「一人が楽」と言い聞かせて、今日もまたキーボードを叩いている
「一人が楽」と言い聞かせるようになったきっかけ
誰かと一緒にいたいと思わなくなったのは、いつからだったろうか。人付き合いに疲れたわけでもないし、誰かに傷つけられたわけでもない。でも、気がつけば「一人が楽だ」と自分に言い聞かせるようになっていた。昼休みにコンビニの駐車場でカップ麺を啜る瞬間、自分の世界だけが静かに流れているあの感覚に、どこか安心している自分がいる。だけどそれは、楽をしているというより、誰とも関わらないことで心を守ろうとしているだけなのかもしれない。
最初は「気楽さ」に救われた
開業して間もない頃、事務所には自分しかいなかった。人を雇う余裕もなければ、交際する気力もなかった。そんな毎日でも、自分だけのペースで働けるのは確かに心地よかった。誰に指図されるわけでもない。昼食を取る時間も、資料をまとめる順番も、自分の好きなように決められる。「これが自由ってやつか」と、少しだけ得意になった。けれど、それはあくまで最初のうちの話だった。
でもそれって、本当に“自分の意思”だった?
「一人が好き」と公言するようになってから、どこかで“強がってるな”という感覚が拭えなかった。本当は誰かに相談したい時だってある。悩みを共有したい夜もある。でも、それを口に出すと負けた気がした。地方の小さな事務所で、45歳独身。周囲に弱音を吐いたら、「だから一人なんだ」と思われそうで、誰にも本音を話せない。結局、誰かといたい気持ちに蓋をしているだけなのに、「一人が楽だから」と自分に言い聞かせて、今日もまた、孤独な日々を選んでいる。
他人と関わるのがしんどくなった理由
人付き合いが嫌いなわけではない。でも、心を開くのが怖くなった。期待して、がっかりして、また傷ついて、という繰り返しにうんざりしたのだ。司法書士という仕事柄、色んな人と関わる。それ自体は嫌いじゃない。でも、業務外で誰かと深く関わることに、心がブレーキをかけてしまうようになった。昔はもっと素直だった気がするのに、今はすっかり人見知りだ。
人間関係に疲れた過去のトラブル
若いころ、同業の仲間と事務所を共同で運営したことがある。最初は刺激的だった。情報を共有し合い、支え合ってやっていけると思っていた。けれど、報酬や責任のバランスで意見が食い違い、やがて空気が悪くなっていった。最終的に関係はこじれ、自分は一人事務所に戻った。あの経験が尾を引いているのかもしれない。もう、他人に振り回されたくない。だから一人が楽だと、そう思うようになった。
職場の人間関係と、距離感のむずかしさ
今は事務員さんが一人いる。とても助かっているし、感謝もしている。でも、仕事の線引きをどこまで引くか、距離感は常に気をつかう。世間話ひとつにしても、踏み込みすぎないようにとか、無関心になりすぎないようにとか、神経をすり減らす。「ちょうどいい距離」なんて幻想かもしれない。だからこそ、仕事以外では誰とも関わりたくない、という気持ちになっていく。
「いい人」でい続けることの消耗感
依頼者には笑顔で接する。トラブルにも冷静に対処する。そういう“司法書士としての顔”を保つためには、自分の感情を押し殺す場面が多い。感情を出せない毎日を送っていると、だんだんと本来の自分がどこにいるのかわからなくなる。「いい人」を演じているうちに、本当にそれが自分の人格だと思い込もうとする。でも、ふとした瞬間に虚しさが込み上げてきて、誰かに本音を言いたくなるのだ。
孤独と自由はセットだった
独立して自由になったと思っていた。でも、それと引き換えに孤独も抱えることになった。朝、出勤しても誰もいない事務所。報告する相手も、雑談する同僚もいない。自由であることが、こんなにも孤独を伴うとは、開業当初は考えていなかった。心をすり減らしながらも、誰にも助けを求めない。それが「一人でやっている」という誇りと紙一重だった。
気楽さの裏に潜む“誰にも頼れない”現実
事務所のトラブルが起きても、最終的な判断はすべて自分だ。誰かに「これで合ってる?」と聞けない。孤独には自由と責任がセットでついてくる。自分の決断ひとつで、依頼者の人生も左右する。だからこそ、誰かに背中を押してほしいと思う瞬間もある。でも、その誰かがいない。そういう時、「一人ってやっぱりしんどいな」と心の奥で思っている。
自由って…こんなに虚しいものだった?
休日にふと思い立って出かける自由。食べたいものを食べ、見たいものを見て、誰にも文句を言われない。たしかに、それは自由なのだろう。でも、同時に虚しさもある。見た景色を共有する相手がいない。感じたことを口に出せる人がいない。ひとり旅の楽しさも、誰かに聞いてもらえなければ記憶が風化していく。自由って、孤独に耐えられる人のためのものなんだと痛感する。
少しだけ、誰かの共感に救われたい
「一人が楽」と言い聞かせながらも、本当は誰かと心を通わせたいと思っている。だから、こうして言葉にして残しておきたくなったのかもしれない。自分のように、誰にも弱音を吐けずにがんばっている人が、どこかにいる気がして。そんな誰かと、ほんの少しでも「わかる」と思い合えたら、それだけで少しだけ心が軽くなるのかもしれない。
一人で頑張る人にしかわからない孤独の重さ
愚痴を言えない。頼れない。泣けない。そんな日々を送っている人ほど、外では明るく振る舞っている。自分もその一人だと思う。でも、そんな“がんばりすぎる人”が、この世のどこかで少しでも報われる瞬間があると信じたい。誰かと同じ気持ちを抱えていると思えた瞬間、自分の存在をほんの少し肯定できるから。
同じような日々を生きるあなたへ
もしあなたが、今まさに「一人が楽」と言い聞かせているなら、それはきっと、優しさの裏返しだと思う。他人に迷惑をかけたくない、傷つけたくない、そんな想いがあなたを孤独にしているだけで、本当は誰よりも繊細で、誰かと分かり合いたい人なのだと。だからどうか、自分を責めないでほしい。そんな自分を、少しだけ認めてあげてほしい。