人に追われる仕事が一番きついと思う日

人に追われる仕事が一番きついと思う日

数字のプレッシャーより心にくるもの

司法書士という仕事は、もちろん期限や報酬といった「数字」にも追われる。でも、それよりもきついと感じるのが「人に追われる感覚」だ。依頼者、関係各所、取引先、そして事務員さん。自分を取り巻く人々の感情に神経をすり減らす日々。元野球部だったころ、スコアに追われる試合よりも、ベンチからのプレッシャーがつらかったのと同じ。正確にやるだけじゃ許されない、人の気持ちに配慮しすぎて、いつの間にか自分の気持ちは置き去りになっていた。

ノルマは機械的だけど人は感情的

数字は冷たい。でもその分、ルールがはっきりしている。期限があって、それを守ればOKというゴールが見える。ところが人間関係には「正解」がない。どれだけ丁寧に説明しても、相手の不機嫌が解消されなければ「対応が悪い」と言われる。こっちは法律に従って動いているだけなのに、相手の感情がルールを上書きしてくることもある。まるで試合中に突然ルールが変わるようなもの。こっちはずっと走ってるのに、ゴールが逃げていく。

数字ならやり直せるけど人間関係はこじれる

登記で数字を間違えたら修正申請をすれば済む。でも、一度こじれた人間関係はそう簡単に戻らない。「感じが悪かった」と言われれば、それが事実のように一人歩きする。仕事の質ではなく、印象で評価される悔しさ。特に地方の小さな事務所では噂も広がりやすく、一つのミスが後々まで響く。修復にかかるエネルギーは、書類一式を一から作り直すよりもはるかに重い。

苦情は数字よりもずっと後を引く

一番つらいのは、理不尽なクレームに対しても笑顔で対応しなければいけないときだ。たとえば、法務局の処理が遅いのに「まだですか」と責められる。本当は「そっちが遅いんだよ」と言いたい。でも言えない。我慢して頭を下げる。終わった後に一人事務所でコーヒーをすすりながら、「なんで自分が怒られなきゃいけないんだ」と心がざらつく。そのざらつきが夜まで取れず、翌朝にも残っている。数字は終われば消えるけど、苦情は心に残る。

こなしても感謝されない現実

全力で仕事を終えても、「ありがとう」と言われることはあまりない。むしろ、何も言われなかったときのほうがマシで、「遅かった」「こんなに費用がかかるの?」と文句を言われると、達成感はゼロになる。数字をクリアしても、人の期待に届かない限り、仕事としては「失敗」とされてしまう。誰かの基準で評価される毎日。その基準がいつもぶれていて、自分の中の芯も揺らいでしまう。

依頼者に怒られないようにすることがゴールになる

本来は「手続きを正確に完了させること」が司法書士の役割のはずだ。でもいつしか、「怒られないように動くこと」がゴールになっている。依頼者の顔色を伺いながら、メール一通にも神経をとがらせる。これでは本末転倒だと思いながらも、現実は理想を許してくれない。自己防衛が日常になり、仕事の本質を見失いそうになる瞬間が増えた。

数字は減るけどクレームは溜まる

タスク管理アプリには「完了」のチェックが並ぶ。でも、心の中のクレームフォルダには未読のままの怒りやモヤモヤが増えていく。しかも、それは一つずつ積もっていく。まるで未処理のデータのように心に溜まっていき、ふとした瞬間にフリーズする。数字的には今日も頑張ったはずなのに、全然報われた感じがしない。それが、人に追われるつらさだ。

人の感情に仕事が巻き込まれる苦しさ

司法書士の仕事は法律に基づいているはずなのに、感情に支配される場面が本当に多い。仕事そのものというより、その周りにある「人」の感情に仕事ごと巻き込まれていく。書類よりも空気を読む時間のほうが長いと感じる日さえある。感情に左右される仕事は、想像以上に疲れる。

どんなに正確に処理しても喜ばれない

完璧な処理をしても、「そうですか」と一言で終わることが多い。逆にちょっとでも遅れると大騒ぎになる。まるで、料理を出すのが1分遅れただけで怒られるラーメン屋の店主になった気分だ。誰にも気づかれない努力。だけど失敗だけは目立つ。その不公平さが、静かに精神を削っていく。

完璧にやっても遅いと言われる

完了した登記を提出したとき、「で、いつ終わるんですか?」と詰められる。法務局の混雑状況を説明しても、「他ではもっと早かった」と返される。何が「正解」なのか、わからなくなることもしばしば。こっちは時間をかけてリスクを潰してるのに、スピードだけで評価される。こんなに理不尽なことがあるかと、机を叩きたくなる日もある。

無理な要求にNOと言えない弱さ

「なんとか今日中にできますか?」その一言に、断れない性格が発動してしまう。無理だとわかっていても、「頑張ってみます」と答えてしまう。その結果、自分が残業し、事務員さんに気を遣い、全体が疲弊する。強く断れる人間になりたい。でも、「優しさ」と「断れなさ」の間で揺れながら、また今日も引き受けてしまう。

事務員の負担も気になって眠れない

一人で事務所を回すには限界がある。事務員さんの力がなければ成り立たない。でも、頼みすぎると申し訳なくなるし、何も頼まないと自分が潰れる。その狭間で毎日悩んでいる。事務員さんが遅くまで残っていると、それだけで罪悪感。家族でもないのに、こんなに気を使ってしまう自分が情けない。

頼ることと押し付けることの間で揺れる

仕事を任せると、「これくらい自分でやるべきだったかな」と思ってしまう。でも、全部自分でやると「もう限界だ」と感じる。そのバランスが本当に難しい。事務員さんに頼んだ後、夜になって「今日は負担をかけすぎたかな」と反省する時間が長い。そんな自問自答が頭の中でぐるぐる回る。

結局全部自分でやってしまう

あれこれ考えすぎた結果、「もう自分でやったほうが早い」となってしまう。それが積み重なると、深夜までの残業が当たり前になる。身体がきつくても、「誰にも迷惑をかけてないから」と自分を納得させてしまう。でもそれは、優しさではなく、弱さの裏返しだったのかもしれない。

追われる日々から少し離れるために

ずっと追われ続けていると、自分がどこに向かっているのかもわからなくなる。数字に追われるより、人に追われていると感じるほうがずっとしんどい。でも、そんな毎日から少し距離を置く方法もあるはずだ。まずは「ちゃんとつらいと思っている自分」を認めることから始めてみようと思う。

優しさだけでは潰れてしまう

誰かの期待に応えようとするあまり、自分をないがしろにしてしまう。それを「優しさ」と思っていたけれど、実は自分を守るスキルを持っていないだけだった。本当に優しい人は、自分もちゃんと大事にしている。だからまず、自分を一人の依頼者だと思って、いたわってやろうと思う。

感情に巻き込まれすぎる性格の限界

人の機嫌に敏感な性格は、時に武器になる。でも、仕事ではそれが自分の首を絞めることもある。「そこまで気を遣わなくていいよ」と言われても、気にしてしまう。けれど、それで自分が壊れたら意味がない。少し鈍感になる勇気も、仕事には必要なのかもしれない。

人に優しくするには自分にも優しく

「誰にでも優しく」なんて無理だ。でも「自分にも優しくすること」は、誰にでもできるはずだ。美味しい昼ごはんを食べるだけでもいい。疲れたら休む、愚痴を言う、SNSを見ない。そんな小さなことからでいい。優しくするのは、他人よりもまず自分から。それをようやく実感できてきた。

愚痴を言う場所を持つことの意味

弱音を吐ける場所があるだけで、心の重さは半分になる。誰かと飲みに行けなくても、ノートに書くだけでも違う。自分の心を少しずつ解放することで、次の日もなんとか頑張れる。昔の仲間と電話で話したとき、「お前の愚痴、相変わらずだな」と笑われたけど、その一言が救いだった。

一日一愚痴でも誰かと分かち合えるなら

毎日一つずつでも、誰かに聞いてもらえるなら、それだけで救われる。「また言ってるよ」と思われてもいい。笑いながら聞いてくれる人がいるだけで、今日の終わり方が変わる。愚痴は甘えじゃない。心のメンテナンスだ。

愚痴の先に答えが見えることもある

ただの愚痴だと思っていた言葉の中に、意外と本音やヒントが隠れていることもある。「なんでこんなことやってるんだろう」とつぶやいた先に、「じゃあ何をやりたいんだろう」と考え始めることがある。愚痴は、自分を振り返るための言葉かもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓