今日もまた、依頼者のことばかり考えてしまう夜

今日もまた、依頼者のことばかり考えてしまう夜

今日もまた、依頼者のことばかり考えてしまう夜

ひとりの夜は、静かすぎる

日が落ちて、事務所の明かりを消した後。誰もいない部屋に戻ってきても、頭の中はまったく仕事モードから切り替わらない。テレビの音はなんだかうるさく感じて、結局つけずにぼーっと天井を見つめている。こんな夜が何度あっただろう。もう何年もこの仕事をしているけれど、夜になると考えてしまうことはいつも似ている。誰かの家族のこと。相続のこと。登記の不備。うまくいったと思っていたあの件の、その後のこと。静寂は、思考を止めてくれない。

電話もメールも鳴らない時間帯

夜8時を過ぎると、ようやく電話もメールも来なくなる。日中は、依頼者からの問い合わせや市役所からの返答に追われ、事務員さんとのやりとりも含めてとにかく雑音が多い。けれど、この静けさが心地よいかといえば、そうでもない。むしろ、その静けさが思考を呼び戻す。今日の対応、あれで良かったのか。あの人、明日ちゃんと納得してくれるだろうか。そんなことを何度も何度も頭の中で反芻する。静けさは、問いかけを大きくしてくる。

それでも頭から離れない“あの案件”

特に気になっているのは、今日書類を渡した依頼者の件だ。年配の女性で、ひとりで相続の手続きをしていて、娘さんとも疎遠らしい。こちらから見れば“よくある事例”だったかもしれないが、本人にとっては一大事だ。最後に「本当にこれで大丈夫でしょうか」と不安げに聞かれたその声が、ずっと耳に残っている。自分は「大丈夫です」と言った。でも、それが本当に最善だったのか、誰にもわからない。自分にしかできなかったのか、誰でもよかったのか。

静寂のなかに残る違和感

そういうとき、なぜか身体は休もうとしてくれない。食欲も中途半端で、風呂に入っても溜め息が出るだけ。目を閉じても、頭の中が静まらない。なぜか、あの人の手元の書類が頭に浮かんでしまう。印鑑の押し方、書き損じの字、手の震え。そのすべてが、自分の中に責任のように残っていく。こうしてまた、誰にも話せない“気にしすぎ”の夜がやってくる。

依頼者の言葉が、ずっと心に残る

司法書士という仕事は、直接「ありがとう」と言われる機会が少ない。けれど、たまに言われるその一言が、逆に重たく響く。「先生、本当に助かりました」。その瞬間、自分が報われたようでいて、同時に“もっとできたかもしれない”という気持ちに襲われる。感謝の言葉に対して、素直に喜べない夜があるのだ。

「先生、ほんとうに助かりました」その一言

この間の相続相談で、依頼者の女性が泣きながらそう言った。正直、自分ではそこまで特別なことをしたつもりはなかった。ただ、当たり前に必要な書類を用意して、期限内に届けただけ。けれど、その人にとっては「人生で一度の不安な時間」を乗り越える支えになったらしい。ありがとうと言われた瞬間、ほっとしたのと同時に、なぜか胸の奥がずしんと重くなった。

責任感と罪悪感の境界線

プロとして当然の仕事をしただけなのに、過剰に感謝されると、自分は“そこまでしてない”という気持ちが芽生える。その感情が罪悪感なのか、謙虚さなのか、自信のなさなのか、未だにわからない。たぶん全部だと思う。そして、自分の中でぐるぐるとその言葉が回り始めて、夜が終わらなくなる。感謝の言葉が、なぜか自分を責める声に聞こえてくる。

「もっとできたかも」の無限ループ

「あの説明、もう少し丁寧にできたんじゃないか」「別の選択肢も提示すべきだったのでは」。夜になると、こうした“やり直しシミュレーション”が頭の中で何度も繰り返される。もはや誰も責めていないのに、自分だけが自分を責め続ける。司法書士という職業は、どこかで自分自身の信頼に頼るしかない。その信頼が揺れると、心の安定も揺らいでしまう。

依頼者の人生に関わるということ

登記や相続の書類は、見た目こそただの紙の束だけれど、その背景には誰かの人生がある。父を失った息子。夫を亡くした妻。長年放置された土地。どれもが、誰かの思い出や痛みと結びついている。それを知っているからこそ、軽く扱えない。だからこそ、夜になるとその「重み」がよみがえってくるのだ。

登記や相続が“その人のドラマ”になるとき

あるとき、空き家となった古民家の登記を依頼されたことがある。依頼者は淡々と「これを片付けたいだけです」と言っていたが、話を聞いていくうちに、その家には父との思い出が詰まっていた。登記は、単なる所有権の手続きではなく、過去との区切りでもある。そのとき、自分が扱っているのは“法律”であると同時に“人の感情”でもあると強く感じた。

言葉では片づけられない重み

「ただの仕事」と言ってしまえばそれまで。でも、自分にはできない。依頼者が少しうつむきながら、そっと封筒を差し出してくるその姿に、何かを感じてしまう。手続きを終えた瞬間に見せる安堵の顔も、ふっと消える笑顔も。そういうものが心に残ってしまうから、夜にまた考えてしまう。依頼者の人生の一部に触れてしまった責任が、胸の奥にずっと残っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。