合格=ゴールじゃなかった。司法書士になってからの“想定外”

合格=ゴールじゃなかった。司法書士になってからの“想定外”

試験に受かれば人生逆転…のはずだった

司法書士試験に合格した瞬間、正直「これで人生勝った」と思っていた。周囲にはそう言わなくても、心の奥では「これで報われる」「世間から一目置かれる」と期待していた。学生時代は目立たなかったし、会社員時代も冴えなかった。だからこそ「司法書士」という肩書きに、人生をひっくり返す力を信じていた。でも、実際にその看板を背負って仕事を始めたとき、待っていたのは地味な書類と終わらない確認作業、そして想像以上に広くて深い責任の世界だった。

“合格通知”が届いた瞬間の高揚感

あのときのことは今でも覚えている。郵便受けに分厚い封筒を見つけ、手が震えた。開封して番号を確認した瞬間、膝から崩れ落ちるように座り込んで、しばらく動けなかった。まるで映画のワンシーンのようだった。長年の努力が報われたという感動は、たしかに存在していた。あの一瞬だけは、心から「自分はすごい」と思えた。でも、実務の世界に飛び込んでからは、その誇らしさを感じる場面はほとんどなかった。あれが人生のピークだったんじゃないかと、今でもふと思うことがある。

「これでやっと報われた」そう思った

あのときは本当に、すべてが報われた気がしていた。大学受験に失敗し、就職でも苦労し、恋愛もうまくいかなかった。いろんな挫折を経て、それでも机に向かい続けてきた自分を、自分だけは誇りに思っていた。そして「司法書士試験合格」の通知は、それを証明する勲章のように思えた。でも実際は、社会はそこまで甘くない。合格したからといって仕事が勝手に舞い込んでくるわけじゃないし、名刺に書いた肩書き一つで信頼されるほど世の中は単純でもなかった。

でも今思えば、あれがスタートだった

合格通知はゴールじゃなかった。ただのスタートラインだった。それも、しんどい山道の入り口。しかも誰も「道の歩き方」を教えてくれない。勉強はできても、営業はできない。理屈は知ってても、人間関係は苦手。そんな“司法書士あるある”に、嫌でもぶつかる。試験に受かったことで、むしろ孤独になったような気さえした。誤解を恐れずに言えば、司法書士という肩書きは「無能が隠せない職業」だと思う。自分の実力も、弱さも、すべて露呈する場所だった。

まわりの期待と現実のズレ

合格したと知ると、周りの人たちは「すごいね!」「これで安泰だね!」と言ってくれた。家族も友人も、まるで“勝ち組”に転身したかのような反応だった。だけど実際の仕事は、とにかく地味で、細かくて、ミスが許されない。市役所や法務局とのやり取り、登記ミスのチェック、クライアントの心理的ケア…。世間が想像する「先生業」と、実際の仕事内容のギャップに、少しずつ自分自身が疲弊していった。華やかでもなければ、儲かるわけでもない。それが現実だった。

「司法書士さんなら安心ですね」と言われるけど

この言葉、嫌いじゃない。でもプレッシャーがすごい。「間違いがない人」という目で見られるから、一度のミスが命取りになる。しかも“安心感”を求められる割には、業務の内容は複雑で、相手の勘違いや不備に振り回されることも多い。それでも「先生なら間違えないですよね?」という前提で話が進むから、胃がキリキリする。気づけば笑顔の裏で、歯を食いしばっていた。周囲の期待に応えようとすればするほど、自分の中の余裕が削れていく。

仕事の内容は想像以上に地味で泥臭い

書類を整える、期限を守る、電話を折り返す、郵送を急ぐ…。毎日繰り返されるのは、地道で当たり前のような作業ばかり。だけど一つでも抜けると、信頼が崩れる。だから手を抜けないし、常に神経を尖らせている。ドラマに出てくるような「法のプロフェッショナル」なんて幻想で、実際は、パソコンの前で独り言をつぶやきながら、間違い探しをする日々だ。こういう“泥臭さ”こそが、司法書士のリアルなんだと痛感している。

事務所を構える、という“重み”

司法書士になったら、まず考えるのが「開業するか、勤務するか」。私は思い切って開業を選んだ。夢だったから。でも、現実は甘くなかった。開業の自由の裏には、すべての責任がのしかかる。家賃、光熱費、通信費、保険、そして人件費。ミスすればすべて自分の責任。相談相手もいなければ、クレーム処理も全部自分。肩書きは「代表司法書士」だけど、実際は「なんでも屋」。何かあっても代わりはいない。自由とは、孤独と表裏一体だった。

開業は自由。でも責任は全部自分

誰にも指図されずに働ける、というのはたしかに魅力だ。でもそれは同時に、何も守ってくれないということでもある。クライアントとの契約書も、自分で作る。トラブルが起きたら、謝るのも説明するのも全部自分。お金のやりくりに失敗すれば、給料も出ない。特に開業して最初の数年は、月末になるたびに銀行口座をのぞき込んで、冷や汗をかいた。自由に見える世界ほど、実は不安定。司法書士の独立って、そんなに華やかじゃない。

電話も来客もトラブルも、まず自分が出る

電話が鳴れば、まず自分が出る。事務員さんがいても、外出中なら自分。急な来客があれば、自分が応対。登記のミスがあれば、謝るのも自分。大きな事務所なら分担できる仕事も、個人事務所では全部一人で背負う。しかも、忙しい時に限ってイレギュラーな相談が舞い込んでくる。タイミングなんてお構いなし。休憩の途中でも、気を抜く暇なんてない。事務所の看板を出すということは、常に自分が「表に立つ」覚悟を持つということだと、今さらながら感じている。

ひとり親方の寂しさと、逃げ場のなさ

開業して良かったかと聞かれたら、正直「半々」と答えると思う。好きにやれるけど、誰にも頼れない。ミスがあれば自分の責任。業績が落ちても、誰にも文句は言えない。体調が悪くても、休めない。結局、ひとり親方って孤独なんだ。誰かに「大丈夫?」って声をかけてもらいたい日もある。でも、こっちが「先生」って呼ばれる立場だから、弱音を吐けない。そんな空気に包まれて、今日も机の前でため息をついている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。