登記簿に浮かぶ違和感
午前十時、事務所に届いた登記簿謄本の写しを手に、俺は額に皺を寄せていた。一つの地番に、まったく違うふたつの名前が並んでいる。登記の履歴を見る限り、どちらも抹消されていない。記載ミスか、それとも何か裏があるのか。
登記官のヒューマンエラーならありがちだが、この地番に関しては、どうにも引っかかるものがある。長年の勘が警鐘を鳴らしているような、不穏な違和感だった。
一つの地番に二つの名
平成十五年に設定された抵当権と、令和元年に設定された所有権移転。名義は別人、住所も変わらず、印鑑証明書も正規のもの。だが、同じ地番に別人の人生が重なっている。どういうことだろうか。
調査を進めるうちに、不動産会社を介しての売買履歴が曖昧で、所有権の移転登記にも怪しげな司法書士の名前が載っていた。まるで、サザエさんの波平さんがヒゲを剃って「別人です」と言っているような、滑稽で不気味な感覚。
依頼人の不自然な沈黙
依頼人の男性は、登記簿を見せた途端に口を閉ざした。「あれ、これ…おかしいですね」と言ってから、何も話さなくなった。それでも手続きを急かす態度に、なおさら不信感が募る。
俺はその日の午後、こっそりと地番の現地確認に出かけることにした。現場百回、いや、一回で充分だ。どうせ俺がやるんだ、誰も止めはしない。
朝の事務所と塩対応
翌朝、事務所に戻ると、いつもの通りサトウさんが机の前に座っていた。無言で書類の山をさばき、俺をちらっと見て、ポツリ。「その顔、また何かやらかしましたね?」
やれやれ、、、俺の顔には余計な情報が出ているらしい。だが、頼りになるのもまた彼女だ。きっと、名探偵コナンの灰原みたいに冷静に処理してくれるだろう。
サトウさんの睨みとコーヒー
コーヒーを差し出されながらも、目は笑っていない。「それ、普通に考えて名義貸しか、二重登記でしょう。調べたんですか?」と問いかける。うん、知ってるよ。言われなくても。
俺は、昨日撮ってきた現場写真を渡した。するとサトウさんは、「この郵便受け、宛名が二つある」とすぐに指摘した。鋭い、鋭すぎる。やっぱり彼女はただの事務員じゃない。
元野球部の直感が冴える日
俺の直感も、たまには役に立つ。現地で気づいたのは、ポストに貼られた名前の下にうっすらと、もう一つの名字が残っていたこと。まるで、消された過去が浮き上がっているようだった。
「これ、たぶん二重生活の痕跡ですよ」とサトウさん。二重生活か。やっかいな匂いがするな、と俺は思った。どこかで聞いたような話だ、怪盗キッドが別人のふりして舞台に立っていた話と似てるかもしれない。
法務局で拾った疑問
午後、法務局に足を運ぶ。件の地番に関して過去の閉鎖謄本を取り寄せると、昔の名義に心当たりのある名前が出てきた。だが、それは十年以上前に失踪扱いになっていた人物だった。
なるほど、話がだんだん濃くなってきた。表向きは売買、裏では何か別の目的。もしかして、この不動産を使って洗浄された何かがあるのかもしれない。登記は正直だが、人間は正直とは限らない。
謄本と図面の食い違い
不動産図面を見ると、建物の構造が少し違っている。増築されているが、登記には反映されていない。もしや、その一角に住んでいるのは記録にない誰か――そう思うと、背筋がぞわっとした。
俺は再び現地に向かい、近隣住人に話を聞くことにした。すると、誰もが「最近見かけない」と言い、過去には「別の名前の男がいた」と証言した。まるで幽霊屋敷の噂を聞くような気分だった。
もう一人の「居住者」
その夜、地元の交番で確認を取ると、昔そこに住んでいた男が詐欺容疑で指名手配されていたことが分かった。戸籍上は死亡扱いになっていた。だが、実は生きていたのかもしれない。
「じゃあ、依頼人はその弟か、もしくは…本人?」とサトウさんが低い声でつぶやいた。ありうる。登記を通じて、自分の名前を消し、別人としてやり直す計画。それがバレたらどうなるか。
誰かが住んでいた証拠
建物の裏手に回ると、物干し台に新しい洗濯ばさみが挟まっていた。生活の気配。誰かが、登記にも、住民票にもない「もう一人」として、そこにいた。これがすべてを物語っていた。
司法書士の仕事は紙の上の話ばかりじゃない。こうして、現場で拾った小さな違和感が、大きな真実へとつながるのだ。やれやれ、、、と思いながらも、俺は次の行動に移る。
サトウさんの推理が走る
事務所に戻ると、サトウさんは既に前名義人と現在の依頼人の筆跡を比較していた。彼女の集中力と分析力には、時々驚かされる。今回も、俺のうっかりでは済まされない事件だった。
「これ、間違いない。同一人物です」と彼女は言い切った。過去を捨て、名前を変え、地番にだけ同居する二つの人生。法と人の狭間に浮かぶ、やるせない真実だった。
表札の裏に隠された名
最後の確認として、表札の裏を確かめに行った。すると、薄く削られた木の下に、もう一つの苗字が浮かび上がっていた。やはり、そこには「ふたり」が棲んでいた。
一つの人生を捨て、もう一つの人生を生き直す。その手段として登記が使われた。それを暴いた俺たちも、どこか滑稽で、どこか哀しい存在だった。
登記簿の裏側の真実
その後、依頼人は「過去を清算したかった」と告白した。罪には問えない部分も多く、結果的には登記の訂正と簡易な聴取で済んだ。だが、俺の中には何かしこりが残ったままだった。
紙の中に人生を閉じ込めることはできない。だが、人はそれをしようとする。それが司法書士の前に立ちはだかる、もっともやっかいな謎だ。
嘘と書類の境界線
依頼人が帰ったあと、俺は書類を一枚一枚丁寧に片付けた。書類には真実が映る。だが、書類は人の手で作られる。その境界線を見極めるのが俺の役目だと、改めて思った。
「ま、また事件ですかね」とサトウさんがぼそりと言う。俺は肩をすくめて笑った。「やれやれ、、、俺もまだ捨てたもんじゃないな」