シャチハタを枕にして眠るような夜に思うこと

シャチハタを枕にして眠るような夜に思うこと

机に突っ伏して眠った夜の記憶

ある夜、気づいたら机に顔をうずめたまま眠っていた。目覚めた瞬間、左頬にインクの跡。犯人は、机の上に置きっぱなしだったシャチハタ。なぜそんなことになったのかといえば、単純に疲れ果てていたからだ。昼に司法書士会の打合せ、午後は急ぎの相続登記、夕方には事務員から「早退していいですか」の一言。そこから先はノンストップで、電話対応しながら書類を確認し、FAXを流し、気づけば深夜。肩はこりすぎて痺れていて、エアコンの風がやけに冷たかった。

疲労で眠るしかない夜がある

机に突っ伏して寝ることは、若い頃なら笑い話かもしれない。でも45歳になると、それは笑えない。身体は正直で、座ったまま眠るという無理な姿勢に耐えられない。けれど、布団に移動する気力さえ残っていなかったのだ。心のどこかで「今日中にこれだけは終わらせなきゃ」と自分を追い込んでしまう。その「これだけ」が、実際には終わらないことも多い。たった一件の登記に、不動産屋さん、司法書士、依頼人、全部の都合が関わっていて、誰か一人が遅れたらすべてやり直し。そんな日々だ。

体は寝ていても心は休まらない

シャチハタを枕にして眠った夜も、実際には熟睡できていない。夢の中でも電話が鳴るし、「あの書類にミスがあったら…」と何度も目が覚める。仕事の緊張感が身体から抜けないまま、翌朝を迎える。肩と首に鉛のような重みを感じて起きて、鏡を見てため息をつく。「もう若くないな」と。こんな風に仕事に飲まれてしまうのが嫌で、独立したはずなのに。事務所を構えて、自分で時間をコントロールするつもりだったのに。気づけば、誰よりも時間に追われているのは自分だ。

どこかで「頑張って当然」と思っている自分がいる

疲れ果てても、「でも俺がやらなきゃ」と思ってしまうのは、やっぱり性分だろうか。元野球部だったからか、「誰かが抜けたら俺がカバーするのが当然」という意識が染みついている。周囲に甘えるのが下手で、事務員がミスしても、口では「大丈夫ですよ」なんて言いながら、裏で自分が全部修正してしまう。そのくせ、心の中では「なんで俺ばっかり」と愚痴っている。本当は少し、誰かに「無理しなくていい」と言ってもらいたいだけなのに。

司法書士の仕事は「判を押すだけ」じゃない

世間から見れば、司法書士の仕事って地味に見えるらしい。「印鑑押すだけでしょ?」って言われたこともある。でも実際は、その“印鑑”を押すまでに、どれだけの調査や確認があるか。登記簿謄本を読み解き、相続関係を洗い出し、法務局の担当者と交渉し、依頼人に説明し、誤解を解き、やっと押せる印鑑だ。判子ひとつに責任が詰まっている。それをわかっていない人に「簡単な仕事」と言われると、ちょっと寂しくなる。

何気ない一件が一日を左右する

「簡単な登記だからすぐ終わりますよ」と依頼人に言われて受けた案件が、実はとんでもなく複雑だった、ということはよくある。古い不動産、相続が3代に渡っていて、関係者が全国に散っている。電話で調整し、郵送で書類をやり取りし、待っている間に別の案件が3つ4つと重なる。「判を押すだけ」なんて言葉が、どれほど現場の実情をすっ飛ばしているか。笑って済ませる余裕がないときほど、その言葉が胸に刺さる。

依頼人の感情に巻き込まれる重さ

司法書士の仕事は、ただ事務的に書類を処理するだけじゃない。相続なら、家族の感情が渦巻いているし、不動産取引なら、人生の大きな節目に立ち会うことになる。涙ながらに「先生、助けてください」と頼まれることもある。こちらとしては冷静に対応したいけれど、やっぱり人間だから影響を受ける。事務所を出た後、車の中でため息をつくこともある。感情の受け皿になっているような感覚に、時折、疲れ果ててしまう。

気を遣いすぎる自分に自己嫌悪

「そんなに気にしなくてもいいのに」と自分でも思う。でも、電話口で少し語気が強かった相手に「不快にさせてないかな」と数時間引きずる。事務員が出したお茶がぬるかっただけで「印象悪くなかったかな」と気になる。過剰すぎる気遣いに、自分でも呆れるけれど、変えられない。優しさと神経質は紙一重なのかもしれない。もっと図太くなりたい。そう願いながらも、ついまた一人で全部背負ってしまう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。