それって弁護士さんってまた聞かれた日

それって弁護士さんってまた聞かれた日

司法書士って何する人なのと今日も聞かれる

「司法書士です」と名乗った瞬間に返ってくる言葉の定番、「それって弁護士さん?」。このやり取り、もう何十回目かわからない。時には役所の職員にまでそう聞かれることがある。そんな時、少しだけ肩を落としつつ、「いや、ちょっと違うんですよ」といつもの説明モードに入る。この職業が、世間にどれだけ知られていないのかを日々実感する。別に派手な職業を選んだわけじゃない。でも、せめて存在くらいは知っておいてほしい。そんな願いが、また一つ空に消えていく。

いまだに説明から始まる仕事の一日

朝イチでかかってきた電話。「あの、遺産相続のことで、弁護士さんに相談したくて…」という相談者に、「いえ、こちら司法書士ですが、お力にはなれるかもしれません」と切り返す。こうして、一日の始まりは自己紹介と違いの説明から始まる。もう慣れたとはいえ、最初の数分が毎回「説明業務」になるのは、地味に疲れる。しかも、話していくと「あ、じゃあ弁護士さんに頼んだ方がいいですよね」と言われることもある。心の中で「違う、そうじゃない」と叫びつつ、電話を切る。

登記と書類とハンコと俺

登記業務が中心だというと、「ああ、役所の人?」と言われたこともある。違います。書類を黙々と処理して、法務局と何度も往復して、不備があれば即座に訂正。しかも、依頼者が用意した書類が中途半端だと、補完作業はすべてこちら持ちになることもある。法律知識だけじゃやっていけない、コミュ力と調整力がものを言う。なのに、表からは「書類の人」くらいの認識しか持たれないのが現実。俺の汗と時間が、紙と印鑑の陰に隠れて消えていく。

「法律家です」って言っても伝わらない壁

司法書士も法律家だと説明すると、「じゃあ、法廷にも立つんですね!」と返されることもある。いや、立たないし、立てない。簡裁代理権はあるけれど、それも範囲は限定的。結局、「中途半端な弁護士」的に捉えられてしまうことがある。これがまた悔しい。例えるなら、医者と歯医者の違いを説明しても、全部「病院の人」で片付けられるようなもの。役割は違うし、専門性も違う。でも、世間のラベリングは一括りだ。

弁護士との違いを何度説明すればいいのか問題

本当に、これ何回説明しただろう。仕事の内容を一言で説明できるなら苦労しない。登記、相続、債務整理、会社設立…。それを分かりやすくかみ砕いて、相手の理解度に応じて言い換えて説明する。司法書士になるまでには相当な勉強が必要だったけど、この「説明力」は誰も教えてくれなかった。法律よりも、一般社会の常識の方が壁になるとは思わなかった。

似て非なるもの でも説明が面倒

ある日、同窓会で「お前、弁護士だっけ?」と聞かれて、訂正するのも面倒で「まあ、そんな感じ」と流してしまった。そんな自分が情けなかった。説明しても「へえ〜」で終わるなら、しない方が精神衛生上マシな時もある。でも、それで司法書士という仕事がまた一つ「知られない職業」になっていくのかと思うと、悔しさが残る。

誰か代わりに広報してほしい気持ち

最近はSNSやYouTubeで司法書士を紹介してくれる若手の方々もいて、ありがたい限り。でも自分にはそんな時間も技術もない。誰かがこの業界の「営業部長」になってくれたらと思う。テレビドラマでもいい、主人公の友達とかで出してくれたらそれだけでも知名度は違うのに。現実は、今日も地味に、登記簿をひたすら入力してるだけだ。

田舎で司法書士をやるということ

地方で司法書士をやるというのは、良くも悪くも「顔が知られている」ということ。信頼という名のプレッシャーもすごいし、頼られる分、断れない空気もある。人間関係の濃さは、ありがたさと面倒くささの表裏一体。プライベートなんてものは、もう幻想かもしれない。

人口減少と高齢化と仕事の波

この町でも年々人口が減り、若い人はどんどん出ていく。そうすると、依頼も「相続」か「遺言」ばかりになる。商業登記はほぼゼロ。新規開業の手続きなんて年に一件あるかどうか。季節によって忙しさの波も激しくて、ヒマな時期に焦り、忙しい時期にはパンクする。安定感なんてものはない。ただ、淡々と、目の前の依頼に向き合う日々だ。

頼られるけど案件は偏る現実

相談件数は多い。でも実際に受任に至る案件は限られている。相続登記は「何から始めたらいいかわからない」という人が多く、話を聞くだけで終わることもある。ボランティアじゃないんだけど、報酬の話を切り出すのが難しい空気もある。結局、「頼られるけど儲からない」案件が積み上がっていく。

便利屋扱いされてる気がするとき

「あんた法律詳しいやろ」と、近所の人が駐車場トラブルから家庭の愚痴まで話してくる。何でも屋じゃないんだ、と言いたいが、聞いてしまう自分もいる。元野球部の性格なのか、頼られると断れない。でも帰り道、ふと「俺の時間って何だろう」と考えてしまうことがある。

この職業を誇れる瞬間もちゃんとある

それでも、この仕事を辞めたいと思ったことはあまりない。不器用なりに向き合ってきたからこそ、ふとした瞬間に「やっててよかった」と思える時がある。誰かの人生に、少しでも安心を与えられたなら、それが何よりの報酬だ。

ありがとうと言われる嬉しさ

先日、相続登記を終えたおばあさんが、わざわざ手作りの漬物を持ってきてくれた。「ほんと助かりました。これで安心できます」と言ってくれた笑顔が忘れられない。派手な成果はないけれど、静かに人の役に立てる仕事なんだと思えた。

相続の不安を解消した日

長男と次男が揉めかけていた案件で、何度も説明と調整を繰り返し、ようやく合意に至ったときの空気は今でも覚えている。「先生がいてくれてよかった」と言われた一言が、心にしみた。ああ、これは他の誰でもなく、自分の仕事なんだと感じた。

登記が通ったときの小さなガッツポーズ

法務局から「完了しました」と連絡が来たときは、こっそり机の下でガッツポーズをする。誰にも見られないけど、そこに小さな達成感がある。地味で報われないことも多いけれど、結果を出せた瞬間だけは、ほんの少しだけ、自分を褒めてやりたくなる。

誰かの人生の転機に寄り添える仕事

登記や相続だけじゃない。会社を立ち上げる人、家を買う人、人生の節目に関わることも多い。書類を通じて見える「人の決意」や「家族の思い」がある。それを受け止めて、形にしていく。名もなき仕事かもしれないが、そこには確かに重みがある。

静かだけど確かに残る手応え

この仕事は派手な結果を出すわけじゃない。でも、登記簿の一行、遺言書の一文に、自分が関わった証が残る。その静かな手応えこそが、司法書士として生きる意味なのかもしれない。いつかこの仕事が、もっと知られる日が来ればいいと願いながら。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。