あなた誰状態で心臓が止まりかけた登記の話

あなた誰状態で心臓が止まりかけた登記の話

同姓同名というだけで地雷になる日が来るとは

司法書士として15年やってきて、まさか「同姓同名」というだけで冷や汗をかく日が来るとは思ってもいなかった。地元の小さな町では珍しい苗字が多いのに、たまたまその日に限って「佐藤一郎さん(仮名)」という割とありふれた名前の登記依頼が重なった。それでも、まさか違う人を登記しそうになるなんて、正直、自分の中では“そんなことあるかよ”の世界だった。でも、それがあったのだ。事務所でひとり、そのミスに気づいた瞬間、心臓がキュッと縮こまったのを覚えている。確認不足、油断、思い込み。全部が積み重なって、地雷を自分で踏みにいっていた。

登記簿を開いた瞬間に広がる不安の波

その日は朝からバタバタで、事務員と最低限のやりとりしかできず、書類をまとめて法務局に送る直前になってふと気になった。たまたま、添付した住民票を再確認したら、住所が予定していた依頼人と違う。そして生年月日もズレている。「…あれ?これ誰だ?」と呟いたときには、すでに頭の中で最悪のケースが走馬灯のように回り始めていた。おそらく、同姓同名の別人の資料が混ざった。名前が一致しているというだけで、無意識に“同一人物”と判断してしまった自分の判断ミス。それだけで登記ミスが起きるのがこの世界の怖さだ。

生年月日も住所も違うけど名前だけ一緒

司法書士の仕事では、名前だけで人を判断してはいけないというのは基本中の基本。でも、その基本が忙しさやルーティンの中で抜け落ちる瞬間がある。今回の件も、登記依頼者Aさんと、偶然同じ名前のBさんの資料が手元にあり、うっかりBさんの住民票を添付してしまった。しかも、二人はまったくの赤の他人。にもかかわらず、「名前が一緒だから、まあ大丈夫だろう」という油断が命取りになりかけた。住所も違えば生年月日も違う。普通なら気づくレベルの違いを見落としたのは、まさに慢心だった。

司法書士としてのプライドが崩れかけた

その瞬間、自分の中で何かがガラガラと崩れていく音がした。これまで誇りを持ってやってきた仕事。誰よりも慎重に、誰よりも正確にという信条を持っていたつもりだった。でも、その“つもり”が通用しないのが現実。プライドなんて、ほんの一枚の紙の前では簡単に砕け散る。ミスに気づいた自分を褒めたい気持ちもあるが、それ以上に「もしそのまま提出していたら」と思うと、夜も眠れなかった。

事務所の空気が一気に凍った午前十時

その日は朝から電話も多く、来客も重なり、事務所内は軽い戦場のような雰囲気だった。そんな中、ミスに気づいた私が青ざめながら事務員に確認を取った瞬間、空気が止まった。彼女もすぐに資料を見て、「え…これ、別人じゃないですか?」と一言。そこからは二人して無言。事務所に流れるあの静けさは、たぶん今後もしばらく忘れない。笑いごとではないけれど、逆に笑うしかないような地獄のような時間だった。

事務員も無言になるレベルのミスの気配

私の事務員は普段、ポジティブでよくしゃべるタイプなのだが、そのときばかりは沈黙が支配した。「これって…やばいやつですよね?」と小声でつぶやいた彼女の言葉に、ただうなずくことしかできなかった。ミスの重みが、言葉よりも沈黙を呼ぶ。登記の世界では、こういう“うっかり”がどれほど恐ろしい結果を招くかを改めて思い知らされた。彼女の無言の気配が、「あんた、それプロとしてやばいよ」と言っているように聞こえたのは気のせいではなかった。

「これって…ヤバいやつですよね?」

司法書士という職業は、信用と信頼が命だ。それを壊しかけた自分の行動を振り返り、事務員の一言が突き刺さった。思い込みで動いてはいけない、名前だけで判断してはいけない、それを何度自分に言い聞かせてきたか。それでも、ひとたび気が緩むとこんなことが起きる。今回の事件(もはや事件と言いたい)は、自分への強烈な警鐘だった。

なぜ気づけなかったのか自問する昼休み

午後の外回りの前、事務所で食べる冷めたコンビニ弁当の味がいつも以上に苦く感じた。「なんでこんなミスを?」と何度も頭の中でループ。答えはシンプルで、ただの確認不足。そして、日々の疲れと忙しさのせいにして、基本を怠ってしまったという事実だった。冷静に考えればすぐ気づけたはずなのに、それができなかった。昼休み、無言で味のない白飯を噛み締めながら、ただただ反省していた。

忙しさにかまけた確認不足が招いた悲劇

「忙しいから仕方ない」なんて言い訳は通用しない世界にいることは分かっていたはずだった。依頼が立て込むと、つい“このぐらいでいいだろう”という気持ちが芽生える。だが、その気の緩みが命取りになる。確認作業は面倒くさい。だが面倒くさいを放置した結果、登記ミスとなれば信用も顧客もすべて失う。今回の件は未遂で済んだからよかったものの、一歩間違えれば大ごとになっていた。

名前に安心してしまうという職業病

「同じ名前なら同じ人」――これは一般人がよくやる思い込みだが、プロである自分がやってしまったことにショックを隠せなかった。司法書士にとっては、名前はただの一要素に過ぎず、住所や生年月日、本人確認書類で厳密に確認すべきもの。それを怠るとは、完全に職業倫理の欠如だった。「佐藤一郎」という名前を、今後絶対に“安心材料”として見ないと誓った。

この職業に慣れた頃が一番危ない説

人は慣れてくると、慎重さを失う。これは野球部時代も同じで、キャッチャーがサインミスするのはいつも気が緩んだ時だった。司法書士の仕事も同じ。初心を忘れた時にこそ、一番大きな落とし穴がある。経験があるからこそミスをしない、ではなく、経験があるからこそミスをする。今回の件で、あらためて肝に銘じた。

とっさの連絡が命を救った夕方の一報

ミスに気づいた直後、依頼人に即電話をかけた。「すみません、確認したいことがありまして…」と切り出した私に対し、依頼人は少し戸惑った様子だったが、話すうちに「それ、たぶんうちの遠縁の○○さんですね。全然違う人ですよ」とあっさり言ってくれた。あの一言で、頭の中の霧が一気に晴れた気がした。とにかく、未然に食い止められた。命拾いとはこのことだ。

依頼人の一言で間一髪の軌道修正

正直、電話をかける手は震えていた。こんなことで信頼を失うのではないか、怒鳴られるのではないか、そんな不安が頭をよぎる。でも、依頼人は意外と冷静で、むしろ「気づいてくれてよかった」と言ってくれた。この言葉にどれだけ救われたことか。やはり、最後の砦は人との対話であり、確認の徹底だと痛感した。

「その人たぶんウチの親戚じゃないです」

まさかの親戚だったというオチがついたこの事件。しかも疎遠な関係で、普段の生活ではまず接点がない相手だったそうだ。こういう偶然があるからこそ、司法書士は油断してはいけない。どんなにレアケースでも、「まさか」が「ある」のが現場なのだ。

ヒヤリを通り越してドッと汗

電話を切ったあと、心臓のドキドキが一気に疲労感へと変わった。ソファに崩れ落ちて天井を見つめながら、「今日はもう帰りたい」と本気で思った。だが、それでも明日は来るし、仕事は続く。この経験は、きっと今後の自分にとって財産になる…と信じたい。でも正直、もう二度と味わいたくない冷や汗だった。

登記って本当に一字一画が命取り

今回の出来事であらためて思い知ったのは、「登記は細部が命」だということ。漢字の一画違い、生年月日の1日違い、すべてが致命的になりうる世界。自分のミスを通じて、その重みを再認識することができた。忙しくても、眠くても、確認だけは手を抜いてはいけない。反省と自戒を込めて、この記事を書いている。

漢字の違いじゃ済まないことがある

過去には、旧字体と新字体の違いに気づかず登記修正を求められた経験もある。一字違いが人違いになる、それが登記の世界の怖さだ。だからこそ、細心の注意が求められる。今回の件も、「佐藤一郎(仮名)」が「佐藤一朗」だったら、きっともっと早く気づけていたかもしれない。だからこそ、油断禁物だ。

本人確認の二段三段チェックが必要

名前だけでなく、住所、生年月日、顔写真付き証明書、すべてを多重チェックする癖を、今一度見直す必要がある。どれか一つが間違っていたら、それは“違う人”だ。司法書士の仕事において、確認を怠ることは罪だ。今回の失敗が、それを身をもって教えてくれた。

忙しい時こそ落とし穴に気をつける

バタバタしている時に限って、こういうトラブルは起きる。だからこそ、忙しい時こそ丁寧に。急がば回れ、とはまさにこのこと。自分のペースを乱さず、一つ一つの仕事を丁寧に積み上げていくこと。地味だが、それこそが信用を守る唯一の道だと、改めて胸に刻んだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。