静かな午後が訪れるとき、なぜか胸騒ぎがする
午前中のバタバタが一段落して、ふと時計を見ると午後2時。電話も鳴らず、来客もない。穏やかなはずの午後の空気に、なぜか心がざわつくことがある。司法書士として独立して15年。事務員さんがいるとはいえ、基本的に仕事は一人でこなす。その静寂の中に、自分の存在がすうっと溶けていってしまいそうな、そんな感覚になることがある。
電話も来客もない、ありがたいはずの「静寂」
忙しい日々の中では、「今日は静かで助かるな」と感じることもある。だけど、あまりに何も起こらないと、逆に不安になってしまうのがこの仕事の妙だ。登記がらみの確認連絡、依頼者からの電話、役所とのやりとり……それらがすべてピタッと止まった午後。頭では「休めばいい」とわかっているのに、心は妙に落ち着かない。
「今日は何か忘れてる?」という得体の知れない焦り
午後の静けさが続くと、「何かやり残してないか?」という焦燥感がじわじわと湧いてくる。郵送手続き? 電話の折り返し? 申請忘れ? どれも確認して問題ないのに、安心できない。まるでエレベーターに乗っているときにふと「閉じ込められるかも」と思ってしまうような、そんな不可解な不安が襲ってくる。
不安の正体は、止まった時間に自分の声が響くから
静かな午後というのは、外の音が消えた分だけ、自分の内側の声が大きくなる時間でもある。普段は聞き流している心の独り言が、まるで拡声器でもついているかのように響いてくる。特に40代に入ってからは、仕事だけでなく人生そのもののことまで、じわじわと頭に浮かんでくるのだ。
人と話していないと自分の存在がぼやけてくる
誰とも話さない時間が続くと、まるで自分がこの世界から切り離されたような感覚になることがある。「司法書士」という肩書きの裏にある“ただの人間”としての自分がぼやけていく感じ。昔は一人で仕事をするのが性に合っていると思っていたが、いまは人とのつながりがないと、土台から崩れてしまいそうな不安もある。
仕事に追われていた方が、かえって安心する矛盾
皮肉なことに、忙しくてご飯を食べる暇もないような日々のほうが、精神的には安定していたりする。あれこれ依頼が重なっても、「やることがある」=「必要とされている」という実感があるからだ。逆に静かな午後は、「本当に自分は役に立ってるんだろうか?」という存在の根っこを揺さぶってくる。
忙しいときは「しんどい」、暇なときは「怖い」
しんどさと怖さ、どちらかを選べと言われたら迷う。肉体的には忙しい方がきつい。でも、精神的には、暇の方がよほどこたえる。誰も見ていない事務所の中で、パソコンのカーソルだけが点滅している。なんとも言えない孤独と恐怖が、じわじわと背後から迫ってくるようだ。
事務所という「閉じられた箱」に一人取り残される感覚
地方の小さな事務所。築30年の木造建物に、事務机とコピー機、書類の山。昼下がりのその空間は、まるで時間が止まっているような雰囲気を持つ。そして、ふと気がつくと、自分一人しかいない。その事実が、途方もなく心細い。
事務員さんが休みの日に感じる孤独
事務員さんが有休を取る日がある。彼女の権利だし、しっかり休んでもらいたい。でも、そんな日に限って、急な来客が来る。対応して、電話も取って、書類も確認して…なんとか一通りこなしても、ふと静けさが戻ると、「ああ、自分は一人なんだな」と実感する。
「ちょっと出てきます」の後に押し寄せる静寂
「昼ごはん買いに行ってきますね」と事務員さんが出ていくと、事務所に完全な無音が訪れる。時計の秒針すらやけに大きく聞こえる。書類を整理する手が止まって、気がつくとぼーっと窓の外を見ている。郵便屋さんのバイクの音が、唯一の「外とのつながり」だったりする。
静かさが心に刺さる日がある
普段なら「静かでいいね」と思える午後でも、心の状態次第では、音のない世界が痛く感じることがある。とくに体調や気分がすぐれない日は、その静寂が刃のように心を傷つけてくる。何も起きていないはずなのに、「大丈夫だろうか?」という気持ちが一日中まとわりついて離れない。
この仕事に「正解」がないからこそ、不安が消えない
司法書士の仕事には、正解がない。マニュアルも参考書もあるけれど、実際の現場は千差万別。判断に迷ったとき、誰かに聞けるわけでもない。一人で背負うしかないというプレッシャーが、ふとした瞬間にのしかかってくる。
登記の完了通知が来るまでの宙ぶらりん
法務局に登記を出してから完了通知が来るまでの数日間、その登記が無事通るかどうかの不安は消えない。「問題ないはず」と思っていても、「でも、何か見落としがあるかも」と頭のどこかで警報が鳴っている。その間、静かな午後が続くと、余計に気が滅入る。
相談者の沈黙に飲み込まれる恐怖
依頼者が突然連絡をよこさなくなる。メールも電話もなし。「何か気に障ったか?」「怒ってるのか?」と不安がよぎる。確認の電話を入れても、「忙しかっただけですよー」と言われてホッとする。でも、そんな経験が何度もあると、人とのやりとりそのものが怖くなってしまう。
孤独と付き合う技術——静けさを受け入れる工夫
静かな時間をどう受け入れていくか。それがこの仕事を続ける上での一つの鍵だ。無理に音で満たすのではなく、自分なりの「整え方」を見つけていく必要がある。そうしないと、静寂に飲み込まれてしまう。
午後のコーヒーを「儀式」にする
午後3時、少し苦めのドリップコーヒーを淹れる。それだけのことだけど、気持ちが落ち着く。カップから立ち上る湯気を見ながら、深呼吸をひとつ。五感を使って自分を“今”に戻す。静けさに負けないための小さな工夫だ。
音楽を流してみても、むしろ落ち着かないこともある
BGMを流してみると、最初は気がまぎれる。でも、調子が悪い日は音が雑音にしか聞こえないこともある。お気に入りのジャズが逆に気分を沈めてしまう。そういうときは思い切って「何もしない」時間を作った方が、心には優しい。
独り言をメモに書き出してみるという対処法
頭の中のぐるぐるを止めるために、ノートにただ思ったことを書く。「今日は静かすぎる」「なんか不安」「眠い」……そんな独り言を紙に出すだけで、少し心が軽くなる。人に話すわけでもないけれど、“言葉にする”ことで、不安に輪郭ができてくる。
誰かの役に立てているという実感が、最後の救い
この仕事の最大の報酬は、結局「ありがとう」の一言に尽きる。それがあるだけで、静かな午後の不安も、報われる気がする。誰にも会わない日もある。でも、過去に誰かの役に立てた記憶は、確かに心の支えになる。
登記完了後の一言が心に沁みる理由
「助かりました」「頼んでよかったです」——そんな言葉が、胸にじんわりと広がる。こちらとしては当たり前の仕事でも、相手にとっては大きな安心だったのだと実感する。その思い出が、静かな午後を乗り越える力になってくれる。
それでも明日は、また静かかもしれない
ありがたい言葉をもらっても、次の日も電話が鳴らないかもしれない。不安はまたやってくる。けれど、それでも「今日も何もなかったな」と言える日は、実は案外平和なのかもしれない。そんなふうに、少しずつ受け入れていくことにしている。