午後の静けさは、心のざわつきの裏返し
司法書士という仕事は、外から見ると「静かな仕事」に見えるらしい。実際、午後の事務所は驚くほど静かだ。事務員のキーボード音だけが規則的に響いている。でも、私の頭の中は全然静かじゃない。次の登記、来週の決済、銀行とのやり取り、そして顧客からのクレーム対応…。自分の中では常に何かと戦っていて、午後の時間帯はその“戦い”が一番濃くなる。静けさはむしろ、その裏にあるざわざわした不安や焦りを増幅させる。
見積書、契約書、委任状…山のような紙に囲まれて
目の前に積まれた書類の山。見積書、契約書、登記識別情報、委任状…すべてが期限付きで、どれか一つでもミスをすれば信用が吹っ飛ぶ。しかも全部、似たような内容なのに微妙に違う。この微妙な違いに目を凝らし、判断を下すのが私の仕事だ。でも、正直なところ、何度も似たような書類を扱っていると、自分が“人間OCR”になったような感覚に陥ることもある。紙の束に囲まれながら、「これは本当にやりがいのある仕事なのか」と考えてしまう午後もある。
静かなのに全然休まらない、司法書士の午後
「静かで集中できる環境ですね」と見学に来た学生に言われたことがある。内心、「お前は何も分かってない」と思った。たしかに音は少ない。でも、その静けさが逆にプレッシャーになることもある。誰にも邪魔されない分、自分がやるべきことと向き合わざるを得ない。休憩するタイミングもつかめず、気づけば夕方。トイレに立つことさえ忘れるほど集中していた、というより、追い詰められていた。そんな午後が、週に何度もある。
誰にも見られていないのに、ずっと気を張っている
誰にも見られていないはずの時間なのに、なぜか気を抜けない。間違いを出せば、自分のせい。損害が出ても、自分の責任。だから、書類の数字ひとつ、印鑑のズレひとつにも気を張る。正直、神経がすり減る。なのに、それが“当たり前”だと思われているこの業界。ときどき「もう無理かも」と感じてしまう。だけど、そんな気持ちを誰に伝えればいい? ただ机に戻って、また目の前の紙とにらめっこを続けるしかないのだ。
この時間に何か意味があるのかと考えてしまう
午後3時を過ぎたあたりから、思考が鈍くなる。処理しきれない量の書類と向き合っているうちに、「この時間って、意味あるのか?」という疑問がふと頭をよぎる。仕事だからやらなきゃいけない。でも、ただ“終わらせること”が目的になってしまっている自分がいて、それが辛い。司法書士になった頃は、もっと一つひとつの案件にやりがいを感じていた気がする。でも今は…ただ、時間に押し流されている。
数字を追っているのか、自分の人生を見失っているのか
登記簿上の数字、依頼者との契約日、法務局の締切日…。そんな数字を追いかけているうちに、自分が何を大切にしていたのか見失いそうになる。先日ふと、「この仕事をしていて、自分の人生は豊かになってるのか?」と考えた。答えはすぐに出なかった。それどころか、「豊か」って何だっけ?と考え込んでしまった。司法書士という肩書はあっても、それだけで満たされるほど、私は強くない。
「また同じような案件か…」という虚無感
最近特に多いのが、売買による所有権移転登記。それも似たような内容、似たような物件。最初の頃は、「やっと実務だ」と嬉しかった。でも、何十件もこなすうちに、嬉しさは薄れ、ただの作業になった。ミスできないのは変わらない。でも、そのぶん“感情”を無くさないとやってられない。人間の顔をしたロボット。そんな気持ちになる午後もある。
前に進んでるのか、ただ擦り減っているだけなのか
経験を積んでいるのは確かだ。でも、それが“前に進んでいる”ことになるのかはわからない。むしろ、毎日似たような作業を繰り返す中で、自分の中の何かが少しずつ摩耗している気がする。昔の自分は、もっと熱意があった気がする。理想もあった。でも今は…「今日も無難に終われればいい」そんな気持ちで仕事に向き合っている。これは成長なのか、それとも諦めなのか。
それでも書類に戻る。今日もまた同じ午後
なんだかんだ言っても、私は今日も机に向かっている。文句を言いながらも、書類に目を通し、印を押し、確認する。もしかしたら、これは「意地」なのかもしれない。やめたいと思ってもやめられない。変わり映えのしない午後だけど、それでも誰かの手続きは進んでいて、誰かの人生の一部にはなっている。そう思わないと、やっていられない。ただの自己満足かもしれない。でも、それでもいい。
気づけば日は暮れて、机の上にだけ灯りが残る
事務員が「お先に失礼します」と帰ったあと、私はしばらく事務所に残っていた。蛍光灯の光に照らされる机の上だけが、ぽつんと浮かんでいた。コーヒーはすっかり冷めていたが、飲む気にもなれなかった。「今日も結局これか」と思いながらも、帰る勇気もなかった。ただ静かに、電卓を叩いて、明日のスケジュールを眺める。誰にも褒められない時間。でも、この時間こそが、司法書士の現実なのだろう。
誰かのために働いてるはずなのに、誰の声も聞こえない
依頼者のために働いている。そう信じていた。でも、最近はその“誰か”の顔が浮かばないことが増えた。オンライン対応も増え、電話だけのやり取りも多い。感謝の言葉も、クレームも、ほとんど届かない。「私がやってる意味って、あるのかな?」そんな疑問が頭に浮かんで、消えない。手続きを通じて人を支えているはずなのに、その“人”がどんどん遠く感じる。
でも、こうしているから誰かが助かっている…はずだ
そんな疑念の中でも、やっぱり私は書類に向き合う。完璧な登記、ミスのない手続き、それが誰かの安心につながっている。そう信じたい。実際、誰かが新しい家に住めるのも、会社が始まるのも、相続が片付くのも、こうした地味な作業があってこそだ。自分には何のドラマもないが、人の人生の一瞬には関われている。目の前の紙の向こうに、誰かの生活がある。そう思えるだけで、少しだけ今日の午後に意味が出てくる。