心が空回りしてる気がする日々

心が空回りしてる気がする日々

誰にも迷惑かけてないのに疲れる理由

朝から晩まで働いて、誰かに迷惑をかけたわけでもない。むしろ人一倍、気を遣って、丁寧に、正確に、こなしている。それなのに、なぜこんなにも疲れるんだろう。自分の中だけで空回りしてるような感じ。誰にも怒られていないし、失敗もしてない。だけど、気持ちが削れている。そんな日が、この仕事を始めてから何度もあった。がむしゃらに走っているのに、走ってる方向が合ってるのか不安になるような、そんな感覚だ。

努力してるのに報われない日常

昔から、努力は報われるって信じてた。野球部時代、毎日素振りをして、泥だらけになって練習して、最後はレギュラーを勝ち取った。あの頃は、「頑張ったら結果がついてくる」と思えていた。でも司法書士になってからは違った。登記を急いでも、丁寧に対応しても、「ありがとう」すらないことがある。むしろ「遅い」と言われることだってある。努力が見えない仕事。見えないまま消えていく日々が、気持ちをどんどん空回りさせる。

手続きは完璧なのに感謝されない現実

登記の手続きは、法律に基づいて正確に行う必要がある。だから神経をすり減らして、何重にもチェックしている。だけど、その苦労は表に出ることはない。依頼人には「やって当然」と思われてる。完璧にやるのが当たり前の世界。たまに「助かりました」と言ってもらえると、それだけで泣きそうになる。ほんの一言で救われることがあるって、自分でも驚くくらいだ。

お客様のために動いてるのに空振り

「この日までに終わらせてほしい」と言われれば、無理をしてでも調整する。でも、そういう日に限って必要書類が揃わなかったり、別件で急な対応が入ったりする。必死に段取りしても、結果的に「遅かった」と言われることもある。相手のために動いてるのに、伝わらないことの虚しさ。空振り三振が続くような気持ちで、心が摩耗していく。

優しさが仇になる瞬間

「気にしすぎだよ」と言われることがある。でも、それが性分だから仕方ない。依頼者の気持ち、事務員の体調、書類の誤字…全部気にして、気を遣って、気づけば自分がすり減っている。優しさが自分を苦しめることになるなんて、想像もしてなかった。

「そこまでしなくていい」と言われる切なさ

何かをやりすぎると、「そこまでやらなくていいよ」と言われることがある。それは一見、優しい言葉のように思える。でも、自分の中では「もう少しやってあげたい」という気持ちがあって、それを否定されたような気にもなる。良かれと思ったことが、誰にも届かない。そんな瞬間が、静かに心を削る。

事務員にも気を使って疲弊する日々

うちの事務員は本当に頑張ってくれている。でも、少し体調が悪そうな日や、仕事でミスした日には、つい自分が気を遣いすぎてしまう。「大丈夫?」「無理しないで」と声をかけながら、自分のタスクは山積み。結局、自分が限界まで頑張ってしまう。優しさを振りまいて、誰よりも疲れているのは自分だった。

司法書士という仕事の見えない孤独

この仕事、外から見れば堅実で安定しているように思われる。でも実際には、孤独との闘いだ。事務所にこもって書類と向き合い、人と話すのは依頼者との最低限の会話だけ。心を交わすような会話はほとんどない。黙って、黙々と、毎日が過ぎていく。

会話してるのに一人ぼっち

依頼者との会話もあるし、電話もメールもある。だけど、そこには心の交流がない。言葉は交わしているけれど、相手の表情や温度を感じることはほとんどない。仕事上のやり取りをしているだけ。誰かと一緒にいるのに、ずっと独りでいるような感覚。それがじわじわと、心の中に染みついていく。

「話す」はあっても「分かり合う」はない

最近ふと思ったのは、「話すこと」と「分かり合うこと」は全く違うということ。仕事の内容や段取りの話はできても、こちらの不安や苦しさまでは伝えられない。たとえ伝えても、「大変ですね」で終わってしまう。心が通い合うことの少なさが、この職業のしんどさを倍増させている気がする。

事務的なやり取りが感情を削る

「印鑑ください」「確認お願いします」「はい、登記完了です」…そんな言葉が一日の会話のほとんどだ。相手を責めているわけじゃない。でも、ずっとそんなやり取りばかりだと、自分が人間というより業務処理マシンのような気がしてくる。感情が、少しずつ削り取られていくのを感じる。

誰にも相談できない専門職の壁

同じ業界の仲間がいれば話せるんだろうけど、地方で一人事務所だとそれも難しい。どこまで話していいのか、愚痴をこぼす相手がいない。「こういうの、他の人はどうしてるんだろう」って思っても、誰にも聞けないまま自己完結してしまう。

愚痴をこぼせる同業がいない

仕事の話って、家族や友人にはなかなか伝わらない。だからこそ、同業者とのつながりが欲しい。でも、意外とそういう機会がない。会っても、名刺交換して終わり。愚痴や弱音を吐ける相手がいないことが、孤独の一因になってるのは間違いない。

強がりの仮面が外せない

「なんとかやってますよ」って言ってしまう癖がある。本当はキツいし、泣きたいときもあるのに。強がって笑うことで、周囲には安心を与えられるかもしれない。でも、それって結局、自分に嘘をついてるだけなんじゃないかって思う時がある。

空回りを自覚した日の夜に思うこと

何もかもうまくいかない。努力も報われない。そんな日、布団に入ってもなかなか眠れない。思考がぐるぐる回って、自分の空回りっぷりが頭から離れない。

ベッドの中で考えが止まらない

寝る前になると、なぜか一日を振り返ってしまう。そして、あれこれ後悔が浮かんでくる。「あの言い方、まずかったかな」「あの案件、もっと早く進められたかも」…考えても仕方ないことばかりが頭を占める。気がつくと1時間、2時間と経っていて、ただ疲れがたまっていく。

「自分って何やってるんだろう」とつぶやく癖

独り言のように、ベッドの中で「自分って何やってるんだろう」ってつぶやくことがある。それを言ったところで何が変わるわけでもない。でも、そうでもしないと、この空回りの感情をどこにも出せない。自分に問いかけることで、少しだけ気持ちを整理しているのかもしれない。

寝る前にスマホを眺めるだけの虚無

眠れない夜は、なんとなくスマホを開いてSNSやニュースを眺める。でも、そこに心が動くわけじゃない。ただの時間つぶし。ただの現実逃避。空っぽの時間が、さらに空回り感を増幅させていく。

元野球部の自分なら頑張れるはずと思いたい

高校時代、どれだけ負けても、何度でも立ち上がった。泥だらけになりながら、みんなで声を掛け合って、心をつないでいた。あの頃の自分なら、きっと乗り越えられる。そう信じたくて、今日も自分を励ましている。

バットを振り続けた日々とのギャップ

昔は、目に見える努力が結果に繋がった。筋トレ、素振り、ノック。それができなくても、仲間が励ましてくれた。今は違う。努力が見えにくい。結果が曖昧。そして一人きり。でも、自分で選んだ道だ。あの頃のように、バットを握りしめるように、書類に向き合っていく。

仲間がいた頃の記憶が支えになる

試合に負けた日、ベンチで泣いたことがある。悔しくて、情けなくて。でも、仲間が肩を叩いて「次がある」って言ってくれた。あの一言に救われた。それを思い出すたびに、今の自分にも「次がある」と信じたくなる。

それでもまた朝が来るから

疲れていても、眠れなくても、朝は来る。どんなに空回りしている気がしても、昨日よりちょっとだけマシに感じられたら、それでいい。

自分をなだめて一歩ずつ

毎日100点じゃなくてもいい。60点でも、30点でも。とにかく今日を終える。それだけで十分だと思えるようになった。自分に優しくなれないと、誰にも優しくできない。だから、まずは自分を責めるのをやめよう。

今日は昨日よりちょっとマシでいい

完璧じゃなくていい。昨日よりほんの少しでも前に進めたら、それで充分。たとえば、1枚書類を仕上げた、電話に丁寧に出られた、そんな小さなことでいい。自分を許すことが、空回りから抜け出す第一歩かもしれない。

書類一枚でもやれたら自分を褒める

誰も褒めてくれないなら、自分で自分を褒める。「今日は登記完了できた」「あの書類、よく頑張った」…それだけでもいい。些細な成功を、自分で認めていく。そうすれば、また少し前に進める気がする。

誰かの共感が救いになる瞬間

この文章を読んでくれる誰かが、「あ、自分も同じかも」と思ってくれたら、それが自分にとっても救いになる。誰かと気持ちがつながることで、空回りも少し和らぐ。

この文章も、誰かの力になるかもしれない

愚痴みたいな文章でも、誰かが読んで共感してくれたら意味があると思う。自分の弱さを出すことで、他の人が少し楽になれたら、それだけで報われる気がする。

「分かる」と言ってもらえることの価値

「分かるよ」って言葉ほど、救われるものはない。この文章が、同じように心が空回りしている誰かに届いて、「自分だけじゃなかった」と思ってもらえたら、それがこの文章を書いた意味だと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。