ストレス解消法が仕事の愚痴だけになっていた日々

ストレス解消法が仕事の愚痴だけになっていた日々

自分でも気づかぬうちに愚痴が口癖になっていた

「最近、口を開けば愚痴ばかり言ってるな」とふと気づいたのは、ある日の夕方だった。事務所に一人残り、書類の山を見つめながら、「なんで俺だけがこんなに…」とつぶやいていた。その瞬間、自分の声が妙に耳に残った。司法書士という仕事は黙々と一人で向き合う時間が長い。誰かに頼れる環境ではないし、田舎という土地柄、気軽に話せる同業者もいない。そうやって自分の中に溜まっていくものが、自然と愚痴という形でしか外に出せなくなっていたのだ。

元は野球部だった自分がこんなに弱っているなんて

高校時代、真夏のグラウンドで声を張り上げていた元野球部の自分が、いまや誰にも聞かれない独り言ばかり。あの頃は体力も気力も有り余っていて、どんな練習も「なんとかなる」と笑えていた。でも今は違う。朝の開業準備から夜の相談対応まで、終わりの見えない仕事に追われる日々。気がつけば、疲れをごまかすために愚痴ばかりを吐いていた。野球の試合で負けても翌日には走ってたあの自分は、いったいどこへ行ってしまったのか。

「体を動かせばスッキリする」では済まない疲れ

たまに運動でもして気分転換を、とランニングをしてみるものの、スッキリするどころか膝が痛くなる始末。年齢とともに疲労の回復も遅くなり、「動けば何とかなる」という理屈が通じなくなっているのを実感する。運動後の爽快感よりも、「明日の業務に支障が出たらどうしよう」という不安のほうが勝ってしまう。昔は筋肉痛すら勲章のように誇っていたのに、今はただのリスクに変わってしまった。

愚痴をこぼせる相手がいないという現実

友人は県外に出て家庭を持ち、飲みに誘える相手もいない。事務員に話すわけにもいかず、そもそも愚痴を言っても何も変わらないことはわかっている。けれど、言わなければ気持ちが押し潰されそうで、結局は一人部屋で独り言をつぶやいている。「疲れた」「しんどい」と、テレビもつけずに。愚痴を言うことで孤独が癒されるかと思いきや、余計に寂しさが増すという悪循環だ。

ストレスの行き場がなくなる地方の司法書士

都会のようにカウンセリングや自助グループの場があるわけでもなく、同業の集まりも数ヶ月に一度。日々の悩みを共有する場がほとんどない。田舎で開業する司法書士は、良くも悪くも「一人親方」。誰かに頼ることは甘えとされ、弱音を吐く場所すら見つからない。結局は事務所にこもって、自分の頭の中で悩みを堂々巡りさせるしかないのが現実だ。

相談される側が相談できない職業

相談に来る依頼者は、自分の悩みを真剣に打ち明けてくれる。でもその裏で、こちらは誰にも自分の悩みを話せない。「先生」と呼ばれることに慣れてしまったが、本当はただの普通の人間。ときには誰かに「大丈夫?」と聞いてほしいのに、そんなことは夢のまた夢。専門職であるがゆえに、「弱さ」を見せると信用に関わるという不安がつきまとう。

事務員には言えない本音

一人で雇っている事務員は真面目でよく働いてくれているが、だからこそ本音は話しにくい。「仕事がつらい」とか「辞めたいと思う日もある」なんて、口が裂けても言えない。言ったところでどうしようもないし、相手を困らせるだけだ。結果、無理に笑って仕事をこなし、夜になるとため息の連続。こんなにも誰にも話せない職業だったのかと、あらためて実感する。

愚痴が増えるとどうなるか

愚痴を言うこと自体は悪いことではない。だが、それが日常の中心になってしまうと、気づかぬうちに人生が灰色になっていく。いつも何かに怒っていて、常に不満を抱えている自分を見て、「このままでいいのか?」と感じるようになった。ストレス発散のはずが、むしろ心の疲労を積み重ねていたという事実に気づいたとき、自分がかなり危険な地点にいると悟った。

愚痴ることで一時的に楽になるという誤解

愚痴を言うと、たしかにその瞬間はスッとする。だがその快感は長続きしない。むしろ「また言ってしまった」という罪悪感が残り、翌日の自分を苦しめる。「前にも同じこと言ってたよな…」と、自己嫌悪に陥る。愚痴は解決ではなく、一時的な逃避にすぎない。けれど、そのことに気づかないまま繰り返すことで、さらに深くストレスに沈んでいく。

本当に欲しかったのは共感ではなく安心感

誰かに共感してもらいたくて愚痴をこぼす。でも実際に欲しかったのは、「自分は大丈夫」と思える安心感だった。相手が頷いてくれても、自分の中に安心がなければ、また愚痴は繰り返される。本当は自分自身が自分を肯定しないと、何を言っても何をしても満たされないのだ。そのことに気づいてから、自分の態度も少しずつ変わり始めた。

「またか」と言われる恐怖と孤立

何度も同じ話をしていると、自分でも「また言ってる」と思ってしまう。そして、聞いている相手の顔色をうかがい、「もうこの話はしないほうがいいかも」と思い始める。こうして徐々に話せる人が減り、気づけば誰にも言えない状況になっていた。最初はストレス解消のためだったはずが、いつの間にか孤立を生む原因になっていたのだ。

愚痴だけに頼らないための試み

抜本的な改善はすぐには無理でも、「愚痴以外のストレス解消法」を少しずつ探すようになった。自分にとってのリセットポイントを増やすことで、愚痴に逃げない習慣を作る。ほんのわずかな工夫が、気分を変えるきっかけになるとわかってからは、試すことそのものが小さな楽しみになった。問題はすぐに解決しなくても、気持ちの持ちようが変わるだけで日々は軽くなる。

一人でできる小さなリセット習慣

たとえば、昼休みに事務所の近所を10分だけ散歩する。それだけで思考の流れが変わる。お気に入りの豆で淹れたコーヒーを一口飲むことで、心がふっと緩む。そういう小さなルールを「自分だけのご褒美」として設定してみた。誰にも気を遣わず、誰かの評価も関係ない、そんな時間があるだけで、愚痴に頼らず済むようになってきた。

散歩とコーヒーの15分ルール

「もうダメだ」と感じたときは、15分だけ外に出る。近所の川沿いを歩き、ベンチでコーヒーを飲む。この15分だけは、スマホも見ず、何も考えない。実際には簡単なことだが、これを習慣にすることで、心の緊張が少しずつほどけていく。短時間でも「自分を整える時間」を意識的に取ることが、愚痴の量を減らす第一歩になった。

日記という名の一人会議

夜、寝る前に5分だけ日記を書く。といっても、立派なことは書かない。ただ「今日は何がつらかったか」「何が嬉しかったか」を素直に書き出す。誰にも見せない紙の上なら、安心して本音をぶつけられる。それを繰り返すうちに、少しずつ自分の感情と距離をとれるようになった。愚痴は口に出すより、紙に書いたほうが心には優しい。

愚痴る前に立ち止まるという選択

愚痴を言いそうになったとき、「それ、本当に今言うべきか?」と一度自分に問いかけるようにしている。その問いを挟むことで、無意識の愚痴を減らすことができた。感情に飲まれる前に、一瞬でも立ち止まることができれば、少しずつ思考の癖も変わっていく。毎日は変えられなくても、自分の反応は変えられるという感覚が、少しだけ心を軽くしてくれる。

本当に疲れているのはどこかを見極める

身体が疲れているのか、気持ちがすり減っているのか、それを見極めるだけでも対処は変わってくる。体なら休息、心ならケアが必要。どちらも無視して愚痴に頼ると、どんどん状況が悪化する。だからまずは、「自分は今、どこがつらいのか?」と冷静に確認する。この習慣が、自分を助ける鍵になった。

口に出す前に紙に書いてみる

言葉にする前に、いったん紙に書いてみる。たったそれだけで、意外と気持ちが整理される。書いてみて「こんなことで悩んでたのか」と笑えてくることもあるし、逆に深刻さに気づくこともある。どちらにせよ、無意識に愚痴をこぼすより、ずっと建設的だ。話すより書くほうが、気持ちの整理には向いているというのが最近の気づきだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。