昼ごはんがただの「予定」になった日々
司法書士という仕事をしていると、どうにも時間の感覚がズレてきます。朝から依頼の電話、メール、書類の準備、役所への対応…。気づいたときにはもう午後2時を回っている。昼ごはんは「取ろうと思っていた」だけで、実際には取れていない。「あとで食べるから」と机の端に置いたおにぎりが、結局そのままになって、夕方には固くなっていることも。事務員さんが「先生、食べました?」と声をかけてくれなければ、たぶん今日も忘れてた。
気づけば14時過ぎ 食べる気力も失せる
時計を見たら14時20分。お腹は空いてるのに、「今さら何かを食べるのもなあ」と思ってしまう。昼どきを過ぎると、胃よりも気力のほうが負けてしまうのだ。外に食べに出る気力もなく、コンビニに寄るのも面倒で、結果として「まあいいか」で済ませてしまう。身体に良くないとは思いつつも、空腹に慣れてしまうのも怖いことだと思う。
電話と来客の挟み撃ちで昼が消える
「今なら食べられる」と思った瞬間に電話が鳴る。電話が終わって弁当を広げようとすると、ピンポンと来客。登記の相談、相続の書類確認…お昼どきなんて関係ない。相手にとっては当然の時間帯なのだが、自分の昼ごはんは後回しにされ続ける。食べることすら贅沢に思えてきて、余計にストレスになる。
「今ちょうどお昼なんで」と言えない空気
「今、昼なので後でかけ直してもらえますか?」と言えればいいのだけど、それができない性分なのだ。特に地方では人との距離感が近いぶん、少しでも冷たく聞こえる対応は避けたいと思ってしまう。「ああ、すぐ対応しますよ」と言ってしまい、自分の食事のタイミングをどんどん逃していく。損な性格だと自覚はしている。
“先に済ませておけばよかった”は何度目か
朝、「今日は12時に絶対食べよう」と思っていても、仕事が立て込むとすぐにその決意は崩れる。気がつけば、「先に食べておけばよかった…」の繰り返し。でもこれは、自分に甘いとか、計画性がないとかじゃなくて、ただただ突発対応が多すぎるだけだ。そう思っても、誰にも責められず、誰にも気づかれず、自分だけがじんわり後悔する。
体よりも先に心が参ってくる
昼ごはんを抜いても、意外と体は平気だったりする。でも、心のほうはそうはいかない。小さなことでイライラしやすくなったり、気力が湧かなかったり。「昼を食べてない」という事実そのものが、自分を無視しているような感覚になる。食べるという行為には、単なる栄養補給以上の意味があることに、最近やっと気づいた。
空腹でイライラする自分に自己嫌悪
お腹が減ると、妙に短気になる。「なんでこんなことで腹立ててるんだろう…」と思いながらも、気持ちのコントロールが効かない。事務員さんのちょっとしたミスにイラっとして、あとで謝ることになる。そんなとき、自分の人間性を疑いたくなる。空腹が人をダメにするというより、空腹を放置する生活が人を削るんだと思う。
血糖値よりも気分が落ち込むのが先
午後3時くらいになると、エネルギーが切れたように思考が鈍ってくる。集中力がなくなり、気分も沈みがち。何か失敗したわけでもないのに、「今日はもうダメだな」という気分になる。食べていれば、たぶんそこまで落ち込まなかった。小さなリズムの崩れが、大きな感情の波に繋がってしまう。
お腹が鳴っても誰も気づかない事務所
静かな事務所で、お腹がグーッと鳴る。でも誰もツッコんでくれない。事務員さんも黙々と自分の仕事をしていて、気まずさすら感じない。それが、ちょっと寂しい。誰かと「お腹すきましたね」と笑い合える関係が、少し羨ましく感じる瞬間だ。
食べずにいることが「仕事熱心」じゃない
「昼ごはんも食べずに仕事してる」って、昔なら頑張ってる証だったかもしれない。でも今は、それが良くないことだって分かってる。食事をないがしろにするのは、結果的に仕事の質も落とす。頑張りすぎることが評価される時代は終わったはずなのに、つい昔の感覚で無理をしてしまう。元野球部だから余計にそうかもしれない。
結局夕方にコンビニで済ませてしまう
昼ごはんを逃した日は、大体17時くらいに「あ、さすがに何か食べなきゃ」となる。だけどもう、どこかでしっかり食べる元気もない。近くのコンビニに寄って、パンとコーヒーを買って車の中で食べる。それで済ませた気になって、また仕事に戻るけど、やっぱり満たされない。
選択肢がカロリーメイトかカップ麺か
忙しい日のお供といえば、カロリーメイトかカップ麺。手軽で早い、そして味はまあまあ。でも、食べたあとに残るのは「なんでこんな食事ばかり…」という虚しさ。本当は誰かとちゃんとした昼ごはんを食べたい。だけどそんな時間も余裕もないまま、気づけば何年もこんな生活。
食べた気がしないのに罪悪感だけある
パン一つ、栄養ゼリー一つ。お腹には入れたけど、「食べた」とは言えない。それなのに、なんだか食べ過ぎたような気がして自己嫌悪になる。体にも心にも中途半端な感覚だけが残る。「ちゃんと食べること」って、こんなに難しかったっけ?と自問する。
誰かと一緒に「昼ごはん」を食べたい気持ち
ふと、「誰かと昼ごはんを食べる」ということがどれだけ貴重かに気づく。独身で、家にも帰れば一人。昼くらいは、誰かと笑いながら過ごせたら、それだけで気分が違うのに。そう思うたびに、もっと人との関わりを大事にすればよかったと反省する。でも、日々の忙しさに追われて、それすら難しい。
野球部時代の昼飯が恋しくなる
高校時代の野球部。あの頃は、昼飯が人生の楽しみだった。朝練から授業、昼休み、そして午後の練習。食べることに全力だったし、みんなで「うまいな!」って笑い合ってた。腹が減ることが日常で、でもそれを満たす時間もあった。今の自分に足りないのは、あの「ちゃんと食べて笑う」感覚かもしれない。
がっつり食ってがっつり動いたあの頃
焼きそばパン2個、唐揚げ弁当、牛乳、デザートまでつけて、それでも太らなかった高校時代。エネルギーを補給して、すぐに全力で動いてたから、罪悪感なんてなかった。今は、ほんのパン一つで罪悪感を抱える。あの頃の「思い切り食べて動く」っていうシンプルさが、恋しい。
「飯だけはしっかり食え」と言っていた監督
当時の監督は、どんなに厳しくても「飯だけはしっかり食え」と言ってた。試合に負けても、ごはんだけは残すなと怒られた。今思えば、あれが一番の栄養指導だったのかもしれない。「食べることが生きる力だ」って、本当の意味で分かるようになったのは、大人になってからだった。