何年やっても慣れないのは人との別れの瞬間

何年やっても慣れないのは人との別れの瞬間

人と別れる瞬間だけは慣れない

司法書士の仕事をしていると、出会いも多いが、それと同じだけ別れも多い。特に個人相手の仕事が多いと、相続や不動産の登記を通じて深い関係になることも少なくない。それでも、「ありがとうございました」と笑顔で去っていく依頼者の背中を見るたびに、胸の奥にぽっかり穴が開くような感覚に襲われる。慣れない。何年やっても、どうしても慣れないのだ。

感謝を伝えるのがどうしても苦手だ

別れの場面で、もっと感謝を伝えればよかったと後悔することが多い。もちろん「お世話になりました」とか「ありがとうございました」とは言う。でも、それが自分の中では表面的に聞こえてしまう。言いたいことの全部が、喉の奥で詰まって出てこないのだ。自分の性格のせいだと思う。若いころから、人前で素直に感情を出すのが苦手だった。だから今も、人が去っていく瞬間に、自分がちゃんと「ありがとう」を伝えられているか、いつも不安になる。

最後に言葉をかけそびれる自分がいる

特に印象に残っているのは、5年以上うちの事務所に通ってくれていた高齢のご夫婦が、引っ越しを機に最後のご挨拶に来てくれたときのことだ。手土産までいただいたのに、私は「どうぞお元気で」とだけしか言えなかった。本当は「あなたたちのおかげで自分も支えられていました」と言いたかったのに、なんとなくタイミングを逸してしまった。その日一日は落ち込んで、何度もその瞬間を頭の中で巻き戻してしまった。

どんなに気を使っていても、別れ際に悔いが残る

相手に対して失礼なことをしたつもりはない。でも、心の中では「もっとこうすればよかった」という後悔が湧いてくる。たぶんそれは、相手との関係を本当に大切にしていたからだと思う。気を抜いているわけじゃない。でも別れ際というのは、いつも予想より早く、静かにやってくる。準備もなく、その瞬間が来てしまうから、自分の気持ちを言葉にできずに終わってしまうことが多い。だから、何年経っても慣れないのだ。

事務員が辞めるときの心の重さ

小さな事務所だから、事務員一人が辞めるというのは、想像以上に大きな変化だ。たとえば以前、三年勤めてくれた女性の事務員さんが退職したときは、本当に落ち込んだ。忙しさのピークの中で、まさに右腕のような存在だった。その人がいなくなるという事実は、業務的な痛手だけじゃなく、精神的にもズシンとくる。自分に何か足りなかったんじゃないか、もっと良い職場にしてあげられなかったのかと、自問自答が止まらなくなる。

引き留められない自分が情けない

「やめないでくれ」とは言えなかった。次のステップに進むということも聞いていたし、それを応援したい気持ちもあった。それでも、本音では引き止めたかった。だけど立場上、口には出せなかった。結果、笑顔で「頑張ってね」と言いながら、心の中では情けなさと寂しさがごちゃまぜになっていた。後になって、その人のいない事務所の静けさが、やけに堪えたのを覚えている。

次の人を探す気力がすぐには出てこない

辞められた直後は、すぐに次の人を募集する気力も起きなかった。誰かにまた辞められるのが怖いという気持ちもあるし、あの人と同じように信頼できる人が見つかる保証もない。面接して、教えて、慣れてもらうまでの時間とエネルギーを考えると、正直、気が重い。だから今も、人を増やすのにはすごく慎重になってしまう。仕事は増えているのに、自分一人で抱える場面も多くなってしまっている。

長く付き合った依頼者との別れもまた重い

たとえ仕事上の関係であっても、5年10年と付き合ってきた依頼者がいなくなると、喪失感がある。特に相続関係などで、ご家族全体に関わっていたようなケースでは、家族ぐるみの付き合いだったように感じることもある。その人たちの人生の一区切りに立ち会ってきたような感覚があるからこそ、終わりが来るとぐっと寂しさが押し寄せてくる。

相続が終わってから連絡がなくなる寂しさ

相続登記の仕事は、終わればそこで関係も終わることが多い。こちらから連絡する用事もないし、相手も普段の生活に戻っていく。冷静に考えれば当然のことだが、なんだか一方的に切られたような気になることもある。数ヶ月に渡って何度もやり取りを重ねた人が、ぱったり音信不通になる。その空白が、ぽっかりと心に穴を開けるのだ。

依頼者との距離感が絶妙に難しい

仕事としての距離感は保たなければならない。でも、相談を受けるときはとことん寄り添う。だからこそ、関係が終わったときの温度差に耐えられないこともある。こちらが思っているより、相手はあっさりしていることも多い。それは悪いことではない。でも、自分の中にだけ、妙に濃い感情が残っていると、バランスが取れずにしんどくなることがある。

感謝の言葉よりも、空虚感の方が大きい

ときどき「先生にお願いしてよかったです」と言われることがある。それはもちろん嬉しい。でも、そう言われた直後に別れが来ると、胸に残るのは達成感よりも空虚感だったりする。がんばったことが報われたと感じるのに、その瞬間から一気に現実に引き戻される。次の仕事、次の人間関係へと、気持ちを切り替えるのが追いつかないことがある。

仕事は完了しても、気持ちは宙ぶらりん

登記が終わって、書類を渡して、はい完了。それで区切りがつくはずなのに、気持ちだけが取り残される。終わったのに終わってないような感覚。人との関わりって、そう簡単にリセットできないものなんだと、こういうときに思い知らされる。完了のスタンプを押した書類と、自分の気持ちとのギャップが、ずっと頭の中に残る。

別れに慣れないからこそ人に優しくなれる

別れがつらいというのは、決して悪いことではないのかもしれない。自分がその人を大切に思っていた証拠でもある。だからこそ、次に誰かと接するときも、最初から優しさを忘れずにいたいと思える。別れがあるたびに、人への接し方を少しずつ考え直すようになった。

元野球部でもこれは乗り越えられない

根性論で乗り切っていた学生時代とは違う。別れのつらさは、努力や鍛錬ではどうにもならない。打席に立つ前の緊張とは質が違う。どれだけ準備していても、いざそのときが来ると、感情は抑えきれない。自分でもびっくりするくらい弱い部分が顔を出す。そんなとき、自分は本当に人間らしいのだと思い知らされる。

精神論だけではカバーしきれない部分がある

「気持ちの切り替えが大事だ」と自分に言い聞かせても、それができない日もある。別れに伴う心の揺れは、精神論ではどうにもならない部分がある。そういうときは無理に立ち直ろうとせず、静かにその気持ちを受け入れるようにしている。それができるようになったのは、年を重ねたからかもしれない。

だからこそ続けることに意味があるのかもしれない

慣れないということは、常に真剣であるということでもある。惰性でやっていたら、別れにいちいち心を動かされることはないだろう。毎回の出会いと別れに、ちゃんと向き合っているからこそ、つらくても、意味のある仕事だと思える。別れがつらいなら、その分、出会いを大切にすればいい。そう思えるようになってきた。

慣れないことは、手を抜けないことでもある

いつもどこかで身構えている。だからこそ、手を抜かずにやってこれたのかもしれない。慣れたつもりになるより、慣れないことを受け入れて進む方が、自分には合っている気がする。そうやってこれからも、たくさんの出会いと別れを、ひとつひとつ丁寧に受け止めていきたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。