法務局より心が近い誰かがほしい
仕事は回るでも心はすり減る
司法書士として、日々の仕事をなんとかこなしている。それでも、心が追いつかない日がある。手続きはスムーズに進み、依頼も無事に完了する。それなのに、満足感よりもむしろ空虚さが残る。たとえるなら、9回裏ツーアウトで三振して終わった試合のベンチのような気分だ。静かで、誰も何も言わず、ただ終わったという事実だけが残る。
予定通り進んでも満たされない日常
予定表はぎっしり。朝から晩まで動きっぱなしの日も珍しくない。だけど、終業後に一息ついたとき、ふと「これで良かったんだろうか?」という疑問が心に浮かぶ。やりきったという達成感より、やり過ごしたという感覚のほうが強い。成果を出しても、それを分かち合う相手がいない。試合に勝っても、祝ってくれる仲間がいない。そんな日々が続く。
事務所の灯りがついていても孤独
事務員がいてくれるだけでも、業務的にはとても助かっている。だが、夕方になって事務所に灯りがともっても、そこに感じるのは安心ではなく、静かな孤独だ。誰かがいるのに、誰もいない感覚。これは経験してみないと分からない。心がつながっていないという感覚は、灯り一つでは拭えない。
誰にも弱音を吐けないという罠
「先生、大丈夫ですか?」と事務員に気遣われることもある。でも、「ああ、大丈夫」としか返せない。弱音を吐ける立場ではないという思い込みが、自分を縛っている。結局、本音はどこにも吐き出せずに、また次の日を迎える。この繰り返しが、じわじわと心を削っていく。
事務員との距離感にも悩む
事務員はありがたい存在。でも、だからこそ難しい。業務を越えた関係になるわけにもいかないし、過度に距離を詰めると気まずさが生まれる。お互い大人だからこそ、微妙なバランスが必要だ。その結果、感情の共有はどこかに置き去りにされてしまう。
業務は助かるけれど感情までは支えられない
彼女が黙々と書類を処理してくれるのはありがたい。私が焦っていても、彼女は落ち着いて対応してくれる。でも、心のもやもやまでは処理してくれない。これは、誰が悪いとかではなく、ただ役割の違いなのだ。だがその役割のすき間に、自分の感情が取り残されていく。
優しさを求めると気まずくなる関係性
たまに少し気を許して話しかけたとき、空気がピリッとするのを感じることがある。たとえ相手が何も言わなくても、こちらの心が自動的に引いてしまう。「これは職場の会話じゃないかも」と自己検閲してしまう。その瞬間、また一歩、距離が広がったような気がして虚しくなる。
職場での線引きが時に寂しさを生む
距離感は大切だ。けれど、線引きを意識しすぎるあまり、結果的に人間味のないやりとりになってしまうこともある。もっと気軽に話せたらいいのにと思うが、相手の立場を思うと踏み込めない。だからこそ、ただ雑談ができる相手がほしい、そう思う。
法務局とのやり取りは淡々と
法務局とのやり取りは、効率的で事務的。淡々としていて、無駄がない。でも、その「無駄がない」が、逆に心に冷たさを残す。感情の入り込む余地がない世界に、ずっと身を置いていると、ふとしたときに息が詰まりそうになる。
効率的だけど無機質な毎日
電話をかけて、必要な情報を伝えて、終わり。それが正しいし、そうあるべきなんだけど、毎日そればかりだと、人間的な温度が恋しくなる。お互いに感情を挟まず進めるのは楽だけど、同時に何も残らない。
「お疲れさまです」の一言がほしくなる
ほんの一言で救われることがある。たとえば、用件の後に「いつもありがとうございます」と言われたら、それだけでちょっと温かくなる。でも、そんな言葉は滅多にない。必要最小限だけが飛び交う世界は、やっぱり味気ない。
人間味のないやりとりが蓄積する疲れ
こういうやりとりが何度も続くと、自分もだんだん機械のようになっていく。感情を出さないことが当然になって、気づいたら笑うことすら減っていた。誰にも何も求めない代わりに、何も期待できない世界。それが、じわじわと心に効いてくる。
誰かと喜びを分かち合いたいだけなのに
特別なことを望んでいるわけじゃない。ただ、ちょっとした達成感や嬉しさを「良かったね」と言ってくれる人がほしいだけなのに、それが難しい。共有できる相手がいないと、喜びすら色あせてしまう。
登記完了の達成感を共有できない虚しさ
何ヶ月もかかった案件がやっと完了したとき、「やった」と心の中でガッツポーズをする。でも、それを誰かと共有できるわけじゃない。事務所の中で小さくガッツポーズして、すぐに次の案件に取りかかる。そんな毎日だ。
報告先のない仕事の喜び
誰かに「がんばったね」と言ってほしい。でも、そんな相手はいない。親も遠くに住んでいるし、友人とはたまにしか会わない。結局、自分の仕事ぶりを認めるのは、自分しかいない。それって、思っているより孤独だ。
自分の存在意義が見えにくくなる瞬間
忙しければ忙しいほど、「自分ってなんのために働いてるんだろう」と思う瞬間がある。誰のためでもない、でも自分のためとも言いきれない。その中途半端な位置が、じわじわと心を締めつけてくる。