朝の登記相談と妙な違和感
「抵当権を設定したいんです」と、少し緊張した表情の青年が言った。午前10時、事務所のカーテン越しに差し込む光が眩しい。いつものようにサトウさんが応対し、必要書類を確認していく。
青年の名前は片桐ユウタ。不動産業者が間に入っているわけでもなく、個人間の抵当設定とのこと。最近、こういう妙な案件が増えている。
抵当権設定の依頼人が残した一言
「これで彼女も俺の気持ちに気づくはずです」——そう言い残して青年は去っていった。なんのこっちゃ、と思いつつも、どこか引っかかる。「気持ち」と「抵当」が繋がることなど、この業界では聞いたことがない。
サトウさんが何も言わずに眼鏡をクイッと上げた。あれは「変なヤツですね」のサインだ。俺は黙ってうなずいた。
サトウさんの冷静な一言が刺さる
「シンドウ先生、あの書類の書き方、明らかに素人じゃないですよ」彼女はそう言いながら、委任状の文字を指差した。確かに、登記原因や登記識別情報の記載があまりに正確すぎる。
「やれやれ、、、」と思わず漏らした。妙に胸騒ぎがした。これはただの恋愛ごとじゃない。
謎の電話と消えた登記事項証明書
午後2時、事務所に無言電話がかかってきた。3回鳴らして切れる。5分後、また同じ。そういえば、あの青年が帰ったあと、申請用の登記事項証明書が1通消えていた。
俺の机の上には、サザエさんのカツオよろしく書類をどこかに飛ばしてしまう自分への呆れが残る。でも今回は、俺じゃなかった。
シュレッダーの音は何かを隠す
その夜、ゴミ箱の中から半分だけ焼けた紙片を見つけた。内容は「住宅ローン返済の覚書」。そして、「担保物件の提供は愛の証」——気持ち悪いけど、見覚えのあるフォントだった。
サトウさんがシュレッダーの下から残骸を組み立てていた。どうやら証明書を誰かが意図的に破棄したらしい。
住宅ローンか恋の罠か
翌朝、管轄法務局に連絡すると、すでに仮登記が入っていたことが判明した。しかも申請者は片桐ユウタではなかった。第三者が登記簿を操作しようとしている?それとも恋の駆け引きか。
「愛と法務の交差点ですね」サトウさんの皮肉に俺は返す言葉を失った。
抵当権の目的物が語る過去
物件を調べると、元々は老舗の和菓子店だった。今は廃業し空き家に。その持ち主は、片桐の元恋人の父親。なるほど、家族ごと巻き込んでるってわけか。
どこかで聞いた話に似ている。ルパン三世がモナリザを盗むと見せかけて、じつは肖像画の裏の暗号を追っていたような、そんな話だ。
元所有者の証言と破られた契約書
元恋人の父親は俺の訪問に驚いたようだったが、事実を隠すつもりはなかった。「あの子は、自分の想いを形にしたかっただけです」と、彼は苦笑しながら契約書を差し出した。
そこには手書きで「愛の保証人」というふざけた肩書が記されていた。
サザエさんに学ぶ家庭の闇
この国の家庭にはいろんな形がある。フネがしっかり者に見えて、じつはサザエより奔放な一面があるように。表面だけじゃ、わからない。
「登記の世界も似たようなものですね」と、サトウさんがつぶやいた。
波平的存在の消印と動機
不自然な郵送物の消印は、数日前に片桐が地方の簡易裁判所に出向いた日と一致していた。どうやら、恋のもつれから彼は自らの登記権限を誇示するために法的手段を使おうとしていたようだ。
それは愛というよりも、支配に近い執着だった。
ワカメ的秘密に気づいた瞬間
サトウさんが見つけたのは、元恋人からの簡素なメモ。「愛してる。でもそれとこれとは別」。彼女は自分の意思で関係を絶ち、父親の物件を登記から守ろうとしていたのだ。
つまり、真に守られるべきだったのは心の境界線だった。
再訪した依頼人の態度の変化
片桐が再び訪れたのは、事件がほぼ終わった翌日だった。彼は何も言わず、キャンセル申請書だけを机に置いた。俺は黙って受け取った。
「僕にはまだ早かったんです、恋も、登記も」彼はそうつぶやいた。
やれやれ疲れるけど嫌いじゃない
疲れた。けれど、心地よい疲れだ。「やれやれ、、、」とつぶやきながら、俺は机の上を片付け始めた。外は夕暮れ、うっかりシュレッダーにかけかけた書類をサトウさんが引き止める。
「先生、それ、まだ提出してません」
登記原因証明情報の落とし穴
あの申請書の登記原因の記載、よく見ると日付が一日ずれていた。危なかった。登記官に突っ返されるところだった。
やっぱり俺はうっかり者だ。でも最後は何とかなる。たぶん。
真犯人は恋に落ちていた
この件における真犯人は、登記でも契約でもなく「恋心」だった。甘さと脆さが、彼を法のギリギリのラインまで追い詰めた。
けれどそれは、誰にでも起こりうることなのかもしれない。特に独身で、恋とは無縁の俺には。
抵当権設定の理由が愛だったとしたら
「彼女を担保にしたかったんじゃなくて、自分の覚悟を証明したかったんでしょうね」サトウさんの言葉が沁みる。
そうだとしたら、彼の設定したかった抵当権は、愛そのものだったのかもしれない。
心に記された登記の証
法務局の記録にその愛は残らなかったけれど、俺の心の片隅にはちゃんと記録された。少しだけ、温かい気持ちになった。
「サトウさん、今日はカツ丼でいいか?」と聞いたら、彼女は「唐揚げなら」とだけ返した。
事件の終息とほろ苦い午後
案件が終わり、静けさが戻ってきた事務所で俺は一息ついた。カーテン越しの光が少し秋めいて見える。
誰かの恋が終わり、誰かの人生が少し動いた。司法書士の仕事は地味だけど、ときどき人の心にも触れる。
法務局のベンチで一人考える
次の案件の打ち合わせまで時間があったので、久しぶりに法務局の前のベンチに座ってみた。背中に西日があたる。
恋と登記、似てるようで全然違う。でも、どちらにも「証明」は必要なのだ。
サトウさんの塩対応と微かな微笑み
帰り道、サトウさんが「今日の報告書、もう送っておきました」とそっけなく言う。けれど、その横顔にはほんの少しだけ、笑みが浮かんでいた。
俺は何も言わず、心の中でつぶやいた。「やれやれ、、、」