「登記簿が恋人」状態から抜け出せないまま45歳になった
気づけばこの歳、結婚もせず、彼女もいないまま45歳。いや、正確に言えば、結婚を考えた時期がなかったわけではない。司法書士になった頃は「30代には落ち着きたい」なんて言っていたが、仕事が軌道に乗るまでと我慢して、気づけばもう十数年が経っていた。気づいたときには、自分の視界にはほぼ登記簿しか映っていなかった。依頼人との会話はする。でもそれ以外の人間関係は、気づかぬうちにどんどんと閉ざされていった。そんな自分に、今さらながら喝を入れたい。
気づけば、書類としか向き合っていなかった
ふと自分の一日を振り返ってみると、朝起きてすぐにメールをチェックし、登記の進捗を確認、午前中に法務局、午後は役所や銀行と連絡を取り、夕方は事務所で書類作成。家に帰ればコンビニ弁当を食べて風呂に入って寝るだけ。気がつけば、誰かと向き合う時間なんてほとんどなかった。友人とも疎遠になり、恋愛なんて次元の話ではなくなっていた。気づかないふりをしていたが、これって普通じゃない。
「出会いがない」は言い訳?いや、本当に出会いがなかった
よく「出会いがない」は言い訳だと言われるが、少なくとも田舎で司法書士をしていると、本当に出会いがない。異性と出会うきっかけは、ほとんどが依頼人か業者。しかも業務上の関係で、そこから先に進むなんてことは滅多にない。婚活パーティー?参加する勇気も時間もなかった。紹介してくれる人もいない。田舎だからこそ狭い人間関係に縛られて、むしろ動きにくいという現実がある。
女性と話すより、法務局の担当者のほうがよく話す
気がつけば、女性と話す機会といえば法務局の担当者か、事務員の○○さんくらい。たまに優しい声をかけてもらうと、それだけで妙に嬉しくなる自分がいる。これが人恋しさというやつか…と思いながらも、そこに深入りするのが怖くて、また登記簿に向かってしまう。いつの間にか、仕事が“逃げ場”になっていたのかもしれない。
なぜか結婚相談所のパンフレットだけは捨てられない
部屋の隅に、数年前にもらった結婚相談所のパンフレットがある。なぜか捨てられない。読んでもいないくせに、なぜか「もしかしたら…」という期待だけは心の奥にあるのだろう。表紙の笑顔のカップルを見ては、現実の自分との距離感にため息をつく。なんでこんなにも手が伸びないのか、答えは分かっているのに。
でも実際、登録する気力すら湧かない
「登録しよう」と思ったこともある。でも、そのたびに仕事がバタつき、タイミングを失い、気がつけば先延ばし。正直に言えば、自信がない。今の自分を誰かに紹介しても、価値があるとは思えない。職業的には安定しているけど、それだけじゃだめなことくらい、分かっている。気力が湧かないのは、どこかで諦めているからだろう。
「仕事が落ち着いたら」の呪いがまだ続いている
「仕事が落ち着いたら…」この言葉を、何度自分に言い聞かせてきたか分からない。でも司法書士の仕事が完全に落ち着く日なんて来ない。案件は次々に入るし、役所も法務局も締切に追われる。だから「落ち着いたら」の呪いは、永遠に解けないまま歳を重ねてしまう。本気で変わりたいなら、そこに気づかないといけないのかもしれない。
事務所を守るという言い訳の裏に隠れた、自分の弱さ
「事務所を守るために必死だった」そう言えば聞こえはいい。でも、実際は怖かっただけだ。恋愛も、人生も、踏み出すことが。事務所を守るのは言い訳で、自分の内面と向き合うのが怖かったのだ。弱さを仕事のせいにして、自分を納得させていた。その代償が、孤独と停滞だった。
「忙しい」は逃げ道になっていないか
本当に忙しい。でも、その“忙しさ”に身を隠していた部分もある。誰かに誘われても「今、ちょっと立て込んでて…」と言えば断れるし、自分も傷つかなくて済む。「やりたくない」ではなく「やれない」と言い訳できるから、ラクだった。でもそれを続けていたら、気づけば何も変わらない日常が積み重なっていた。
実はただ孤独に慣れすぎているだけかもしれない
人はどんな環境にも慣れるものだ。孤独だってそう。最初は寂しい。でも、それが日常になれば、寂しさも感じなくなる。ただそれは「感じない」だけで、なくなったわけじゃない。人とのつながりが欲しくなる時が、ふいにやってくる。だからこそ、自分の今の状態を「慣れ」で終わらせてはいけない。
自分の人生設計を“補正登記”したい気持ち
他人の登記ミスは正確に補正できるのに、自分の人生の誤差修正は後回しにしてきた。補正登記がスムーズにいくように、自分の心も補正できたらどれだけラクかと思う。でも現実は、感情も迷いも一発で直せるものではない。ただ、気づいた瞬間が「補正の申出日」なのかもしれない。
登記情報交換システムには人生の相談窓口はない
登記情報交換システムは便利だ。全国どこでも情報をやりとりできる。でも人生の相談は、そこに出しても誰も応じてくれない。恋愛のことも、孤独のことも、誰かに話さなければ答えは出ない。書類を完璧に仕上げる能力と、自分の人生を動かす力とは、まったく別物なんだ。
それでも、前を向こうとする気持ちはある
このままでもいいのか?と問われれば、やっぱり答えはNOだ。完璧じゃなくても、不器用でも、何か変えていかないと同じ日々が続くだけ。それが苦しくて、こうして文章を書いているのかもしれない。小さくても、一歩だけでも、自分を変える行動をしてみたい。誰かのせいにせず、自分の人生に責任を持ちたいと思い始めた。
自分に喝を入れるタイミングは、自分で決めていい
他人に言われるよりも、自分で「そろそろやばいぞ」と感じる瞬間がある。そのタイミングが、変わるべき時だと思う。今の自分にとって、それが今かもしれない。人に遅れをとっていても、焦らず、自分の歩幅で前に進めばいい。誰かに笑われたって、自分が納得しているならそれでいい。
「書類の締切」は守れるのに、「人生の節目」は後回しだった
仕事では期日厳守が当たり前。どんなに忙しくても、登記の期限は守る。でも、自分の人生における節目——例えば結婚や新しい出会いについては、ずっと後回しにしてきた。誰にも迷惑をかけないから、つい放置してしまう。でもそれは、自分を大切にしていないのと同じなのかもしれない。
仕事に誇りはある。でも、それだけでは足りない
司法書士としての誇りはある。この仕事が好きだし、人の役に立てることにもやりがいを感じている。でも、それだけで満たされるわけじゃないと、この歳になって痛感する。仕事も人生も、どちらもちゃんと向き合わないと、どちらかが壊れてしまう気がしている。
後悔しないように、少しずつでも変えていく
急には変われない。それでも、「ちょっとパンフレットを開いてみよう」とか「1日だけ出会いの場に行ってみよう」とか、小さな行動でいい。積み重ねれば、それが未来を変える力になる。過去を悔やむのではなく、未来に自分を置いて考えてみる。そうすれば、少しだけ前を向ける気がする。