素人:書類は捌けても心は読めない

登記は完璧でも、恋愛にはサインできない

登記手続きで必要な書類が完璧に揃っているときの安心感。あれは司法書士としての快感のひとつだ。でも、恋愛となると話はまるで別だ。サイン一つで物事が進む世界に慣れているせいか、相手の気持ちを察して一歩踏み出すのが極端に苦手。書類上の「意思表示」は明確でも、心のやりとりには慣れていない。先日、たまたま再会した同級生とのLINEも、返信をどう返すか5回ぐらい読み返して、結局「また飲もうね」で既読スルーされて終わった。登記の専門家としての自分と、恋においては未だに素人のままの自分。そのギャップがどんどん大きくなっている気がする。

書類は揃っているのに、なぜか心が空白

登記の依頼を受けると、まず必要書類を確認する。委任状、印鑑証明、住民票。すべてが揃えば、あとは粛々と処理を進めるだけ。しかし、人の心にはそうした“添付書類”がない。好きな人が何を考えているのか、何を求めているのか、読めない。先日、ちょっと好意を寄せていた事務局の方がいた。でも雑談以上の関係にならず、気づけばその人は他の士業の先生と付き合い始めていた。彼の方が積極的だったのだろう。「申請しなければ、何も始まらない」――それは登記だけじゃなく、恋も同じだったのかもしれない。

登記簿は読めても、LINEの文面には迷う

法務局で登記簿を読んでいて、内容に迷うことはほとんどない。何が書かれているか明確で、読み解く力には自信がある。でも、LINEの一文。「うん、今度ね」――この言葉が脈アリなのか、社交辞令なのか、まったくわからない。仕事では“解釈”する力を問われるけれど、恋愛になるとその能力はほぼゼロになる。文字通りの意味でしか受け取れず、相手の気持ちを想像する余裕がない。たまに「ちょっと冷たいかも?」なんて言われることもあるが、本人は真剣に考えて送っているのだ。

「了解です」の一言に込められた温度がわからない

「了解です」――この言葉は業務連絡では便利だけど、プライベートで返されると冷たく感じることがある。逆に、自分がその言葉を使って誰かを傷つけているのかもしれない。司法書士としては効率的であることが重要視されるけれど、人との距離感には温度が必要だ。ある時、ある女性から「あなたって感情が読めない」と言われた。そのときは意味がわからなかったが、今思えば、“冷たい”のではなく“感情の表し方が不器用”だったのかもしれない。

恋愛の「法定相続人」になれない日々

相続の案件を扱うと、「法定相続人」の範囲は法律で明確に決まっている。血縁や婚姻関係があれば、自動的にそこに名前が載る。でも現実の恋愛には、そんな保証はない。どれだけ想っても、相手が同じ気持ちでなければ、名前すら挙がらない。自分がどこにも属していない感覚。見えない“家族の輪”の外側に、ずっといるような感覚。そんな疎外感を、ふと夕方の事務所で感じることがある。

誰かの心に入り込む“資格”は、持っていないのか

司法書士は資格がなければ仕事ができない。毎日その“資格”に救われている。でも恋愛には“資格”がない。自信、行動力、ユーモア、外見…そうした曖昧な“資質”が求められる。自分にはそのどれもが不足している気がしてしまう。だから一歩踏み出せない。過去、思い切って想いを伝えたことが一度あった。結果は「ありがとう、でも友達としてなら」。資格を持っていても、それだけじゃダメな世界があることを痛感した。

恋の依頼はいつも未登記、そして未申請

恋をするたびに、「これは登記できない案件だな」と思うことがある。気持ちを伝えないまま終わる関係は、まるで未登記の土地のように曖昧で、誰にも所有されないまま取り残される。相手の気持ちがわからず、声をかける勇気も出ず、そのまま関係が自然消滅。そんな未申請案件が、心の中にいくつも積み重なっている。事務所のファイル棚には整理された書類が並ぶ一方で、自分の感情の棚は、ぐちゃぐちゃのままだ。

仕事は信頼されるのに、人としては距離を置かれる

「先生、助かりました」「さすがですね」――お客様からの言葉はうれしい。でも、そこには常に一定の“距離”がある。仕事としての評価は受けても、プライベートで「もっと話したい」と思われることは少ない気がする。人に頼られることと、人に近づかれることは、まるで別物なんだと最近ようやく気づいた。

「先生」って呼ばれるたびに、どこか虚しい

「先生」と呼ばれるたびに、心の中にちょっとした虚しさが広がる。職業としての敬意を持たれていることはありがたい。けれど、ひとりの人間として見られていない感覚がそこにある。婚活の場でさえ、相手から「先生って固そう」とか「真面目すぎそう」と敬遠されることもある。職業がそのまま自分の人格のように見られるのは、正直つらい。

尊敬と好意の違いを知った瞬間

ある女性と食事をして、いい雰囲気になったと思った。その後、「○○先生ってすごい人ですよね」と言われてうれしかったが、それ以上の関係にはならなかった。後日、その女性は別の人と付き合い始めたと知った。尊敬されていることと、好かれていることは違うのだと痛感した。書類の正確さでは埋められない、人と人との“温度差”がある。

相談相手にはなれる。でもその先には進めない

人生相談のような内容を話されることもある。自分が信頼されている証拠なのかもしれない。でも、その信頼が“恋愛感情”に変わることはほとんどない。あくまで安全な存在、リスクのない相手。そんなふうに見られている気がする。仕事では信頼され、頼りにされる。でも、その先には進めない。ずっと「安全な距離」の外側にいる。そんな自分に、最近は諦めにも似た感情が芽生えている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。