カレンダーだけが季節を教えてくれる日々

カレンダーだけが季節を教えてくれる日々

季節の変化を感じなくなった頃に

この仕事を始めてから、季節というものがずいぶんと遠くなった気がする。昔は、風の匂いで春を感じ、夕暮れの早さで秋の訪れに気づいていた。今は、ただただカレンダーがめくれる音だけが、季節の移ろいを告げてくれる。事務所の壁にかかった風景写真が、唯一の季節感を与えてくれる存在になってしまった。正直な話、少し寂しい。だけど、これが司法書士という仕事の現実でもある。

カレンダーの風景写真だけが教えてくれる

壁にかけた企業からもらったカレンダー。1月は雪景色、4月には満開の桜、7月には海と花火、そして10月には紅葉。けれど、それらの風景は現実のものではなく、ただの印刷物。私はその風景の中を歩くこともなく、見上げるだけで季節を消化している。今日が暑いのか寒いのかも、エアコンの設定温度でしか判断できなくなった。窓の外をじっくり眺める時間さえ、最近はほとんどない。

桜も紅葉も、気づけば終わっていた

毎年、桜の開花予報がニュースに流れるけれど、「あぁ、今年も見られなかったな」と思うのが常だ。通勤の途中で少し見える桜並木も、車を走らせる一瞬の中で通り過ぎていく。紅葉も同じ。誰かのSNSの投稿で「あれ、もう紅葉の時期なんだ」と気づかされる。休日にのんびり散歩する気力なんて、正直残っていない。書類と締切に追われる日々では、風景を愛でる余裕すら奪われていくのだ。

季節は、毎日のタスクの向こう側にある

登記や書類作成のスケジュールが詰まってくると、自然と一日が「業務の締切」で分断されるようになる。今日が何月何日かは把握していても、それが春か秋か、肌感覚ではわからない。ふと気づくと、長袖が必要になっていたり、汗をかきながら駅まで歩いていたりする。「ああ、今って夏なんだな」とカレンダーと気温で知る日常。季節というものは、目の前のタスクを片づけた先にある、そんな気がする。

司法書士の仕事は季節に逆らって流れる

この業界では、季節の流れに身を委ねるなんて甘いことは言っていられない。法務局は祝日以外は開いているし、お客さんの都合も年中無休。気温が何度だろうと、登記の締切は待ってくれない。まるで季節に逆らって、逆流しているような感覚。昔は春が好きだった。今は、春も夏も秋も、書類と一緒に流れていく。四季は、紙の中でしか確認できなくなった。

年度末は春を忘れさせる

特に年度末。3月は、新生活に備えた登記依頼や法改正対応の相談が押し寄せてくる。気がつけば、卒業式も入学式も通り過ぎていて、春の訪れを祝う余裕なんてどこにもない。事務員が「桜、咲いてましたよ」と気軽に話してくれるのが唯一の救いだ。私にとっての春は、机の上の納期表と、法務局の混雑状況に埋もれている。

真夏の登記簿と冷房の効きすぎた部屋

夏になると、事務所は冷房で冷えすぎるほど冷やしている。機械の熱と書類の山、それを処理する頭脳のフル稼働に耐えるためだ。外の蝉の声も、熱中症アラートも、遠くの話のように感じる。夏らしいことといえば、事務所に来るお客様が麦わら帽子をかぶっていたくらいか。私自身は、夏祭りにも海にも、縁がない生活を十年以上続けている。

年末調整と雪景色はいつも同時にやってくる

年末になると、少しだけ季節を感じる瞬間がある。それは雪が舞う朝、事務所の前の駐車場が凍っていたり、郵便局の人が手袋をしていたりするときだ。でも同時に、その季節は年末調整や登記納めで猛烈に忙しくなる時期でもある。クリスマスも大晦日も、事務所では単なる営業日の延長。除夜の鐘よりも先に、「今年の登記は全部片づいたか」の確認が優先されるのが現実だ。

季節感のない日々に差し込む小さな気づき

それでも、時々、ふとした瞬間に「季節」というやつが顔を出すことがある。たとえば、事務員が持ってきた差し入れが梨だったり、柿だったり。あるいは、お客様が「寒くなりましたね」と言ってくれたり。そんな小さな言葉や行動が、私の心にぽつんと灯をともしてくれる。人とのやりとりの中にこそ、季節は生きているのかもしれない。

事務員の「もうすぐお盆ですね」がありがたい

私の事務所には、若い女性の事務員がひとりだけいる。彼女が「もうすぐお盆ですね」とぽつりとつぶやくたびに、「ああ、そうか」と我に返る。忙しさに飲み込まれている私にとって、彼女の何気ない一言が、季節のリマインダーになっている。コンビニのおにぎりや冷やし中華、彼女の服装の変化まで、私は彼女を通して季節を間接的に感じている気がする。

コンビニのおでんと蝉の声が一致しない違和感

ある年、8月の終わりにコンビニに入ったら、おでんが始まっていた。外はまだ蝉が鳴いていたのに、店内はすっかり秋の装い。そのギャップに思わず笑ってしまった。司法書士の仕事もそうだ。世間の「季節」と、業務上の「季節感」がずれていて、違和感だらけだ。でもその違和感が、少しだけ季節を思い出させてくれるから、嫌いじゃない。

元野球部のくせに、夏が一番苦手

学生時代は野球部で、夏が来るたびにグラウンドに出ていた。でも今は、夏が苦手だ。外回りでスーツを着て汗だくになるし、車の中がサウナのようになる。昔の「青春の夏」はもうどこにもなくて、今あるのは「汗と書類と渋滞」。夏休みという概念もない。高校球児たちが汗を流す姿をテレビで見ると、なんだか別世界の話に思えてくる。そんな自分に、少しだけがっかりする。

それでも、事務所は止まらない

季節感がなくても、仕事が止まることはない。誰かの人生の節目を支えるのが司法書士という仕事だ。だから、こちらが疲れていようが、季節を感じていようが、関係ない。納期は迫るし、相談は途切れない。休みたいと思う日もあるが、今日もパソコンに向かい、法務局に書類を出す。そんな日々が続いている。

季節の感傷よりも、申請期限の方が優先される

書類の提出期限、法務局の受付時間、顧客対応のスケジュール。そうした“現実”が、すべてに優先される。感傷にひたる時間があれば、1通でも多く登記申請を出すのがこの業界の常識だ。けれど、そんな忙しさの中で、ふとカレンダーの写真に目が止まると、「もうこんな時期か」と立ち止まりたくなる瞬間もある。それは私がまだ人間でいられている証かもしれない。

僕たちは誰かの人生の裏側を支える立場

相続、売買、贈与、会社設立――司法書士の仕事は、誰かの人生の大きな出来事に寄り添う仕事だ。でもその裏側には、膨大な書類と確認作業、そして見えないプレッシャーがある。表舞台には立たないが、陰で支えるのが我々の役割。だからこそ、季節を感じる余裕がなくなるのも当然なのかもしれない。それでも、誰かの一助になれていると思うから、今日もまた机に向かう。

書類に追われながらも、心のどこかで季節を待っている

そんな日々の中でも、心のどこかでは季節を待っている自分がいる。春には桜を、夏には夕立を、秋には虫の声を、冬には湯気の立つ鍋を。小さくてもいい、そんな“季節らしい何か”を、毎日の中にひっそりと探している。事務所のカレンダーをめくるたびに、そんな自分の願いに気づかされるのだ。

同じように季節を忘れているあなたへ

この記事を読んでくれているあなたも、きっと同じように忙しい日々を送っているのだと思う。司法書士であれ、他の職業であれ、頑張り続ける人は、季節を味わう余裕さえなくなってしまうものだ。だけど、そんな人ほど、ほんの少し立ち止まってほしい。カレンダーの写真を見て「綺麗だな」と思うだけでも、心がほんのり温まるかもしれない。

愚痴をこぼしながら、それでも続けている人たちへ

私自身、日々の愚痴をこぼしながら仕事を続けている。文句を言っても、結局やるのは自分だし、誰かが代わってくれるわけでもない。でもそれは、あなたも同じだと思う。愚痴を言えるということは、まだ力が残っている証拠かもしれない。弱音もまた、仕事の一部だ。そう思えば、少しだけ気が楽になる。

カレンダーを見るだけでも、今日は少し立ち止まってもいい

もしあなたがこの記事を読んで、「ああ、自分も同じだな」と思ったなら、今日は少しだけ立ち止まってほしい。仕事の手を一瞬止めて、事務所のカレンダーを眺めてみてほしい。そこに写る風景は、あなたが通り過ぎてしまった季節かもしれないし、これから迎えるものかもしれない。ほんの数秒でも、その季節に心を寄せられたなら、今日という日は少しだけ違う意味を持つと思う。

季節を忘れて働くすべての人にエールを送りたい

季節を感じることができないほど働いているあなたへ。忙しさに流されて、感情を置き去りにしているあなたへ。私もそうだからこそ、共感できるし、あなたの頑張りに心からエールを送りたい。無理をしないで、でも今日も一歩ずつ進んでいきましょう。カレンダーは来月も季節を教えてくれるから、大丈夫。あなたも、ちゃんと季節の中にいる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓