商業登記が終わるたびに、静かなため息がひとつ
登記が完了すると、依頼人に「おめでとうございます」と伝えるのが慣習になっている。でも、その言葉を口に出すたびに、なぜか自分の胸に小さな空白が広がる。きっと、これは書類上の「完了」と、自分自身の「未完」が対比されるからかもしれない。司法書士という仕事は、他人のスタートに立ち会い続ける役割だ。しかし、自分自身の人生は、どこに向かっているのか、ふと立ち止まりたくなる。
「おめでとうございます」の裏で
法人設立の通知書を手渡すとき、依頼人はたいてい笑顔になる。その笑顔に応えようと、僕も笑顔を作る。「おめでとうございます」と言うときの声色は、できるだけ明るく、力強くするようにしている。でもその裏で、心のどこかで「この人は新たな一歩を踏み出したのに、自分はどうだろう」と問いかける声が聞こえてしまう。誰かの門出を祝うのが仕事とはいえ、自分自身の門出がなかなか来ないことには、やっぱり寂しさを覚える。
他人の門出に立ち会う日常
この仕事を続けていると、会社の誕生や相続による引き継ぎ、婚姻による名義変更など、あらゆる人生の転機に立ち会うことになる。いわば、人生の節目を代筆し、証明するのが僕の役割だ。でも、自分の節目には誰も立ち会ってくれない。誰かの晴れ舞台を後ろから見送りながら、「そろそろ自分も…」と思ってみるが、現実はそう簡単ではない。
祝う言葉に込められたプロとしての癖
それでも「おめでとうございます」を伝えるときは、必ず丁寧に、真心を込める。それは、自分がどうあれ、相手にとってはかけがえのない瞬間だからだ。プロとしての誇りがある。ただその分、終業後に机の前で一人で食べるコンビニのパンが、やけに無味乾燥に感じることもある。祝った分だけ、自分が空っぽになるような気がする日もある。
自分の人生、どこかにハンコを押し忘れていないか?
法人設立登記を何百件も経験してきたけれど、自分の人生設計書にはまだ「ハンコ」を押せていないように感じる。計画も、段取りも、進行表もないまま、なんとなく毎日が流れていく。ふと、ふり返ってみても「これが俺の人生の登記簿だ」と言えるような項目は少ない。誰かに証明してもらうわけではないけれど、自分で自分を見つめ直す必要があるのかもしれない。
今日も会社は生まれ、僕の家庭はまだ未登記
商業登記を完了させた瞬間、僕はふと虚しさを感じた。会社の設立は完了したのに、自分の家庭はまだどこにも存在しない。「登記済」の赤いハンコが押された書類を見るたびに、「自分の人生にも、いつかそのハンコが押される日がくるのだろうか」と考えてしまう。ひとりで暮らす部屋には、いつもと変わらない静けさが広がっていた。
登記申請書の数と、独身の年月の数え方
司法書士になって20年近く。手がけた登記申請書は数えきれないほどあるけれど、自分の人生のイベントは片手で足りる。毎年更新される独身生活に、もう「履歴事項全部証明書」でも発行してやりたくなる。冗談を言えるうちはまだマシだが、たまに本気で「こんなに誰かの人生のために動いているのに、どうして自分の人生は動かないのか」と思うこともある。
法人の誕生届を淡々と出す日々
役所に提出する登記申請書は、正確さが命だ。誤字ひとつ許されない世界。そのくせ、僕の人生には誤字だらけな気がする。「何かが抜けてる」と思っても、それが何なのか分からない。だから、毎日の業務に没頭することで、その“抜け”をごまかしているのかもしれない。
「あれ?また一人か」と気づく瞬間
夕飯を食べようと立ち寄った定食屋で、「おひとり様ですか?」と尋ねられる瞬間、心の奥がちくりと痛む。もちろん一人です、と答えながら、笑顔を作るけれど、それが続くとだんだん麻痺してくる。ひとりでいることが普通になりすぎて、「寂しい」と思うことすら忘れてしまう。でもふとしたときに、やっぱりそれは、重たい。