はじまりは一通の問い合わせ
事務所の電話が鳴ったのは、朝のコーヒーがまだぬるかった時間だった。
「築五十年の空き家を相続したので、登記の名義変更をお願いしたい」
そう語る男の声には、どこか急いているような響きがあった。
旧家の売却相談に違和感
持ち家を相続して登記を変更し、売却する——それ自体はよくある話だ。
だが、依頼人の提示した委任状があまりにも整いすぎていて、かえって怪しかった。
司法書士の勘というやつは、信じた方が身のためだ。
登記簿から見えた空白の時間
法務局で閲覧した登記簿謄本には、十年以上前に所有者が死亡して以降、まったく動きがなかった。
遺産分割協議もなければ、相続登記もされていない。
その静けさが、かえって物語を語っているように見えた。
現地調査と隣人の証言
車を走らせ、山間の住宅地に佇むその家を訪れた。
古びた瓦屋根に、ひび割れた塀。だが、どこか人の気配がない。
あまりにも「空き家すぎる」のだ。
誰も住んでいなかったという証言
隣家の老婦人が顔を出し、「あの家にはもうずっと誰もおらんよ」と言った。
話を聞けば、最後に人が出入りしていたのは十二年前。
だが、依頼人はつい最近、住んでいたかのような口ぶりだった。
雨戸の内側にあった異物
試しに軒下の雨戸を開けてみると、内側に新聞紙がガムテープで貼り付けられていた。
日付を見ると、十一年前。
時間が止まったまま、誰かの都合で封じ込められていたような、そんな気がした。
依頼人の正体と消えた家族
市役所で調べると、依頼人の名前で住民票の記録が一度もない。
さらに戸籍を追うと、登記名義人の息子と名乗っていた彼は、その家とは無関係の赤の他人だった。
「売却のための名義変更」という言葉が、嘘を含んでいたことがはっきりした。
登記の名義人はすでに死亡していた
被相続人は十二年前に他界し、子供も妻もすでに死亡。
本来であれば、相続人不存在として特別代理人の選任などが必要になる案件だ。
それなのに、いきなり登記を移すなど、通常ではありえない。
相続登記がなされていなかった理由
妙に思ったのは、彼の知識が中途半端に正確だったことだ。
たとえば「相続登記をすればすぐに売れる」という言い回し、どこかで聞いたような……。
どうやら、素人ではない何者かが背後にいる気配がする。
サトウさんの鋭い一言
「これ、どう考えても誰かが意図的に止めてますね」
サトウさんはファイルを閉じながら言った。
その目線は冷静で、しかも核心を突いていた。
「これ、どう考えても誰かが意図的に止めてますね」
仮に、何者かが「家が空き家である」ことを周囲に信じ込ませた上で、登記情報を保持し続けていたとしたら?
それは、時間を凍結するという意味で、完璧な隠蔽工作だったのかもしれない。
やれやれ、、、これは面倒な展開になってきた。
司法書士としての一手
俺は、司法書士としてできる調査を全て動かした。
所有権の移転仮登記が十年前に一度だけ申請されていた記録を見つけた。
しかも、それは却下されたままだった。
職権での調査と法務局への照会
その記録をもとに、法務局の担当官に事情を聞くと、当時偽造書類の疑いがあったという。
だが、刑事事件にはならず、申請が却下されて終わったらしい。
依頼人は、その古い手口をもう一度なぞっていた。
仮登記の存在が語る事実
仮登記があったことで、過去にも「誰か」がこの家を狙っていたことが明らかになった。
同一人物かは断定できないが、今回も似たような偽装が行われている可能性は高い。
ここから先は、司法書士の領域を超える。だが、逃がす気はなかった。
暴かれる偽造とその動機
その後の調査で、依頼人が不動産ブローカーとつながっていたことがわかった。
おそらく、空き家を偽の委任状で売却し、数百万円を抜く手口だ。
表には出ないが、似たような事例は実は多い。
偽造された委任状と過去の借金
彼は過去に自己破産しており、金に困っていた。
そして、偽造された委任状には、彼の手癖が残っていた。
筆跡鑑定までは不要だった。あまりにも稚拙な偽装だった。
結末と沈黙の理由
依頼人は、静かに罪を認めた。
「誰にも迷惑をかけるつもりはなかったんです。ただ、家があったから……」
それだけを言い残し、連行された。
守りたかったのは家ではなく名前だった
彼がこだわっていたのは、物件そのものではなかった。
かつて自分が住んでいた「名前」だけを守りたかったのだ。
だが、それは誰かの権利を踏みにじる行為だった。
シンドウの小さなため息と「やれやれ、、、」
「まったく、またこういうのか」
俺は書類の山を片付けながら、静かにため息をついた。
「やれやれ、、、こっちは寝る暇もないよ」とつぶやいた時、サトウさんがひと言、「誰かに必要とされてるってことでしょ」と言った。