「結婚しないの?」に笑って耐える日々――独身司法書士の言い訳と本音

「結婚しないの?」に笑って耐える日々――独身司法書士の言い訳と本音

「結婚しないの?」は、なぜこんなに刺さるのか

「結婚しないの?」という一言、たった五文字が、どうしてこんなに胸に刺さるのか。悪意がないと分かっていても、心の奥をグサリと突かれる。法務局での手続き帰り、たまたま立ち寄った喫茶店で知り合いに出くわしたとき、彼女はにこやかにこう言った。「先生、まだ独身なの?結婚しないの?」。コーヒーの味が一気に苦くなった。誰も悪くない、でも傷つく。この気持ち、わかってくれる人がどれだけいるだろう。

悪気はないとわかっていても、しんどい

「ただの世間話じゃない」と言われればそうかもしれない。でもその一言が、何年も心に残って、ふとした瞬間に浮かんでくる。親戚の集まり、同窓会、顧客との雑談、どこからでも飛んでくる「結婚しないの?」の矢。笑って受け流したつもりが、夜になって布団の中で反芻してしまう。誰かの善意が、時に一番刺さるのはどうしてなのか。自分でも答えはわからないまま、今日もまた誰かの「無意識」に耐えている。

親戚・友人・顧客…どこからも飛んでくる「圧」

お盆や正月になると、地方に住んでいるという事情も相まって親戚付き合いが活発になる。そのたびに「結婚しないの?」という話題が出てくる。遠方のいとこが「うちの子、もう3歳よ」なんて言ってくると、なぜかこちらが申し訳ない気持ちになる。友人の子どもから「なんで1人なの?」と聞かれたこともある。顧客との会話でも、「先生も奥さんがいれば、もうちょっと生活感出ますね」なんて言われたことがある。逃げ場なんて、どこにもない。

誰かと比べてしまう自分に、また落ち込む

他人と比べて落ち込むなんて、くだらないと思っていても、気づけばSNSで知人の結婚式や家族写真を見てしまう。結婚したからって幸せとは限らない、そう言い聞かせながらも「何か大事なものを置いてきてしまったのでは」と思う夜もある。司法書士としての自分はちゃんとやれているのに、どこか空っぽな気がする。それでもまた朝になれば、役所と顧客との間を走り回る。仕事は生きがい、だけど、それだけで満たされる日は減ってきた。

「普通」に生きていない気がしてくる

結婚、家族、マイホーム――これが「普通の人生」なのだと、いつの間にか刷り込まれていた。そんな「普通」から外れている自分を、どこかで許せないでいる。司法書士という専門職に就き、自立して生活できているはずなのに、「結婚していない」というだけで「何かが欠けている人」のような扱いをされる。社会の目は残酷だ。

司法書士という仕事のせい?と責任転嫁したくなる瞬間

忙しいから出会いがない、異性と関わる余裕がない。そう思うようにしてきた。でも、結局それって「言い訳」なのかもしれない。責任を仕事に押しつけて、自分の人生から逃げているだけじゃないか。そう思うと、ますます情けなくなってくる。仕事のせいにしてきたけれど、ただ人間関係が苦手なだけかもしれないし、誰かと向き合うのが怖いだけかもしれない。

独身司法書士の日常、それなりに忙しくしてます

「結婚しないの?」と聞かれるたびに、反射的に「いや〜忙しくて」と答えるのがクセになっている。たしかに忙しい。書類の山に囲まれ、日々の業務に追われている。でも、それが言い訳になっていることにも気づいている。仕事に逃げているのか、仕事に救われているのか、その境界線はよくわからなくなってきた。

朝から晩まで書類と格闘、恋愛どころじゃない

朝は法務局、昼は顧客訪問、夕方は事務所に戻ってからひたすら登記書類の確認。夕飯をコンビニで済ませて帰るともう21時過ぎ。そんな毎日を繰り返していたら、自然と恋愛に使う体力も気力も削られていく。出会い系アプリを入れてみたこともあるが、写真を撮る段階でもう面倒くさくなって削除。恋愛は「余裕」がある人のもの、そう割り切るようになった。

スーツにシミ、手帳に予定、それだけの毎日

クリーニングに出しそびれたスーツにコーヒーのしみ。手帳には「〇〇様 契約書確認」「△△銀行面談」…恋の予定など一行もない。ふと鏡を見ると疲れた顔。だけど、それが「司法書士として頑張っている証」だと思ってやり過ごしている。たまに事務員さんに「先生、最近疲れてますね」と言われると、内心ではちょっと嬉しい自分もいる。頑張ってるって、見えてるんだなと。

なぜ結婚しないのか、じゃなくて“今は”しないだけ

結婚しないのではなく、していないだけ。それも、自分の意志で“選んで”そうしている。そう言えば聞こえはいいけれど、正直に言えば、誰かと一緒に生きる自信がないだけかもしれない。結婚=幸せという方程式を信じていない自分がいる。誰かに合わせて生きることに、憧れと同時に強い恐れもある。

選ばなかったわけじゃない、選ばれなかっただけ

昔お付き合いしていた女性がいた。でも、こちらが忙しすぎたこともあって自然消滅に近い形で終わってしまった。振り返れば、もっと大事にすべきだったのかもしれない。でも、「そのときの自分」には無理だった。それ以来、自分が誰かに必要とされる気がしなくなった。恋愛とはタイミングと余裕の結晶だ。今はただ、その時期じゃなかったと思うことにしている。

出会いのなさは地方の構造的な問題でもある

地方で働いていると、そもそも異性と出会う場が限られている。士業の集まりは年齢層が高く、婚活パーティーは気が進まない。マッチングアプリも試してみたが、「司法書士って何する人?」で会話が止まってしまうことが多かった。東京だったらもう少し違ったのかな、と思うときもあるが、それもまた“ないものねだり”だ。

仕事優先の人生、それはそれで幸せだったかもしれない

気づけば司法書士として15年以上が経っていた。いろんな顧客の人生に触れ、いくつもの相続や不動産の取引を見届けてきた。誰かの役に立てる喜びを知ってしまったから、それだけで満足していた部分もある。結婚はしていないけど、後悔しているかと言えば、そんなこともない。幸せの形は一つじゃないと、そう信じてやってきた。

それでも人生は続く、独身でも司法書士でも

独身であることが特別でも異常でもない社会になってきたとはいえ、地方ではまだ「結婚して一人前」という空気が根強く残っている。だけど、他人の期待に応えるために生きているわけじゃない。司法書士として、ひとりの人間として、自分の足で立っているなら、それでいいと思えるようになってきた。

結婚しなくても、生きてていいですか?

大げさかもしれない。でも本気でそう思うときがある。誰かに「ちゃんと幸せに生きてるよ」と認めてもらいたいだけかもしれない。結婚しない人生に、価値がないなんて誰が決めたのか。誰かと同じじゃなくても、自分の人生はちゃんと意味があると、今は信じられるようになってきた。

誰かの「普通」に合わせる必要はない

親戚の「早く結婚しなさい」も、同級生の「家建てたよ」も、会社員の「そろそろ定年が…」も、それぞれの人生だ。自分には自分のペースがある。他人の「普通」に合わせて心を削る必要なんてどこにもない。むしろ自分にしかできない生き方がある。それが、司法書士としての誇りでもある。

心の声に耳を傾ける時間を、自分にあげよう

忙しさの中に埋もれていた「本当の気持ち」を見つけ出すには、ほんの少しの余白が必要だ。休日にひとりで海を見に行った日、ふと「これも悪くないな」と思った。誰かと生きるのも、ひとりで生きるのも、どちらも尊い。だからこそ、自分の心に正直でいたい。その先に、予想外の未来が待っているかもしれない。


しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。