「あんた、もっと自分を大事にしなさいよ」と言われた日 〜おせっかいおばちゃんのひと言が刺さった午後〜

「あんた、もっと自分を大事にしなさいよ」と言われた日 〜おせっかいおばちゃんのひと言が刺さった午後〜

商店街の角で、不意にかけられたひと言

その日は朝からずっと登記の件でバタバタしていて、昼飯も食えずにそのまま午後の予定に突入していた。書類の確認ミスが見つかり、依頼人に謝罪し、役所へ走って再提出。ようやく一息つけたのが夕方5時。商店街の角を曲がったとき、ふと顔なじみの八百屋のおばちゃんに声をかけられた。「あんた、最近顔色悪いよ。もっと自分を大事にしなさいよ」。その言葉が、なぜか妙に胸に残った。

仕事帰りのくたびれた顔を見透かされた

鏡を見る暇もない日が続くと、自分の顔がどんな状態かなんて気にもならなくなる。おばちゃんのその一言に、自分の顔が「疲れきっている」と書いてあったんだろうなと気づかされた。スーツの袖には書類のインクの跡、髪はボサボサ。自分では“頑張ってる証”のつもりだったが、第三者には「心配される状態」として映っていたようだ。

ただの世間話のはずが、胸に刺さる

普段なら「ああ、はいはい」と流していたかもしれない。でもこの日は違った。誰にも「大丈夫?」と聞かれない日々が続いていたせいか、その何気ない言葉に妙な破壊力があった。心のどこかで「誰かに見ていてほしい」と思っていた自分がいたのかもしれない。おばちゃんの言葉が、妙に沁みた。

「誰か」に見られてるという救い

家に帰って、冷えた弁当を食べながら思った。「俺のこと、気にかけてくれる人、まだいたんだな」と。家族もいないし、恋人もいない。事務所には事務員が一人いるけど、あまりプライベートな話はしない。そんな中での「誰か」の存在は、想像以上に心を支えてくれる。小さな優しさが、大きな意味を持つ。

司法書士という仕事は、誰にも褒められない

登記がスムーズに終わっても、誰も「ありがとう」なんて言わない。それがこの仕事の宿命だと分かってはいる。でも、たまに虚しくなる。失敗すれば怒られ、成功しても当然の顔をされる。そりゃ愚痴も増えるってもんだ。

感謝よりもクレームの方が記憶に残る

昔、一度だけ「先生のおかげで助かりました」と言ってくれた依頼人がいた。あの言葉は今も心の支えになっている。でも、それ以上に「こんなに時間がかかるとは思わなかった」「もっと安くできないのか」と言われた場面ばかりが記憶に残っている。司法書士って、感謝の言葉よりクレームのほうがよっぽど多い。

「ちゃんとやって当たり前」の重圧

何かあれば責任は全部こちら。署名が一文字違っていたらやり直し。申請が一日遅れただけで、「まだですか?」と催促される。だから常に緊張していて、気が抜けない。だけど、成果が目に見えにくい仕事って、結局「ちゃんとやって当たり前」なんだよなと、痛感する。

おせっかいな言葉に、なぜか涙が出そうになった

その日、八百屋のおばちゃんにかけられた言葉は、おせっかいとも言えるし、余計なお世話かもしれない。でも、泣きそうになったのは事実だ。普段、自分が他人のトラブルや不動産の手続きを淡々と処理しているからこそ、感情に寄り添われることに免疫がなかった。

「ちゃんと食べてる?」が心に響く理由

おばちゃんは続けて、「ちゃんと食べてる?」と聞いてきた。昼飯がコンビニおにぎり1個だった日は何日あったか。ちゃんと食べる、ちゃんと寝るって、誰かに言われるだけで急に自分が雑に扱われていたことに気づく。誰に?自分自身に、だ。

優しさに慣れていない自分を痛感

気づけば、誰かの優しさに触れると、構えてしまう自分がいた。期待しないことに慣れてしまっていた。いつからか、誰かに頼ることも、甘えることもやめていた。だからこそ、何気ないひと言にこんなに心を揺さぶられたのだと思う。

独身のまま歳を重ねるという現実

今年で45歳。気がつけば独身のまま事務所を一人で回している。もちろん結婚願望がまったくなかったわけじゃない。でも仕事優先で時間も気力も失われていった。そして、モテない。これはもうどうしようもない。現実だ。

誰にも弱音を吐けない夜もある

自宅に帰ってテレビをつけても、スマホを見ても、どこか虚しい。SNSでは幸せそうな家族写真や旅行の投稿が流れてくるけれど、自分には縁がない。誰かに「しんどい」と言えたら少しは楽なのかもしれない。でも、司法書士としての立場を考えると、それもできない。

モテないのも、寂しいのも、仕方ない

かといって、急に婚活アプリに手を出す気にもならないし、飲み会に出かける元気もない。もうこういう生き方なんだと、どこかで諦めている。でも、おせっかいなおばちゃんのような、ふとした人の言葉で少しだけ心が動くことがある。それだけでも救いなのかもしれない。

その言葉が背中を押してくれるときがある

あの一言があってから、少しだけ早く寝るようになった。昼食を抜くのをやめて、事務員さんにも「休憩行ってきて」と声をかけるようになった。小さな変化だけど、「自分を大事にする」って、案外こんなことからなのかもしれない。

無意識に求めていた“人のまなざし”

誰にも頼らず、迷惑もかけずに生きていくことが美徳だと思っていた。でも、人は一人じゃ生きられないし、誰かに見られていることが、こんなに支えになるとは思わなかった。司法書士として独立してから10年以上経つけど、そんな大切なことに今さら気づいた。

だからこそ、僕らはまた仕事に向かう

明日もまた書類に埋もれて、クレームに凹んで、それでも司法書士という仕事を続ける。その根底には、「誰かのために」がある。でも、それを続けるには「自分のために」という視点も必要だ。あのおせっかいな言葉が、それを思い出させてくれた。

司法書士として、人に寄り添うということ

もしかしたら、自分も誰かにとっての「おせっかいおじさん」になれるかもしれない。法律という堅い世界の中でも、人の言葉が支えになることがある。今日もまた、登記の相談に来た人に「それは大変でしたね」と言えたら、それだけでも意味があるのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。