努力してるのに、誰も見てくれない。それでも続けますか?

努力してるのに、誰も見てくれない。それでも続けますか?

ひとり事務所で積み重ねる、誰にも気づかれない日々

「今日は誰とも会話してないな」と気づく夕方、ようやく湯を沸かしてインスタントの味噌汁をすする。そんな日が、月に何度かある。地方の司法書士事務所、事務員と自分の二人きり。相談が立て込む時期もあれば、まるで時が止まったような日もある。自分が黙々と処理している相続登記や抵当権抹消の書類は、誰かの生活を守っているかもしれない。でも、ほとんど誰にも気づかれない。

「お疲れ様」もないまま、日が暮れる

会社員時代、少なくとも「お疲れさまです」と誰かに言ってもらえる瞬間があった。今は違う。誰にも言われない。事務員の彼女は淡々と仕事をこなすタイプで、別に悪い人じゃないんだけど、必要なこと以外ほとんど話さない。今日の仕事を終えて、灯りを消す瞬間、「今日の自分、なんだったんだろう」って思うことがある。正直、寂しい。

静かな部屋に鳴り響く、プリンターの音だけ

不動産の登記簿を印刷しているときのプリンターの音だけが、静まり返った事務所に響いている。窓の外からは風の音と、たまに車の通る音。そんな中で、自分だけがカタカタとキーボードを叩いている。たとえばこれが大都会のど真ん中なら、また違う孤独だったのかもしれない。でも田舎だと、孤独に加えて「誰にも知られずに消えていく感じ」がある。

努力が評価されるのは、ほんの一握り

司法書士の仕事って、結果が出た時にはすでに完了してることが多い。登記が完了しても、それが「当たり前」だと思われてる。むしろトラブルになった時だけ注目される。「ちゃんとやって当然」という空気。努力したことより、何も起きなかったことに意味がある。でもその「何も起きなかった」は、こちらの必死の裏側の上に成り立っている。

登記ミスゼロよりも、電話の一本で評価が決まる現実

たとえば、こちらがどれだけ丁寧に書類を作って、ミスなく登記を完了させても、「当たり前でしょ」と思われるだけ。でも、ひとつ電話対応をミスっただけで、「感じ悪い先生だった」と言われてしまう。仕事の本質じゃない部分で評価が決まることが、なんともやるせない。実力より印象。それが人間社会なんだろうけど、それにしても不公平だ。

誰も知らない「地味すぎる手続き」にも命かけてる

司法書士の仕事には、「そんなことまでやるの?」ってくらい細かい確認がある。たとえば、書類の一文字の違いが、法務局での補正対象になる。登記識別情報の記載ミスなんて、誰かにバレたら信用問題だ。でもそんな綱渡りを、毎日当たり前のようにこなしてる。裏方の世界の努力は、表に出ることなく、静かに土に還っていくような気がする。

感謝されたいわけじゃない、でも無視されるのはこたえる

別に感謝されたいからやってるわけじゃない。そう自分に言い聞かせてきた。でも、やっぱり少しくらい報われたいという気持ちはある。誰かに「すごいですね」とか「助かりました」と言われたら、それだけで1週間は元気でいられる。けど、それがないときは、自分の存在価値ってなんだろうと、急に不安になる。

「それが仕事でしょ」と言われた瞬間のむなしさ

ある日、お客さんから「いや、それってやってもらって当然のことでしょ?」って言われたことがある。こちらとしては、その人のために休日を潰して書類準備をした。あの日の寒い朝、法務局に並んだ記憶までよみがえって、なんだか情けなくなった。プロとして淡々とこなすべきなんだろう。でも、人間だから、心がついていかない日もある。

お客様には見えない努力、でも手を抜いたら終わる

お客様には見えないけど、契約書の一語一句を読み込んで、怪しい表現を潰したり、法改正に合わせて書式を調整したり、地味だけど重要な作業が山のようにある。そういう努力があるから、トラブルが起きない。でもそれに気づく人は少ない。だからこそ、自分が自分の努力を認めないと、心がやられてしまうのだと思う。

それでも、続けてしまう理由

毎日のように「もうやめたい」と思うのに、翌朝にはまた事務所の鍵を開けてる。この仕事が、嫌いなのか好きなのか、自分でもわからない。でも、何かを守っているような感覚はある。誰にも見えない小さな守り人として、ここに立ってる。たぶん、それだけが、自分を支えてる。

「辞めたい」が口癖なのに、明日も出勤する

「俺、もう限界かもしれん」って思いながら寝るけど、翌朝になれば普通にコーヒー淹れて、メールチェックしてる。なんだかんだで習慣になってる。習慣が人を生かすのか、縛るのかはわからないけど、自分はこの仕事にしがみつくことで、自分を保っているのかもしれない。

辞めなかった過去の自分に救われる日もある

ふとした時に「この仕事やっててよかったな」と思うことがある。お客様が涙ぐんで「本当に助かりました」と言ってくれたときとか。そういう一瞬のために、何年も踏ん張ってきたのかもしれない。報われない日々の中に、たった一滴の温もり。それが、自分の背中を押してくれる。

司法書士だけじゃない、「見えない努力」をしている人へ

このコラムを読んでくださってるあなたも、きっと誰かのために見えない努力をしてるんだと思う。報われないことばかりでも、それでも前に進んでいる。それって、すごいことだ。世の中には、表舞台で拍手を浴びる人だけじゃなく、誰にも見えない場所で誰かを支えている人がいる。その尊さは、誰よりも自分が知ってる。

誰かの役に立ってるかもしれない、という仮説でしか支えられない

実際のところ、自分の仕事が誰かの人生を変えているかどうかなんて、確信は持てない。だけど、「もしかしたら」という仮説だけで、人は意外と頑張れる。それが幻想だとしても、信じることで、今日をなんとか乗り切れるなら、それでいいのかもしれない。

努力は見えない。でも、腐らない

誰にも見られなくても、評価されなくても、ちゃんとした努力は自分の中に蓄積されていく。たとえそれが他人には伝わらなくても、自分自身が一番わかっている。努力は、時間がかかるけれど、腐らない。だから、今日もまた静かに机に向かう。誰にも見えなくても、それが自分の誇りだから。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。