先生って呼ばれることが重く感じる日もある
「先生、こちらにご署名をお願いします」
その一言を聞いた瞬間、胃の奥がキュッとつままれたような感覚が走った。司法書士という肩書きで仕事をしてもう何年になるだろう。年齢とともに「先生」と呼ばれる回数は増えた。でも、呼ばれるたびに、なぜか胸がざわつく。
今日は、相続登記の打ち合わせ。依頼人は、上品な紺のスーツを着た60代の女性。落ち着いた物腰に、丁寧な口調。そして、僕のことを一貫して「センセイ」と呼び続けた。
「あの、書類はこれでよろしかったでしょうか?」
「ええ、先生がご確認くださったのなら間違いありませんね」
そんなわけない。書類だって、夜中に半分寝ながら作ったものだ。実は今朝、プリンタのインクが切れてサトウさんにこっぴどく怒られた。危うくコンビニ印刷でごまかすところだった。
プレッシャーの正体
「先生」と呼ばれるのは、信頼の証だ。そう、世間的には。でも、正直なところ、僕は「先生」になる覚悟をいつしたのかすら覚えていない。
学生時代、野球部のノックを受けながら、将来司法書士として「先生」なんて呼ばれるとは夢にも思っていなかった。ただ、こつこつ勉強して、資格を取って、流されるように開業して…。いつの間にか、そう呼ばれるようになっていた。
だが、その呼称はいつも僕に「完璧」を強いてくる。間違えられない、迷ってはいけない、頼られなきゃいけない。
…でも僕だって、道に迷う日もあるし、午前の登記が終わったあと「なんでこんな仕事選んだんだろ」とカツ丼を噛み締めながら思い悩むこともある。
サトウさんの鋭い一撃
「センセイ、って呼ばれるのがしんどいんじゃないですか?」
ふいに言われたその一言で、僕は思わず手に持っていたシャチハタを落としそうになった。
サトウさんは、若いが頭の回転が早い。口数は少ないが、核心だけはしっかり突いてくる。
「私、たまには下の名前で呼んでみましょうか?」
そう言って、彼女はいつもの無表情にうっすら笑みをのせた。
まるで、サザエさんの波平がたまに髪を増やして登場するような、異常事態。けれど不思議と、少し肩の力が抜けた。
「やれやれ、、、助けられてばっかりだな」
『シンドウ』という人間として
その日の帰り、いつもより少しだけ遠回りして、公園のベンチに座った。缶コーヒーを開けながら、ふと思った。
「先生」と呼ばれることが、すべて悪いわけじゃない。だけど、呼ばれる自分をつくろい続けることは、やっぱり疲れる。
だからこそ、事務所では――せめてサトウさんの前では――肩書きではなく「人間 シンドウ」でいられたら、きっと少しだけ楽になれるのかもしれない。
そして次の日、僕は机に一枚の付箋を貼った。
「呼ぶときは『シンドウさん』でいいですよ」
それを見て、サトウさんがひとことだけつぶやいた。
「じゃあ、今日は“シンちゃん”にしましょうか」
……いや、それはそれで気恥ずかしい。
やれやれ、、、。