誰かと話すのが怖いと思う日もある──司法書士という仕事の静かな孤独

誰かと話すのが怖いと思う日もある──司法書士という仕事の静かな孤独

誰かと話すのが怖いと思う日もある──司法書士という仕事の静かな孤独

誰かと話すことすら重荷になる日がある

この仕事を始めてから十数年。人と話すのも仕事のうちだと割り切ってきたはずなのに、ふと「今日は誰とも話したくない」と感じる日がある。それが年に数回だったのが、最近では週に一度のペースに増えてきた気がする。きっかけは些細なことで、疲れが溜まっているときや、少し気分が沈んでいる日。そんなとき、電話の音や来客の気配に身構えてしまう。司法書士という仕事は「話す仕事」でもあるけれど、だからこそ、話すことが怖くなる瞬間の重さを知っている。

「話しかけないでくれ」と思ってしまう朝

朝、事務所の鍵を開けた瞬間から、すでに気力が尽きている。こんな日は、机に向かって書類を広げながら、「今日は電話が鳴らなければいいのに」と祈るような気持ちになる。けれど、現実は甘くない。電話は鳴るし、依頼人は訪ねてくる。「おはようございます」の一言ですら喉が詰まり、無理に笑って返している自分がいる。まるで自分の外側に殻ができたような感覚で、人の言葉が入ってこない。逆に、自分の言葉も外に出て行かない。そんな日は、ただひたすらに時間が過ぎるのを待っている。

電話の着信が恐怖にすら感じるとき

一人で仕事をしていると、電話の一本にも強い緊張感が走る。相手が怒っていないか、クレームじゃないか、そんな思いが先に立ち、受話器を取る手が震えることもある。以前、登記の遅れについて怒鳴られたとき、それがトラウマになってしばらく電話に出られなくなった。今では携帯のバイブ音ですら、心臓が跳ねる。「たかが電話一本」と人は言うけれど、その一本が、こちらの精神をどれだけ削るかは、きっと誰にもわからない。

話す内容が浮かばない。沈黙が怖くなくなるまで

世間話をする余裕がない日がある。特に初対面の依頼人との面談では、最初の数分が地獄だ。話の糸口をつかめず、ぎこちない空気だけが流れる。「何か話さなきゃ」と焦るほど言葉が出てこない。最近は、無理に会話を続けようとせず、あえて沈黙を受け入れるようにしている。沈黙を怖がらないこと。それもまた、対話の一部なのかもしれないと、自分に言い聞かせながら。

人と接することが仕事、なのに人が怖い矛盾

司法書士の仕事は、結局のところ「人と信頼関係を築く仕事」だ。けれど、人が怖い。相手に気を遣いすぎて、話しながら疲弊してしまう。依頼人と会うたびに、「ちゃんと応対できるだろうか」と不安になる。たとえば、高圧的な態度の人に出会うと、過去の嫌な経験がフラッシュバックしてしまい、思考が止まることもある。信頼されなきゃいけないのに、自分が一番信用できなくなる。それが今の私だ。

登記の相談より、世間話がきつい

不思議なことに、専門的な相談ならスムーズに話せる。登記や相続の説明なら、知識と経験で対応できる。けれど、問題はそのあと。「最近寒いですね」とか「お忙しそうですね」といった何気ない会話が、なぜか一番つらい。これは多分、私自身が心を開けていないからだと思う。機械のように仕事をしているだけなら楽なのに、人間らしさを求められる場面になると、戸惑いと不安でいっぱいになる。

「優しいね」と言われるほど、苦しくなる

「先生って優しいですね」と言われることがある。ありがたい言葉なのに、なぜか苦しくなるのは、自分がそれに応えられていない気がするからだ。本当は心の余裕もないし、笑顔も無理して作っているだけ。優しさが仮面になってしまったような感覚。誰にも嫌われたくなくて、いい人を演じ続けた結果、自分が壊れかけていることに気づく瞬間がある。

断れない性格が、今日も自分を削っていく

「先生、ちょっとだけいいですか?」と頼まれると、つい「はい」と言ってしまう。断れない性格は、司法書士には向いているようで向いていない。依頼を断れず、相談を長引かせ、どんどん予定が押していく。気がつけば昼も食べられず、夕方にはぐったり。それでも「断ったら悪い」と思ってしまう。自己犠牲が当たり前になっていく毎日が、知らないうちに自分の首を絞めている。

事務員さんの雑談にすら気を張ってしまう日

ありがたいことに、うちの事務員さんは明るい人だ。事務所の空気を和ませてくれる存在だとわかっている。けれど、自分に余裕がない日は、その雑談すらきつく感じることがある。朝から話しかけられると「ごめん、今は無理…」と心の中で思ってしまう。でも、相手にそんな素振りは見せられない。だから無理して笑って、後でどっと疲れる。この繰り返し。

「今日は機嫌悪いですか?」にドキッとする

何気ない一言が胸に刺さる。「先生、今日はちょっと機嫌悪いですか?」と言われたとき、自分では普通のつもりだったから、驚いた。そして、反省した。でも本当は、反省よりも「わかってしまったこと」が怖かった。人との距離感をうまく保てない。気を張っていないと、感情が漏れてしまう。そんな自分に気づいてしまうと、また一つ会話が怖くなる。

言葉のトーン一つで自信がなくなる自分

ちょっとした語気や、返事のタイミングですら、相手にどう思われたかが気になってしまう。「あの言い方、まずかったかな」とか、「無愛想に聞こえたかも」とか。毎回そんなことを考えていると、話すこと自体がどんどん苦痛になる。言葉を交わすたびに、少しずつ自信を失っていく。でも、そんな自分を他人に説明するわけにもいかず、また静かに心を閉じていく。

そんな日は、自分を責めないことから始める

「今日は人と話せない日だったな」と思ったら、まずは自分を責めないこと。無理をしても、良い結果にはならない。話さない日があっても、それでいい。自分に対して寛容でいられるかどうかで、次の日の心の回復力が変わる気がする。私たち司法書士は、他人の問題解決を日々担っているけれど、自分自身の心のケアは後回しになりがちだ。たまには「話さなくても許される日」を、意識的に作ってみてもいい。

「話せない日」があっても司法書士はできる

誰かとスムーズに会話できない日でも、業務はこなせる。書類は書けるし、登記も進む。無理に「人間力」を発揮しようとしなくても、専門家としての責務は果たせる。それに気づいたとき、少し肩の力が抜けた。「話すのが仕事」だと思いすぎて、自分を追い詰めていたのかもしれない。話さない日もあっていい。それでも司法書士は務まる。

一人で働く強さと、話さなくても平気な日をつくること

地方の一人事務所で働くというのは、孤独である一方、自分のペースで環境を整えられる強みもある。話したくない日は、意識的にアポイントを入れず、静かな時間を優先する。そうやって少しずつ「話さなくても崩れない一日」を作っていく。自分の弱さに折り合いをつけながら、日々の業務を続けていく。それもまた、ひとつのプロとしての姿だと思いたい。

それでも誰かと向き合わなければいけないとき

どんなに話すのが怖い日でも、完全に避けては通れない。依頼人は待ってくれないし、案件は止められない。だからこそ、向き合う勇気ではなく、「逃げても戻ってこれる」という安心感を持つことの方が大切だと感じる。私たちは毎日完璧じゃなくていい。人間らしい揺らぎを許しながら、それでも少しずつ前に進めばいい。

誰かの不安に寄り添うには、自分の弱さも認めること

人の悩みに寄り添うには、自分が「完全な人間」である必要はない。むしろ、弱さや不安を知っている方が、相手の気持ちを理解できることもある。私は、話すのが怖いと感じた経験があるからこそ、無口な依頼人にも無理に話しかけないし、言葉にできない不安にも目を向けることができるようになった気がする。

話すことが怖いとき、言葉以外の方法を試してみる

話せない日には、メモやメールを活用したり、書面でのやり取りを優先することもある。言葉に頼らずに意思疎通を図る手段は意外と多い。自分に合ったやり方を見つければ、「話すのが怖い」ことも、大きな壁ではなくなる。大切なのは、自分を守りながら、少しずつでも他者と繋がろうとする姿勢なのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。