はじめは、ただの“選択肢の一つ”だった
司法書士になろうと決めたあの日、別に夢があったわけじゃない。ただ、「資格があれば食えるかもしれない」という現実的な理由でしかなかった。そりゃあ、サラリーマンも考えたけど、組織の中でうまくやれる自信もなかったし、何より年功序列の世界が性に合わなかった。だから、独立できる士業という選択肢が現実的に映った。誰かに勧められたわけでも、憧れがあったわけでもない。ただ、人生をかけるには、あまりにもドライな動機だった。
司法書士を選んだ理由なんて、正直なところ現実的なものでしかなかった
塾講師のバイトをしながら、ボロアパートで六法全書を読みあさっていた日々。「法律を学ぶのっておもしろい」と思った瞬間もたしかにあったけど、現実には受験勉強は苦痛の連続。合格すれば未来が開けるという希望だけが支えだった。周りの友人たちが就職していくなか、自分だけ取り残されたような孤独感もあった。でも、なぜか踏ん張った。食える道を、自分で見つけなきゃという焦りの方が強かった。
資格さえあれば何とかなると思っていたあの頃
まさか、資格を取ってからの方が地獄だとは知らなかった。開業初日、電話も来客もゼロ。名刺を配り歩いても、誰もこちらを見てくれない。肩書きだけじゃ、誰も頼ってくれない現実。営業が苦手とか言ってる余裕もなかった。事務所の家賃も、生活費も、自分で稼がなきゃならないのに、やり方がわからなかった。それでも「資格があれば…」と信じていたあの頃の自分に、少し苦笑いしてしまう。
合格はゴールじゃなかった。むしろ地獄の始まり
あの瞬間、合格証書を見たときは本当に嬉しかった。両親も珍しく泣いてくれて、「よく頑張ったな」と言ってくれた。でも現実は甘くなかった。登録費用、備品購入、看板代…まとまった貯金が一気に消えていく。電話が鳴らない時間に、ただパソコンの前で意味もなくキーボードを叩く毎日。誰かからの依頼を待ち続けるだけの日々に、何度心が折れそうになったことか。独立って、そんなに甘くない。
「好きになる余裕なんてなかった」が、気づけば染みついていた
生活のために始めた仕事だったのに、いつの間にかそれなしでは自分が自分でいられなくなっていた。気がつけば、スーツに着替えること、相談者の話を聞くこと、書類を整えること、それが日常の一部になっていた。面倒くさくてうんざりすることも多い。でも、それでもこの仕事を「やめたい」とは思えない。ふとした瞬間に感じるやりがいや、小さな感謝が、静かに胸に残っていく。
辞めようと思った回数は数えきれない
クレーム、報酬の未払い、手続きミス。毎月何かしらのトラブルに巻き込まれている気がする。事務員にも気を遣わせ、愚痴も言えない日々。ふとした夜に、「俺、何やってるんだろう」と天井を見つめることもある。田舎だから案件も限られていて、思うように仕事が増えない。それでも、「もう辞めようか」と口にするたび、どこかで自分が踏みとどまってしまうのは、きっと“嫌いじゃない”からだと思う。
なぜか、朝になるとまた机に向かっている自分がいた
前日の夜、もうやってられん!と嘆いたはずなのに、朝になるとまた書類の山に手を伸ばしている。ルーティンが身体に染みついてるのか、それとも意地なのか。でも、電話の向こうで「ありがとうございます、助かりました」と言われると、心がスッと軽くなるのを感じる。大きな成功はない。でも小さな安堵を積み重ねるようなこの日々は、思っていたよりずっと悪くないのかもしれない。
“逃げたい”と“向き合いたい”の繰り返しのなかで
週に一度は「東京でサラリーマンでもやってたらどうだったかな」と妄想する。でも、すぐに「それもたぶん俺には合わなかっただろうな」と結論に至る。逃げたい気持ちと、向き合いたい気持ちが綱引きして、結果的に今ここにいる。決して楽ではない。でも、ふとした瞬間に「俺、司法書士でよかったかもな」と思える日がある。それが、続ける理由になっているのだと思う。
人に話せない悩みこそが、心を支配する
同業者同士で集まっても、本音で話せる相手は少ない。みんなプライドもあるし、弱みを見せたくない気持ちはわかる。自分だってそうだ。でも、ふとしたタイミングで漏れる愚痴の中に、同じような孤独を抱えてるのが伝わってくる。みんなそれぞれ、なんとか踏ん張ってる。そんな姿を見ると、少しだけ救われた気持ちになる。
事務員一人。孤独な戦いの日々
うちの事務所は自分と事務員のふたりだけ。事務員は気が利くし、黙々と仕事をこなしてくれる。でも、責任の重い判断や、厳しいクレーム対応はやはり自分がやるしかない。誰かに相談したくても、結局「自分でなんとかするしかない」となる。孤独とは、物理的な人数の話ではなく、責任の所在の話なんだと痛感する日々だ。
相談相手のふりをして、本当は自分が話を聞いてほしい
相談者の話を何時間も丁寧に聞いて、「大丈夫ですよ」と安心させる。それが仕事だ。でも、たまには「自分の話を誰かに聞いてほしい」と思うこともある。居酒屋のカウンターで隣に座ったおじさんにすら、話したくなってしまう夜もある。人の悩みを受け止め続ける仕事だからこそ、自分の中に溜まるものもある。吐き出し方を知らないまま、積み重なっていく。
士業って、聞き役ばかりで、話し相手はどこにもいない
家に帰っても話し相手はいない。独身で、恋人もいない。誰かに愚痴をこぼすこともないまま、一人で風呂に入り、一人で酒を飲み、一人で寝る。それが日常になって久しい。でも、朝になるとまた“相談相手”としての自分に戻る。聞いて、受け止めて、答える。それをずっと続けていると、自分自身の声がどんどん小さくなっていく気がして、少し怖くなる。
それでも、この仕事が嫌いになれない理由
理不尽なことばかり、孤独も多い。それでも、ふとした瞬間に「ああ、やっててよかった」と思えることがある。それは大きな成功や報酬ではなく、たった一言の感謝や、依頼者の安心した笑顔だったりする。その瞬間に、自分の存在が誰かの人生の一部になれた気がして、少しだけ心があたたかくなる。だからやっぱり、嫌いになれないんだ。
感謝の言葉は少ない。でも時々、それが胸に刺さる
「助かりました」「本当にありがとうございました」。その一言をもらえるまで、長い時間がかかることもある。中には報酬だけ払って無言で去っていく人もいる。でも、ごくたまに、深く頭を下げてくれる人がいる。その瞬間、全ての疲れが少しだけ報われる気がする。「この一言のためにやってるのかもしれないな」と、しみじみ思う夜がある。
手続きの向こう側に、人の人生が見える瞬間
登記や相続なんて、書類上の処理に見えるけど、実際はその人の人生の節目に立ち会っているという実感がある。家を買う、親を失う、遺産を分ける。どれも感情が揺れる瞬間だ。形式的な仕事のようでいて、実はすごく人間くさい。そんな場に立ち会えることに、意味を感じてしまう自分がいる。それが、司法書士としての喜びなのかもしれない。
「あの時あなたに頼んで良かった」と言われた日
ある日、登記を終えたお客様から手紙をもらった。「不安でいっぱいだったけど、あなたの説明で安心できました」と書かれていた。その手紙は今も、引き出しにしまってある。報酬よりも、どんな勲章よりも、その言葉が心を支えてくれる。この仕事は、目立たないけど、人の心に残る仕事なのかもしれない。そう思えた日は、ちょっとだけ誇らしかった。
恋に落ちた、というよりは、いつの間にか“離れられなくなった”
気づけば、20年近くこの仕事を続けてきた。「好き」とは違うかもしれない。「慣れ」かもしれない。でも、もう自分の一部になっている。愚痴も多いし、不満も多いけど、離れようとは思えない。これが“恋”というなら、だいぶ不器用で、だいぶ地味で、でもどこか誠実な恋だと思う。
好きとか嫌いとかじゃなく、ここに自分の居場所があった
いろんな仕事を想像したことがあるけど、結局、ここに戻ってきてしまう。それは“好きだから”というより、“他に行く場所がない”という寂しさかもしれない。でも、同時に“ここに居られること”への安心感もある。うまく言葉にできないけど、これはたぶん、人生と静かに折り合いをつけた結果なのだと思う。
寂しさを抱えたままでも、立ち続けられる場所
どこかで、誰かの役に立っている実感があれば、人は孤独でも耐えられるのかもしれない。たとえ一人で夜を過ごしても、日中に誰かの人生に触れていられるこの仕事は、寂しさを少しだけ紛らわせてくれる。完璧じゃなくていい。派手じゃなくていい。ただ、自分にとっての“場所”がここにある。それだけで、今日も少しだけ前を向ける。