誰にでも言われるその一言がある
「恋人いないんですか?」――この言葉、これまでに何度耳にしてきたかわからない。若いころは飲み会の定番ネタで、軽く笑って流すのが通例だった。でも、ある程度の年齢になってくると、冗談のはずの言葉が、妙に重たく響く瞬間がある。地方で司法書士事務所を運営している私、45歳独身。元野球部で今も体力には自信があるが、どういうわけか女性にはさっぱり縁がない。仕事に忙殺される日々の中で、ふと放たれたこの一言が、ある日、心の奥に突き刺さった。
最初は笑えていた問いかけ
20代の頃は「彼女いないんですよ〜」と笑いながら答えていた。司法書士試験に合格したばかりの頃は、まだ未来に希望があったし、恋愛は後回しにしても何とかなると思っていた。同期との集まりや、役所関係の交流会でそんな話題になるたびに、軽口を叩いて場を和ませていたつもりだった。まさかそのセリフが、何年後かにこんなにも自分を傷つけるとは、その時は夢にも思わなかった。
恋人いないんですかと言われ慣れていた頃
当時は言われるたびに「まぁ、忙しいからね」とか「事務所回すので精一杯なんですよ」と、どこか自分を正当化しながら話を終わらせていた。実際、登記の依頼は次から次へと入ってくるし、事務員はひとり。地元のつながりもあり、いい加減な対応はできないという責任感だけで日々が過ぎていった。でも本当は、誰かと過ごす時間をどこかで欲していたのかもしれない。
ノリで返せていた自分がいた
昔はそれなりに冗談も飛ばせた。「今は自由を満喫してるんです」とか、「結婚はまだ人生のオプションですよ」とか言って、自分を余裕のある男に見せかけていた。たしかに、心からその余裕があったわけではないけれど、そう演じることで気が楽だった。しかし、その“演技”も、年齢と共に段々としんどくなっていく。誤魔化しきれないものが、心のどこかに沈んでいった。
ある日その言葉が地雷に変わった
「恋人いないんですか?」――その日もいつものように放たれたその一言。ただ、その日は妙に身体がだるく、登記の補正通知も重なって、精神的に余裕がなかった。相手は悪気があったわけではないし、冗談半分のつもりだっただろう。でも、心に引っかかっていた何かが、ついに決壊してしまった。返事ができなかった。笑顔も作れなかった。空気が固まり、相手も慌てて話題を変えた。
タイミングの問題なのかそれとも年齢か
あとで冷静に考えてみると、ただのタイミングの問題だったのかもしれない。でもその一言に、これまで自分が押し込めてきた「寂しさ」や「不安」が全部浮き彫りになってしまったようだった。45歳という年齢。誰にも甘えられない状況。たった一人で司法書士事務所を守り続けているという現実。すべてが、自分で選んだ道のはずなのに、その日ばかりは「選ばされてきた人生」だったように感じてしまった。
妙に心に刺さってしまった昼休みの会話
昼休みに立ち寄った喫茶店での会話だった。たまたま隣のテーブルにいた知り合いの行政書士が「先生って独身でしたよね?恋人とかいないんですか?」と笑いながら聞いてきた。いつもなら笑って返せた。でもその日は、ただ「うん」とだけ答えてコーヒーを見つめていた。なぜかその沈黙がやけに長く感じた。自分でも驚くほどの虚無感だった。
仕事に逃げている自分を否定できない
「仕事が恋人」なんてセリフ、昔のドラマの中だけの話だと思っていたけど、今の自分はまさにそれだ。逃げ道だったのか、誇りだったのか、もう自分でもよくわからない。ひたすら書類と向き合い、登記の内容をチェックし、依頼者の人生の節目に立ち会ってきた。でも、その裏で、自分の人生には誰もいないという事実が、じわじわと効いてくる。
登記よりも心の整理が難しい
誰かの不動産や法人の登記は、きちんと要件を満たせば正しく完了する。けれど、自分の感情はそうはいかない。昔の恋愛を引きずっているわけでもない。ただ、ずっと「後回し」にしてきたことが、今になって自分に牙をむいているように感じる。心の整理は、登記簿のように項目ごとに割り切れない。何が正解かもわからず、もやもやだけが積もっていく。
仕事ができるのにモテない理由を探して
一応、仕事はちゃんとこなしているつもりだ。クレームも少ないし、顧問契約もある。でも、それと恋愛の成功はまったく別物らしい。真面目すぎるのか、冗談が通じにくいのか、そもそも興味を持たれないのか。若い頃、野球部で坊主だった時期のほうがまだモテた気がする。今では髪も少し薄くなり、会話も硬くなって、近寄りがたくなっているのかもしれない。
ひとりで晩飯を食べながら考えたこと
コンビニ弁当を片手に、事務所の机で食べる夜。ふと、「このまま60になったらどうなるんだろう」と思った。司法書士としてのスキルは上がるだろう。でも、それ以外に何が残る? 一緒に笑い合える人はいるのか? そう思うと、食欲も失せていく。少しでも気を紛らわせようとYouTubeを流すけれど、心はどこかうわの空だった。
結婚がすべてじゃないとわかっていても
結婚や恋人がすべてじゃない。そんなことは百も承知だ。でも、自分以外の誰かと一緒に過ごす時間のかけがえのなさを、年齢を重ねるごとに痛感する。孤独が悪いわけじゃない。でも、「ずっとこのままなのか?」という問いに、いまだに答えが出せない。
事務員との雑談に潜む小さな痛み
唯一の事務員さんとの雑談。彼女は明るく、家庭の話や旅行の話もしてくれる。そのたびに「いいですね」と笑って返しているが、胸の奥では小さな痛みがうずく。自分には話す家庭も、予定の旅行もない。その現実が、日々の何気ない会話にじわりと滲んでくる。
ふとした瞬間に感じる孤独の鋭さ
仕事が忙しい日ほど、終わった瞬間に訪れる“静けさ”が恐ろしい。事務所を出て、誰も待っていない家に帰ると、テレビの音だけがやけに大きく感じる。今日も誰とも目を合わせなかったな…そう気づいたとき、妙な冷たさが胸を締め付ける。
それでも仕事を続けている理由
文句も言いたくなるし、弱音も出る。でも、それでも司法書士という仕事を辞めたいと思ったことはない。誰かの人生の大きな転機に関わるこの仕事は、確かにやりがいがある。そして、そんな自分を少しでも誇れる瞬間があるから、また明日も机に向かうのだ。
司法書士として誇れることは何か
誰かの相続に寄り添ったり、創業の夢を形にしたり。自分が関わった手続きが、誰かの人生に確かに影響を与えている。表には出ないけれど、それを自覚するたびに、ほんの少しだけ自分の価値を認められる。たとえ独りでも、その誇りはなくならない。
誰かの人生に関われることの価値
恋人はいない。でも、人生の節目に関われるこの仕事は、人とのつながりを与えてくれる。「恋人いないんですか?」と聞かれても、もう少し胸を張って言えるかもしれない。「いません。でも、それなりに幸せです」と。