登記簿が語った沈黙の証拠
静かな午後、事務所の扉が軋むような音を立てて開いた。男はスーツに身を包み、どこか所在なさげに立っていた。眼鏡越しにこちらを見る目に、何かを隠しているような翳りが見えた。
「空き家の登記の件で、相談したいことがありまして」
言葉は丁寧だが、何かが引っかかった。こういう時、背筋が少し冷たくなる。長年の勘というやつだ。
謎めいた相談者の訪問
依頼は、一見するとよくある相続登記だった。亡くなった叔父の家を売却するため、名義変更をしたいという。書類も揃っており、特に不審な点はないように思えた。
しかし、違和感はその後にやってきた。「この家、もう何年も前に誰かに貸してたんですよ」と言ったのだ。登記上は空き家だったはずなのに。
貸していた相手の名前は不明、連絡先も不明。まるで煙のような存在だった。
空き家の登記に潜む違和感
物件調査を進めるうちに、登記簿に不自然な点を見つけた。名義人である叔父は、数年前に死亡しているのに、その直前に「仮登記抹消」がされていた形跡があった。
普通、仮登記抹消は売買などが成立した際に行うものだが、その日付がどうにも合わない。叔父はその頃、すでに寝たきりだったという話だ。
「本人の意思確認、取れてたんでしょうかね?」
依頼人の言葉に見えた綻び
再度、相談者に会ってみると、彼の表情にわずかな動揺があった。「いやあ、叔父は元気でしたよ、あのときは」
元気だった?だが、介護認定の記録を調べてみると、入院歴と要介護度が記されていた。それも「寝たきりレベル」で。
「やれやれ、、、。これは普通の相続じゃなさそうですね」
サトウさんの冷静な観察
ここで、うちの切れ者事務員、サトウさんの出番である。パソコンを叩く手を止めることなく、ぼそりと呟いた。
「その男、相続人じゃないですよ。遺言にも名前ないですし」
「え、じゃあ何者?」と聞くと、「登記簿見ればわかりますよ。叔父の兄弟の子、つまり、法定相続人のフリですね」と事もなげに言う。
古い固定資産税通知書の罠
市役所にて閲覧した納税通知書には、数年前から別の住所が記載されていた。通知書の送付先は「山本カズトシ」――聞いたことのない名前だった。
そこでピンときた。もしかすると、そのカズトシこそ、影の登場人物なのではないか。
登記簿と固定資産台帳、それぞれが示す違う名前の意味。それは「不正占有」を意味していた。
通い帳に残された名前
近所の古びた酒屋の女将がぽつりと口を開いた。「あの家ねえ、10年くらい前からカズちゃんが住んでたよ。親戚か何かって言ってたけど」
「カズちゃん」、それが件の山本カズトシか。どうやら、不在地主の家を勝手に使っていたようだ。
その後、亡くなった叔父を語って偽造書類を作成し、名義変更をしようと目論んだ可能性が出てきた。
隣人の証言と真実の食い違い
隣家の老婆はさらに決定的なことを口にした。「あの人、亡くなったって嘘ついて、葬式まで開いたのよ。実際は病院に入ってただけだったのに」
つまり、死亡を装って不動産の手続を進めたのだ。まるで某名探偵漫画のようなトリックだが、現実はそれよりも地味で、なおかつ悪質だった。
「叔父の死後」として提出された戸籍にも不審な書き換えがあった。
登記簿と地図が示す微かな矛盾
地番と家屋番号のズレ。地図で見ると家の位置がわずかに隣接地と食い違っている。これが何を意味するかというと、物件自体が誤って登記されていた可能性だ。
その隙をついて、偽の書類が通ってしまった。手口は稚拙だが、役所の手続きミスも重なっていた。
サザエさんで言えば、ノリスケが波平の印鑑持ち出して遺産を騙し取るようなものである。
消えた名義人と第三者の影
名義人とされた人物は数年前に失踪していたことが分かった。山本カズトシがその人物になりすましていた可能性が出てきた。
戸籍の附票、住民票、全部集めて照合した結果、死亡届自体が偽造されたものと判明した。
ここまでくれば、不動産詐欺の典型的なパターンである。やることはただ一つ、登記を無効に戻すこと。
相続放棄の裏にある動機
本来の相続人が相続放棄をした理由、それは「何かおかしい」と感じていたからだった。書類のやり取りにおいて、明らかに本人確認が曖昧だったという。
結果的に、真の相続人が権利を放棄し、不正者が堂々と家に住み続ける構図が出来上がっていた。
だが、それもここまでだ。
サザエさん方式の詰めの一手
こちらは証拠を揃え、登記官に連絡。提出された書類の不備と齟齬を丁寧に指摘した。無効登記として職権で是正が始まった。
「まるでカツオが悪知恵働かせて波平に怒鳴られる回みたいですね」とサトウさんが毒を吐く。
その通りだ。だけど、その一言に少しだけ救われる。
シンドウのうっかりが導いた核心
実は最初、地番を間違えて別の家の登記簿を取ってしまっていた。でも、そのミスが結果的に地番ズレに気づくきっかけとなった。
「うっかり司法書士の本領発揮ですね」と言われたが、何も言い返せなかった。
やれやれ、、、偶然も実力のうちということで、今日は許してほしい。
サトウさんの一喝と解決の糸口
「とにかく、登記簿は正直ですよ。黙ってるようで、ちゃんと語ってる」
サトウさんの言葉は、事件の核心を突いていた。書類の整合性がすべてを物語る。人間は嘘をつくが、記録は嘘をつかない。
登記簿という名の沈黙の証人が、ついに口を開いたのだ。
明らかになった家族の秘密
最終的に、偽装工作はすべて明らかになり、真の相続人によって家は売却された。詐欺師は刑事事件として捜査が進められている。
「これでやっと、あの家も静かになりますね」とサトウさん。
うん。登記簿の沈黙は、確かに破られたのだった。
司法書士としての静かな勝利
事件が終わった後、私はコーヒーを淹れて、ぼんやりと窓の外を見ていた。蝉の鳴き声だけが響いている。
決して派手ではない。でも確かに、正義はあったと思う。
司法書士として、誰にも気づかれずに、誰かを守ることもある。それでいい。それが、俺の仕事なんだ。