名変依頼の違和感
古びた家屋にまつわる登記相談
雨上がりの午後、事務所にやってきたのは、顔色の悪い中年の男だった。持参した資料は雑に折れ曲がり、なぜか封筒には香水のような匂いが染みついていた。彼の口から出たのは、ある古い家の名義変更の依頼。だが、提示された書類にどこか違和感があった。
委任状に残された異質な筆跡
書類の中の委任状は整然と書かれていたが、そこに記された署名だけが異様に力強く、他と比べて浮いていた。まるで別人が書いたような違和感。筆跡鑑定士ではないが、毎日書類と向き合っている職業柄、違和感には敏感になる。「サトウさん、これ……なんか変じゃない?」そう問いかけると、彼女は眉ひとつ動かさず言った。「変ですね」。
依頼人の不可解な沈黙
説明を避ける男の態度
「この書類、いつ手に入れたんですか?」と訊いても、男は「先月です」とだけ言い、細かい経緯を語ろうとしなかった。なにかを隠しているのは明白だった。こちらがさらに突っ込もうとすると、「とにかく、早めにお願いします」と視線を逸らした。
過去の登記簿に記された真名
管轄法務局から取り寄せた登記簿謄本の旧情報には、明らかに女性の名前が記載されていた。相続による名義変更ならば、家族関係の資料が必要なはずだが、それが一切なかった。「この女性、ご存じですか?」と尋ねたときの、男の沈黙がすべてを物語っていた。
サトウさんの冷静な指摘
旧筆跡との不一致
「シンドウさん、この前の贈与登記の件、覚えてます?」とサトウさんが言った。彼女が引っ張り出したのは、2年前に別の案件で使われた同姓同名の女性の署名がある書類だった。「筆跡、まったく違います」。まるで名探偵コナンの蘭姉ちゃんばりに冷静な指摘。ゾッとしたのは、すぐにだった。
過去の名義人に残された仄かな痕跡
調査を進めるうち、家屋の名義人だった女性は3年前から行方不明になっていた。遺体も見つからず、事件性なしで処理されていたが、家族からは「絶対におかしい」との証言も取れていた。まるでキャッツアイに盗まれたように、記録から女性の存在が薄れていた。
現地調査の予想外の発見
取り壊された建物の下にあったもの
「現場に行ってみましょう」とサトウさんに言われ、渋々車を走らせた。着いたのは、基礎だけを残して更地になった土地。その一角、土の中に埋もれるようにして見つかったのは、古いハイヒールと、燃えかけの手帳だった。手帳には「たすけて」の文字がかすかに読めた。
遺族が語った失踪事件の真実
被害女性の妹に連絡を取ると、兄のように慕っていた親族が最近急に距離を取り出したという。話を聞けば聞くほど、今回の依頼人と合致する人物像が浮かび上がってきた。遺族は「姉がそんなふうに消えるはずがない」と涙ながらに語った。
名義変更の裏に隠された動機
相続ではなく口封じ
すべてのピースがつながった。依頼人は名義人の女性を殺害し、その死を隠蔽した上で財産を手に入れようとしていたのだ。相続を装った登記ではない、犯罪隠蔽のための名義変更だった。司法書士の業務は時に、こんな闇にも接する。
真実を知る者が次に狙われる
登記申請を遅らせる理由を並べていると、事務所に不審な電話がかかってきた。「早く進めてくださいよ」と、低く抑えた声。こちらが黙っていると、電話の向こうの男は「困るんですよ、先生……」と、はっきり言った。やれやれ、、、ついに牙をむいたか。
サザエさん的すれ違いからの突破口
うっかり押印ミスが導いた真相
依頼人が持参した印鑑証明書には、別の名前が印刷されていた。シールで貼り替えられていたのだ。「シンドウさん、まさかとは思いますが……」とサトウさんが無言で差し出した資料。そこには本物の依頼人の名前と、住所が一致しないという決定的な矛盾が記されていた。
封筒の差出人と不在の証明
さらに確認すると、登記に必要な返信封筒の差出人欄には、なんと女性の筆跡が使われていた。行方不明の女性本人の字で書かれたと思われる日付は、失踪後のものだった。つまり、その封筒は偽造されたか、あるいは……生存の可能性すらあったのだ。
犯人の正体とその過去
故意の名変による資産隠し
すべての証拠が揃った。警察に情報を提供し、男は詐欺未遂および殺人未遂の容疑で逮捕された。彼は過去にも名義を利用した資産の横領歴があり、それがバレないよう死んだ者の名を使って資産を移動させていた。今回はそれが裏目に出た。
登記簿が証人になる瞬間
紙と印鑑で構成される登記簿は、時にもっとも雄弁な証人になる。過去の名義、申請の足跡、すべてが動かぬ証拠だ。司法書士として関わったのは偶然だったが、その偶然がひとつの命を守る結果につながったのだと信じたい。
司法書士の一手
供述書の作成と証明の重み
最終的に自ら作成した供述書と証拠資料をもとに、刑事事件への協力を行った。司法書士にここまで求められるとは思っていなかったが、放っておけなかった。サトウさんに言わせれば「また面倒な正義感が出た」らしいが、これが自分のやり方なのだ。
やれやれ、、、ようやく終わったか
警察署から戻ってきた日の夕方、湯飲みの茶は冷めていた。「やれやれ、、、ようやく終わったか」と呟くと、サトウさんは一言、「まだ報告書、全部終わってませんよ」と。背筋に冷たいものが走った。事件より怖いのは、彼女のチェックなのかもしれない。
事件の終焉と事務所の日常
コーヒーと塩対応といつもの午後
次の日、いつもの時間に事務所を開けると、机の上には無言で差し出されたチェック済みの書類束。小さな文字で「もう忘れないでくださいね」と書かれていた。コーヒーを啜りながら思った。「ま、事件がない日は退屈だけど、事件があると胃が痛いな」。
次の依頼もまた一筋縄ではいかず
数分後、インターホンが鳴った。「名義がなぜか自分の父親になってまして……」という声が聞こえてきた。やれやれ、、、。今日もまた、何かが始まる気がしてならない。