士業なのに私生活ボロボロでごめんなさい

士業なのに私生活ボロボロでごめんなさい

開業から今まで何してたんだろうってふと思う朝

朝、目が覚めて天井を見つめる時間が長くなった気がする。開業してからの十数年、がむしゃらに走ってきたつもりだったけど、ふと立ち止まった瞬間、自分は何かを成し遂げたのだろうかと疑問が湧いてしまう。事務所はなんとか回っている、事務員もいて、依頼もある。でも、だから何だろう?という気持ちに苛まれる。やりがいも誇りもないわけじゃない。ただ、何かがずっと欠けている。それが何か、自分でもわかっていないまま日々が過ぎていく。

毎日机には山積みの書類とため息

書類の山とため息の数は、比例して増えていく。午前中に片付けようと思った案件が午後に持ち越され、午後にやろうと思っていた仕事は夜へ。結局、翌日へ持ち越し。そんな日々がもう何年も続いている。ひとりでやっていた頃は、全部自分の責任と割り切れていた。でも、今は事務員もいるから、なんとなく体裁も気になって、無理して「できるフリ」をしてしまう。現実は、紙一枚の補正に一時間かかって、ただただ疲弊するばかりだ。

朝のルーティンがすでに崩壊している

一応、開業当初は「朝6時起きで30分散歩、その後コーヒー飲んで事務所へ」という健康的なルーティンを作っていた。でも今はというと、目覚ましを3回止めてギリギリに起き、コンビニで買ったパンをくわえて出勤する日々。体も重いし、寝起きの顔を鏡で見るたびにため息が出る。朝からこんな調子じゃ、集中力も出るわけがない。自分にガッカリする毎日が始まる。

仕事は山積みなのに生活は崩れていく

仕事はある、ありがたいことに。相談も来るし、登記も定期的に動く。なのに、なぜか生活がまったく整わない。冷蔵庫にはいつ買ったかわからない食材、洗濯物は山積み。片付ける気力がわかず、結局休みの日も布団の中で過ごす。生活が乱れると、仕事にもじわじわと影響が出てきて、効率も落ちる。負のスパイラルに入った自分を見て、「これが士業かよ」と内心ツッコむ自分がいる。

「司法書士=堅実」は幻想なのか

世間から見た「士業」は、安定、信頼、堅実、というイメージがある。でもそれは外から見た話。中の人間からすれば、そんな幻想に自分が一番苦しんでいる気がする。何かにつけて「士業なんだからちゃんとしてるんでしょ?」と期待される。そんなに完璧な人間じゃない。むしろ、人間らしくダメな部分の方が多い。それを隠しながら仕事するのがしんどいのだ。

お客様にはちゃんとしてる顔をするけれど

相談者の前では、誠実に、冷静に、プロフェッショナルであろうとする。でも本音を言えば、昨日も寝不足だし、最近ずっと肩が痛いし、プライベートでは誰にも頼れない日々が続いている。そんな状況で「先生、やっぱり士業の人ってすごいですね」と言われると、何とも言えない虚しさがこみ上げてくる。すごくなんてない。ただ、必死なだけなのに。

口座残高と冷蔵庫の中身がリンクしている

忙しいのにお金が残らない、というのが一番の悩みかもしれない。決して贅沢しているわけじゃない。飲みにも行かないし、旅行にも行かない。なのに、毎月末には口座を見て冷や汗をかく。冷蔵庫の中にあるのは卵と納豆、あと賞味期限切れの何か。気づけば自分の生活レベルが、学生時代と大差ない状態に戻っている。これでいいのか、自分。

恋愛も結婚も「そのうち」と言って早10年

周囲の友人は次々に家庭を持ち、子どもの話題をLINEでやり取りしている中、こちらは「また独り飯か」と思いながら冷えた惣菜をつつく夜。司法書士という仕事に全力投球していたら、気づけば恋愛のスイッチすら入らなくなっていた。気づけば「そのうち」が10年経っていた。

なぜか誰にも好かれないのが地味に辛い

別にモテたいわけじゃない。ただ、誰かと心通わせる瞬間がほしいだけ。でも現実は、休日に話す相手がいないし、夜になると妙に孤独を感じる。優しいとはよく言われるけれど、それ止まり。優しいだけじゃ恋愛対象にはならないんだなと痛感する。何かが足りないのだろうけど、それが何かが分からないまま、またひとり夜が更けていく。

元野球部でも肩書きじゃモテない

学生時代は、野球部だったというだけでちやほやされた。でも今は違う。「司法書士」って肩書きがあるにもかかわらず、出会いもないし、会話も弾まない。むしろ肩書きで構えられてしまうことの方が多い。「きっと固い人なんでしょ?」と言われて、何も言えずに終わる。中身はただの普通の男なのに。

「士業はモテる」は都市伝説だった

「士業ってモテるんじゃないの?」とよく言われる。でもそれは都市伝説だと思う。実際、仕事が終わるのは遅いし、疲れていて新しい人と会う気力もない。出会いの場に行っても、気づけば仕事の話ばかりしてしまう。気がつけば、相手の目はどこか遠くを見ている。恋愛より仕事に染まりすぎた自分が、情けない。

事務所を守る重さとひとりの夜の軽さ

経営者としての責任感と、ひとりの人間としての弱さ。そのギャップに苦しむ日々が続いている。日中は「代表」として、夜は「誰にも頼られない男」として。そんな二重生活に、心がついていかない。守るものがあるのは幸せなはずなのに、なぜか重さばかり感じてしまう。

誰にも相談できない孤独な経営

経営の悩みは、誰にでも話せるものじゃない。友人にも家族にも、事務員にも。言えば心配させるだけだし、愚痴っても何も変わらない。それなら黙って抱えた方がマシだと、自分に言い聞かせて今日も帰り道を歩く。夜の商店街は妙に静かで、イヤホンから流れる曲がやけに沁みる。

事務員には言えない愚痴が溜まる

事務員さんはよくやってくれている。でも、その分こちらも「ちゃんとしなきゃ」というプレッシャーがある。経営の厳しさも、将来の不安も、本当は話したいけど言えない。だから、深夜にひとりビール片手に天井を見上げながら、小さくため息をつく。それが日常になってしまった。

「社長」と呼ばれるけど中身は弱いまま

たまに「社長さん」と呼ばれるたびに、胸がざわつく。自分はそんなに立派な人間じゃないし、社長なんて柄でもない。でも肩書きがそうさせてしまう。中身は不安だらけで、決断ひとつにも時間がかかる小心者。強く見せることで精一杯なのが、今の自分なのだ。

人と関わる仕事なのに人と疎遠になる

司法書士の仕事は、常に誰かの人生に関わる仕事だ。登記、相続、相談、どれも人と人の間に立つ仕事。なのに、不思議と自分自身は誰とも深くつながっていない。人の話は聞けるのに、自分のことは誰にも話せない。その矛盾に、時折むなしくなる。

人の人生を扱うのに自分の人生は放置中

他人の相続には細心の注意を払うのに、自分の生活設計はボロボロだ。老後の準備なんて手つかずだし、貯金も心もとない。人にアドバイスはするけれど、自分の人生には無関心。まるで壊れかけた車を運転してるような毎日。それでも止まれないのが、悲しいところだ。

「いつか余裕ができたら」は永遠に来ない

「もう少し余裕ができたら」「落ち着いたら休もう」そう言いながら何年経っただろう。余裕なんて、待っていても来ない。自分から作らない限り、永遠に先送りになる。でもその一歩が、なかなか踏み出せない。現状維持に甘えているつもりはないけれど、変える勇気も足りない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。