タスクが飛んでくるのはいつも突然
司法書士という仕事は、基本的に「予定通りに進まない仕事」だと感じています。静かな午前中だったのが、11時すぎの一本の電話で一変。「急ぎでお願いしたい登記があるんですけど…」の一言から、予定表が崩れ、午後の作業に大きな影を落とします。なぜかこういう電話は、月末や連休前、そして雨の日に集中するんですよね。もう少し早く言ってもらえたらなあと、何度思ったことでしょう。
メールの件名はなぜか全部緊急
最近よく見かけるのが、件名に「至急」「急ぎ」「本日中」などと赤文字で踊るメール。内容を開けてみると、そんなに急ぎでもない…ということが多々あります。しかも、こちらが電話しても折り返しは2時間後だったりします。結局、急いでいるのは「自分の中だけ」で、こちらが急ぐ必要があったのかどうかも曖昧なまま。でも、その文字を見ると、つい急がないといけないような気持ちになってしまうのです。
電話の冒頭に急ぎってつけるのやめませんか
「急ぎでお願いしたいんですけど…」から始まる電話は、本当に多い。こちらとしてはまず「今日中なのか?」「それとも来週でもいいのか?」を確認したいのですが、「急ぎって言ったのに冷たい」と思われそうで慎重になってしまいます。しかも、そういう人に限って内容がふんわりしていて、こっちが詳細を聞き出すのに一苦労。急ぎなら急ぎで、もう少し情報をくれ…と毎回心で叫んでいます。
ほんとに急いでる人って静かに依頼してくる
逆に、本当に急ぎで困っている人ほど、「申し訳ないんですが、どうしても明日までに…」と控えめに頼んでくるものです。そういう方の依頼は、こちらも自然と動きたくなります。こちらの事情にも配慮してくれて、必要書類も揃っていて、説明も的確。結局、緊急性は声の大きさではなく、誠意と準備に表れると感じます。だからこそ、声だけ大きい“なんちゃって緊急”には、やっぱりモヤモヤしてしまうのです。
緊急って言われると断りづらい心理
「急ぎでお願いします」と言われると、なぜか断るのが怖くなるんです。これまでの付き合いがある相手ならなおさら。「無理です」と言った瞬間に、関係が壊れてしまうんじゃないかという不安。だからこそ、多少の無理をしても受けてしまう。でもそれが重なると、心も身体も疲弊してくるんです。なのに、誰にもその気持ちは伝わらない。結局、自分を追い詰めているのは自分なんですよね。
今日中って何時までを指すんですかね
「今日中にお願いします」って、具体的に何時のことなんでしょうか? 午前中の依頼ならまだしも、16時を過ぎてからその言葉を聞くと、思わず時計を見つめてしまいます。夜まで作業する覚悟を決めるのか、それともギリギリ明日に延ばせるかの瀬戸際。司法書士にとって「今日中」は、かなり重たいフレーズなんです。
午前に依頼されて夕方確認される恐怖
「午前中に送りますね!」と言われた書類が届かず、午後も過ぎて16時。やっと届いたと思ったら「もう処理できました?」という確認の電話。これ、精神的に一番キツいやつです。こちらとしては、他の仕事を押して待っていたわけで、それが当然のように扱われると悲しくなります。せめて、届いたかどうかだけでも先に聞いてほしい。そんなふうに思うことが年々増えてきました。
こっちは予定をかき回して対応してます
「今日中」って言われたから、予定していた業務を後回しにしてその仕事を優先しました。結局、残業してまで処理して、送ったのが21時。それに対して「確認は明日でいいです」と返されたときの虚無感。何のために自分は急いだのか。予定通りに仕事をしていたら、もっと効率良く、もっと丁寧にできたはずなんです。
それ来週で良かったって言われた時の脱力感
一度、急ぎだと言われて週末返上で処理した仕事がありました。月曜に報告したら「来週中で良かったんですけど」って言われたことがありました。力が抜けましたよ、ほんとに。こっちは日曜にコンビニのコピー機と戦いながら資料を揃えたのに、そんな結末。急ぎの基準が人によって違うのは仕方ないけど、せめて最初に言ってほしい。無駄な焦りで寿命が縮む気がします。
急ぎと書いてあれば優先されるとでも
急ぎって便利な言葉なんですよね。書くだけで「優先してもらえる」と思っている人、意外と多い気がします。でも、司法書士の仕事は、順番があって、調査も手続きも時間がかかる。だから「急ぎ」と書かれても、物理的に無理なことはある。そういう現実を、もっと分かってほしいなと思う日々です。
他人の緊急は自分のスケジュールを壊す
結局、「急ぎ」とはその人の都合。自分が忘れてたから、準備が遅れたから、今日になって焦ってるだけ。そこに巻き込まれるこっちの身にもなってほしい。緊急案件が続くと、こちらのスケジュールはどんどん崩れ、他の依頼にも迷惑がかかる。でも、相手は自分のお願いしか見えていない。そのギャップに、ちょっと寂しさを感じるのです。
時間割が壊れた日ほど仕事は雑になる
一つの「急ぎ」が入ると、連鎖的に他の仕事が詰まり出します。しかも焦って処理するから、確認ミスも増える。心ここにあらずの状態で作業をすると、あとからトラブルにつながることも。丁寧な仕事をしたいのに、それが許されない状況に陥る。その繰り返しが、プロとしての誇りを少しずつ削っていくようでつらいです。
自分の判断が鈍るのは責任が重い時
焦っているときに限って、大事な判断をしなければならない案件が入ってくる。それが司法書士という仕事のつらいところです。集中力が切れていても、責任は重い。決済書類の確認や登記の記載にミスは許されません。だからこそ、時間に余裕がほしい。でも「急ぎでお願いします」に押されると、その余裕がどんどん削られていくのです。
それでもなんとかやってきた理由
ここまで愚痴ばかり書いてきましたが、それでも仕事を続けてこられたのは、やっぱり「誰かの助けになっている」と実感できる瞬間があるからです。急ぎの依頼に応えて感謝された時、涙ぐみながら「本当に助かりました」と言われた時。そんな瞬間があるから、また頑張ろうと思えるんです。
優しさなのか損な性格なのか
自分でも思います。こんなに文句を言っておきながら、結局すぐ動いてしまうのは、優しさなのか、ただの損な性格なのか。断る勇気を持てば楽になるのかもしれない。でも、それができない。断って後悔するくらいなら、引き受けて疲れるほうを選んでしまう。そういうところが、自分の生きづらさの原因かもしれません。
急ぎに対応しても評価されない現実
どれだけ無理して急ぎに応えても、評価されることは少ないです。むしろ「できて当たり前」と思われてしまう。だから、次の急ぎも当然のように依頼される。報われない努力を重ねて、疲弊していく構図。でも、だからといって突き放すこともできず、また今日も「今日中ですか?」と聞いてしまうのです。
でも人が困ってる顔を見ると断れない
お客さんが不安そうな顔で「どうしてもお願いしたいんです」と言ってくると、それだけで引き受けてしまう。そこに打算はなくて、ただ「助けたい」という気持ちだけ。でもそれが、毎回の疲労につながっているのも事実。それでも、やっぱり人が困ってるのを見て見ぬふりはできない。そういう性格なんだと思います。
それが良いとは限らないってわかってる
全部を引き受けていては、結局自分が潰れる。それは頭では分かっている。でも、感情が先に動いてしまうんです。「頼られたからには応えたい」という思いと、「もう無理かもしれない」という疲れがせめぎ合う毎日。でも、同じような想いで働いている人が他にもいるなら、それだけで少し救われる気がします。
それでも続けてしまう自分への言い訳
「自分がやらなきゃ誰がやる」なんて、正直そこまで大した人間じゃない。でも、今日もまた、誰かの“急ぎ”に応えている。その理由はきっと、「誰かの役に立てた」という小さな誇りに支えられているから。愚痴りながらも、それでも司法書士を続けていく。そんな自分を、もう少しだけ認めてあげたいと思う今日この頃です。