あの日 ポストに違和感があった
朝一番、いつものように事務所のポストを確認した時だった。茶封筒が一通、差出人不明、宛名もどこか不自然で、うちの事務所名の漢字が一文字違っていた。たまにあるパターンだし、配達員さんも人間だ、と思ってそのまま机に置いたのが間違いの始まりだった。昔から違和感には鈍い方だ。元野球部のせいか、「気にしすぎない」という性格がこういう場面では裏目に出る。封を切ることはなかったけれど、数日放置してしまったことで、面倒なことになってしまった。
見慣れない名前にモヤっとした朝
宛名には「山口法律事務所」とあり、ウチの「山本司法書士事務所」とは明らかに別物だった。だが、住所はまったく同じで、まるでこちらが誤って書類を預かっているかのような状態。中を開けるわけにもいかないし、正直、どこに連絡したらいいのかもピンとこなかった。郵便局に? いや、まずは山口法律事務所をネットで調べてみるか。そんなことを考えながらも、忙しい日常に流され、書類は机の隅に置きっぱなし。たったそれだけのことが、後にとんでもない修羅場につながるなんて、この時の僕には想像もできなかった。
「まさかこれでトラブルになんて」と思っていた
誰でも一度はあると思う。誤配達された郵便物を「あとでどうにかしよう」と思ってしまうあの瞬間。実際、これまでも何度かあったし、ちゃんと処理してきた。でも今回は違った。相手が「法律事務所」という肩書きを持つ場所だったせいか、向こうの対応もやけに攻撃的だった。封も開けてないし、悪意もゼロだったのに、「なぜ放置したのか」と責められる始末。僕はただ、忙しくて後回しにしただけなのに。
うっかり返送しなかった自分への後悔
その後、届いたのは内容証明郵便。宛先が誤配された書類の件で、「本来の受取人が大変な迷惑を被った」とのこと。さすがに肝が冷えた。封も開けていないし、すぐに郵便局に届けたのに、なぜここまで言われなければならないのか。返送が2日遅れただけで、信用問題にまで発展するとは、田舎の事務所を一人で切り盛りしている身にはつらすぎる話だ。誰かと分担できれば、こんな思いはしなかったかもしれない。
誤配達の手紙を放置したら地獄の始まり
人の善意って、こんなにも簡単に踏みにじられるのかと思った。たしかに僕にも落ち度はあった。でも、たった一通の封筒でこんなに叱責されるとは。思えば、いつからこんなに世の中はギスギスしてしまったのだろう。忙しい司法書士が、少し気を抜いたことが、まるで大罪かのように扱われるこの世の中。少しばかり疲れた。
封筒一枚が騒動を呼ぶなんて
問題が起きたのはそれから数日後。山口法律事務所から電話がかかってきた。「大変なことになっているんですよ」と、低い声で言われた瞬間、血の気が引いた。開けてもいない書類に、ここまで責任を問われるのか。いや、確かに放置した。でも、こちらに悪意はない。それを伝えても「善意の第三者で済まない場合もある」とまで言われ、さすがに精神的に堪えた。
郵便局に連絡しても「こちらではわかりかねます」
結局、郵便局に連絡しても「配達ミスの詳細は追えない」「個人情報なので調査には限界がある」と、のれんに腕押し。つまり、僕が矢面に立つしかないということだ。誰のせいでもないミスの中で、僕だけが謝り続ける構図ができてしまった。真面目に仕事をしているつもりでも、社会はミスに対して極端に冷たい。
相手の怒鳴り声と「なんで開けたんだ」の一点張り
実際、封は開けていない。でもそれを証明する手段なんてない。「あなたが開けたのでは」と言われ、否定しても信じてもらえない。どれだけ言葉を尽くしても「そちらの管理が甘い」で片付けられる。事務員が一人しかいないという事実は、誰の助けにもならなかった。孤独な戦いに疲れ果てて、もう誰とも話したくなくなった日だった。
善意でも通じない時代に疲れる
この出来事のあと、郵便物が届くたびに一瞬身構えるようになった。たとえ正しい宛名であっても、どこか警戒心が抜けない。かつては当たり前にこなしていた日常のひとつひとつが、リスクに見えるようになった。司法書士という職業は信頼が命なのに、その信頼が一瞬で揺らぐ現実は、想像以上に恐ろしかった。
言い訳すら遮られる虚しさ
なぜこちらの言葉は最後まで聞いてもらえないのか。僕が一方的に悪者扱いされていく感覚に、久しぶりに涙が出そうになった。やるせなさと、理解されない孤独感。そのどちらもがじわじわと心をむしばんでくる。誰かに聞いてほしい、でも誰に話しても「ミスはミス」と言われるだけ。それが一番きつかった。
「司法書士でしょ」って肩書きが逆に不利になる瞬間
「司法書士ならもっとしっかりしないと」その一言が突き刺さった。僕だって人間だ。疲れる日もあれば、気が回らない朝もある。でも、肩書きがあることで、逆に「完璧」を求められる。それが本当にしんどい。もっと人としての余白を許される職業であってほしいと思う。でも現実はそう甘くない。
独身男の部屋に届いた見知らぬ書類
地元の一人暮らしのアパート。そんなところに「家庭裁判所」からの書類が届いたら、普通は焦る。でも僕は鈍かった。中を開けなかったのは不幸中の幸い。でも、そのせいで逆に疑われたという皮肉。誰にも頼れず、ただ封筒を眺めている時間だけが過ぎていく。結婚してたら、違った未来があったのかな、とふと思った。
中身が離婚調停の通知だった話
あとで知ったことだが、あの書類は離婚調停に関する重要な通知だったらしい。だから相手側は余計に敏感になっていた。誤配達がたった数日遅れただけで、調停日程に影響が出てしまい、先方の怒りを買った。独身の僕には縁がない世界のはずなのに、なぜか一番ややこしいものが僕のもとに来てしまったのだ。
元野球部の鈍さが裏目に出た
部活で鍛えられた「気にしない力」。あの頃は武器だったはずのその性格が、今では足を引っ張るばかり。「まあいいか」が命取りになるなんて思わなかった。でも、この年齢になって変わるのは難しい。僕は僕でやっていくしかない。そう自分に言い聞かせながら、また机の上の封筒を整えている。
それでも今日も登記は続く
あの一件から少し時間が経ち、気持ちも落ち着いた。けれど、完全には忘れられない。誤配達ひとつで信用を失う時代。誰もが余裕のない社会。だからこそ、僕は自分のペースで丁寧にやっていくしかない。愚痴ばかりこぼしても、誰も助けてはくれないのだ。
苦笑いで終わらせるしかない日常
つい愚痴ってしまう。事務員には申し訳ないけど、どうしても口から出てしまう。「またか…」って。けれど、最後には「まぁ、しゃーないな」と苦笑いで終わらせる。それが僕なりのバランスの取り方。器用じゃないけれど、続けていくにはそれしかない。
仕事に逃げるしかない優しさもある
誰かを傷つけたくない。だから余計なことは言わず、ひたすら仕事に向かう。登記簿を確認して、印鑑を押して、黙々と処理する日々。寂しいかと聞かれれば、正直寂しい。でも、きっと誰もが何かしらの寂しさを抱えている。僕だけじゃない。そう思うと少しだけ救われる。
そしてまた別の封筒が届く日常へ
ポストを開けると、今日も何通かの封筒が入っている。正直、ちょっと怖い。でも、仕事だからやるしかない。間違いがないか、宛名を丁寧に確認して、そっと机に置く。あの一件があったから、僕は少しだけ慎重になった。そうしてまた、何事もなかったかのように今日の登記が始まる。