相談される立場でも相談できない現実
司法書士という肩書きのせいなのか、それとも年齢のせいなのか。「頼られる人」というイメージを勝手に背負わされている気がする。実際、相談ごとを持ち込まれることは多い。相続や登記の話から、家庭の揉め事まで。誰かの「困った」を引き受けるたび、こちらの「困った」は飲み込んでいく。気づけば、誰にも話せないことばかりが自分の中に溜まっていた。
先生なら大丈夫ですよねと言われるたびに
「先生なら分かってくれると思って」と切り出されるたびに、なぜか胸が苦しくなる。仕事だから丁寧に聞く。でもそのたびに「自分はどうなんだ」と心の中でつぶやいている。何でも分かる人間のふりをし続けて、もう何年経っただろうか。誰かに「あなたはどうなの?」と聞かれたことなんてない。そもそも、聞かれても困るくらい、自分の話は整っていない。
弱音を吐く余地がない日常
朝から役所を回り、昼は相談者の相手をし、夕方は申請書類の確認。ミスが許されない仕事に身を置いていると、どこかで感情を切り離す癖がついてしまう。疲れたと感じる前に、次の仕事が目の前にくる。事務員には「お疲れさま」と言うけれど、自分に「お疲れさま」と言ってくれる人はいない。たまに言葉をこぼしても、「先生でもそんなことあるんですね」と返されて終わりだ。
頼られるけれど頼れない矛盾
ある日、相談者にこう言われた。「先生って、誰に相談するんですか?」——その一言が胸に刺さった。思わず笑ってごまかしたけど、本当は答えられなかった。頼られることはあっても、自分が誰かを頼ることはない。いや、できないのだ。司法書士は信頼されてこそ意味がある。だからこそ、弱みを見せたくない。でも、その「信頼」という言葉の重さが、いつも自分の肩を押し潰してくる。
事務員さんにすら言えないことがある
ありがたいことに、うちの事務員さんはとても真面目で気が利く。でも、だからこそ愚痴ひとつ言えない。たとえば月末の資金繰りが厳しくなっても、「大丈夫」とだけ言ってしまう。お互い気を使いながら働く関係は、決して悪くない。ただ、それだけじゃ足りない夜もある。誰かに本音を言えたら、どれだけ楽になるだろうと考えるけれど、それができたら苦労はしない。
優しい子だからこそ迷惑はかけたくない
事務員さんはまだ若い。家庭の話をすることもあれば、休日にどこに行ったかを話してくれることもある。聞いているうちに、自分にはそういう「普通の話」がどれだけ減っているかに気づかされる。でも、だからといってこちらから「つらいんだ」と打ち明けるのは違う気がしている。彼女の笑顔を守るために、自分の疲れや弱さは飲み込むしかない。頼れる人ほど、頼れない。
事務所での沈黙に隠された心の声
二人だけの静かな事務所。パソコンのキーボードを叩く音だけが響く午後、ふと「自分、今どうしたいんだろう」と考えると、目の奥がじんと熱くなることがある。別に泣きたいわけじゃない。けれど、誰にも言えないことが溜まっていくと、心の中に音のない叫びが生まれる。誰かに「それ、きついよね」って言ってもらえるだけで、どれだけ救われるか——そんなことを考えている。
書類の山と孤独の山
仕事があることはありがたい。だけど、処理する書類の数と比例するように、孤独の量も増えていく。書類は手順通りに処理すれば終わる。でも、心のもやもやはマニュアルがない。事務処理の山を片づけながら、自分の気持ちだけが取り残されていく。気づけば、机の前で無言のまま数時間が過ぎていることもある。
処理はできても気持ちの整理はできない
登記申請、不動産契約、裁判所提出用書類……日々の業務は多岐にわたる。それをこなすことにやりがいを感じていた頃もあった。でも最近は、処理が終わるたびに虚しさが残る。「で、俺はどうしたいんだ?」と問いかける声が、どこかで聞こえる。気持ちはどんどん奥に押し込まれていく。書類はきれいにファイルに収まるのに、感情はいつまでも片付かない。
机の上の完璧さと心の中の散らかり
整った机、整ったスケジュール帳、整った印鑑の並び。外から見れば「きちんとした人」だと思われるだろう。でも、自分の心の中はどうだろう。焦り、不安、寂しさ——そういった感情が混沌と渦巻いている。だけど、それを整理する術を知らない。だから今日もまた、書類に埋もれることでごまかす。無意識に、感情よりも書類を優先している自分がいる。
仕事はあるのに誰ともつながっていない
ありがたいことに、紹介も多く、仕事は絶えない。でも、仕事と人間関係は別の話だ。依頼者との関係は、期限と報酬で区切られている。案件が終われば、それまで。深く踏み込むことも、踏み込まれることもない。そんな関係が積み重なると、誰とも「本当の意味で」つながっていない感覚に襲われる。
電話は鳴るけどプライベートの通知はゼロ
スマホはよく鳴る。ほとんどが顧客か業者からの連絡だ。LINEやSNSの通知は、何日も鳴らないことがある。高校時代の仲間のグループも、今ではスタンプひとつすらない。だからこそ、たまに着信があっても、どうせまた仕事だろうと画面を見る前に思ってしまう。自分のことを純粋に気にかけてくれる人——それがどれほど貴重な存在か、今になって痛感する。
野球部だった頃の仲間にすら話せない
高校時代、野球部で一緒に汗を流した仲間たち。あの頃は、悩みがあっても笑いながらバカな話をして、翌日には忘れていた。けれど、社会人になって、特に独立してからは、連絡を取るのも億劫になってしまった。今さら「しんどい」なんて言ったところで、「あいつ、どうしたんだ」と思われるのがオチだ。距離を詰めるのが怖くなってしまった。
昔はバカみたいに笑えたのに
夏のグラウンド、白球を追いかけながら無我夢中で叫んでいた日々。あの頃は「笑うこと」に理由なんていらなかった。今は、笑うのに理由が必要になった。無邪気な笑いは、気を張り詰めた毎日には似合わない。気づけば、自分の笑い声がどんなだったかも思い出せなくなっていた。
LINEグループは沈黙がデフォルト
昔の仲間が集まって作られたLINEグループは、今やただの通知のない箱だ。誰かが結婚するときに動きがあっただけで、もう数年は無言のまま。既読スルーが常態化しているその空間に、「元気か?」の一言すら投げられない。既読すら怖くなる自分がいる。
仕事どうと聞かれるのがつらい
久しぶりに会った同級生に「仕事どう?」と聞かれても、答えに困る。「まあまあかな」とか「忙しいよ」とか、適当に濁すけど、実は中身のない会話。それ以上踏み込まれたくないし、自分のことを語れる言葉を持っていないことにも気づく。そうしてまた、会うのが億劫になる。
独身司法書士の夜に積もるもの
夕方に事務所の灯りを消し、一人で部屋に戻る。テレビをつけても、スマホを見ても、何かが埋まらない夜がある。別に結婚したいとか、誰かに尽くされたいとかじゃない。ただ、誰かの声を聞きたくなる夜が、月に何度かある。それだけのことが、こんなにも重たく感じる。
誰かと話したいだけなのに
誰かと一緒にご飯を食べるだけで、どれだけ心が楽になるか。頭ではわかっているけど、実行に移せない。予定が合わない、気を遣わせたくない、そもそも誘える相手がいない。気づけば「また今度」が口癖になり、何年も経ってしまった。孤独は積もっていくものだと、ようやく実感している。
夜中のコンビニが話し相手
コンビニの店員に「ポイントカードはお持ちですか?」と聞かれる声すら、なんだかありがたく思えてしまう夜がある。深夜の明かりにふと立ち止まり、目的もなく棚を眺める。買い物じゃなくて、「誰かの気配」が欲しいだけなんだろうと思う。人恋しいって、こういうことかもしれない。
寝る前のため息が癖になった
布団に入る前に、無意識にため息をついている自分に気づく。その音にすら驚くほど、静かな夜。何も起きていないのに、妙に疲れている。心の奥にたまった言葉たちが、ため息としてしか出てこないのかもしれない。そんな夜は、夢の中でも仕事をしているような気がする。
次の日もまたひとりで頑張るの繰り返し
朝になれば、また変わらぬルーティンが始まる。誰にも見られていなくても、やるべきことは変わらない。「誰かのために」と思って頑張っているけど、「誰か」からの声は届かない。それでも頑張るのが司法書士なのかもしれない。そしてその繰り返しの中で、今日もまた、相談できない話がひとつ増えていく。