いつの間にか、誰にも心を開けなくなっていた 〜司法書士の独り言〜

いつの間にか、誰にも心を開けなくなっていた 〜司法書士の独り言〜

誰にも話せないことが、年々増えていく

気づけば、人と深い話をしなくなっていた。いや、正確には、したくてもできなくなっていたのかもしれない。地方で司法書士をしていると、仕事の悩みや愚痴を吐き出す場が驚くほど少ない。業界の横のつながりはあってないようなもので、相談できる同業者も近くにはいない。事務員さんにだって、愚痴をこぼすわけにはいかない。だから、胸に抱えたまま静かに埋もれていく言葉が増えていった。

「忙しいから」で片付けてきた感情

たぶん、本当は話したいことなんて山ほどある。でも「忙しいから」と自分に言い聞かせて、無理に流してしまう。それは言い訳であり、同時に自衛でもある。話すことで感情があふれ出しそうになるのが怖いから。小さなトラブルや、心がすり減るようなやりとりも、「仕事だから仕方ない」と思うことで乗り切ってきた。だけど、そうやって片付けた感情は、どこかに消えるわけじゃない。蓄積して、いつか自分を押しつぶす日が来る気がしてならない。

小さな違和感にフタをする日々

たとえば、お客様からの何気ない一言に傷ついたとき。たとえば、行政の対応に理不尽さを覚えたとき。以前なら、同業者に「今日こんなことがあってさ」と軽く話せていた。でも今は、誰にも話さない。わざわざ言うほどのことでもないし、どうせ理解されないと思っているから。そうやって心の中の小さな違和感にフタをしているうちに、自分の感情そのものがどんどん鈍くなっていったような気がする。

心を開くという行為が、いつから怖くなったのか

昔はもう少し、無邪気だった。大学時代の友人とは夜通し話し込んだこともあったし、同期とは仕事の愚痴を笑い合えた。でも今は違う。話すこと自体が疲れる。言葉を選んで、表情を気にして、それでも誤解されるリスクがある。そう思うと、最初から話さない方が楽だと感じてしまう。そして、心を開くということは、期待することでもある。期待すれば裏切られる。そう思ってから、距離を取るようになった。

最初に裏切られた記憶が、今も残っている

今でも覚えている。開業して間もない頃に信頼していた同業者に、相談した内容を別の場で勝手に話されたことがある。悪意があったわけではないのかもしれないが、そのとき感じた恥ずかしさと怒りは今も忘れられない。あの瞬間、「もう二度と大事なことは口にしない」と心のどこかで決めたように思う。裏切りは大げさかもしれないけれど、それ以降、自分のことを話すのが怖くなった。

「分かってもらえない」って思うのは甘えか?

「誰も分かってくれない」って思うのは、甘えなんだろうか。そう自問することがある。でも、本当にそうだろうか。努力しても報われない現実や、専門職ゆえの孤独感は、なかなか周囲には伝わらない。たとえ親しい人であっても、「大変だね」と言って終わりになる。だからつい、「分かってもらえないなら話す意味がない」と思ってしまう。だけど、心のどこかでは、やっぱり誰かにわかってほしいという気持ちも、まだ消えていない。

説明することに、もう疲れてしまった

司法書士という仕事の細かさや責任の重さは、説明しないと伝わらない。だから誰かに悩みを打ち明けようとしても、まず「仕事ってどんな感じなの?」から始まってしまう。説明して、理解してもらって、それからようやく本題に入れる。でも、そこにたどり着く前に疲れてしまう。だから最初から話すのをやめてしまう。自分の世界に閉じこもるのは、そうやって少しずつできあがった防衛反応だ。

誰かと向き合うより、仕事に逃げた方が楽だった

本音を言えば、人と向き合うことが怖い。どこかで嫌われるんじゃないか、否定されるんじゃないかという不安が拭えない。だから、目の前の仕事に没頭するようになった。少なくとも、書類は裏切らない。登記は感情を求めてこない。完了すれば成果になるし、感謝される。人間関係に比べれば、ずっとわかりやすい世界だ。

一人で完結する作業は、心地よくもある

登記の処理や相続の書類作成は、一人でじっくり取り組める。その静かな時間が、今の自分にはちょうどいい。誰かに気を使わずに済むし、失敗しても自分で修正できる。これは一種の逃げかもしれない。でも、逃げる場所があることが、今の自分をギリギリ保ってくれている気もする。時々ふと、誰とも関わらずに一日が終わっていることに気づいて、ちょっとだけ怖くなることもあるけれど。

事務所の空気に、誰かのぬくもりはない

朝から晩まで事務所にいるけれど、笑い声が響くことはない。事務員さんは真面目で助かるけれど、雑談するような関係でもない。だから、コーヒーを入れたときの湯気や、窓の外の風景に癒されるようになった。人のぬくもりじゃなくて、無機質なものに安心を感じている自分が、少し寂しい。でも、それが今の自分にとっては「ちょうどいい距離感」なんだと思う。

それでも仕事は回るし、感謝もされる

誰とも深く関わらなくても、仕事は回るし、依頼者からは「ありがとう」と言われる。孤独でも、それなりに社会的に評価されている実感はある。だけど、それが満たされない何かを埋めてくれるわけではない。心の奥にある空白は、誰かとの関わりでしか埋まらないと、頭ではわかっている。だけど、踏み出す勇気が出ない。ただそれだけなのだ。

「優しいね」って言われるのが、しんどい理由

「○○さんって優しいですね」って言われると、なんだか苦しくなる。それはたぶん、優しくあろうとすることで、本当の自分を押し殺してきたから。怒りたいときも、寂しいときも、笑ってやり過ごしてきた。その結果、「優しい人」という仮面ができあがった。でも本当は、そこに誰も気づいてくれないことが、いちばんしんどい。

優しさで自分を守ってきた

優しくしていれば、嫌われることはない。そう信じて生きてきた。だからつい、無理してでも笑顔を作ってしまう。でも、それは同時に、自分自身を守るための鎧でもあった。傷つくくらいなら、最初から心を開かなければいい。そんな考えに慣れてしまった結果、誰かと深く関わることがどんどん遠ざかっていった。

誰にも嫌われないために、本音を飲み込む

本音を言えば、たまには怒りたいし、弱音も吐きたい。でも、そんなことを言えば、めんどくさい人間だと思われるんじゃないかという恐怖がある。だから「まあ、いいですよ」とか「大丈夫です」と言ってしまう。それを何年も続けていたら、本音を言うタイミングさえわからなくなってしまった。そして気づけば、誰にも心を開けなくなっていた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。