依頼は夕方五時を過ぎてからやってくる
雨粒が事務所の窓ガラスを叩く音が響く頃、古びたスーツ姿の男が戸を開けた。
「こんな時間に」と頭を下げながら、机に一冊の登記簿謄本を差し出してきた。
その紙面には、昭和の終わりごろの筆跡で、ある旧家の土地の移転登記が記されていた。
旧家の登記簿に異変あり
男の話によれば、最近その土地に買い手がついたが、法務局で「所有権が空白になっている」と指摘されたという。
登記簿には確かに「相続」と「譲渡」の間に不自然な空白がある。
しかも、相続人とされていた人物はすでに他界していた。
サトウさんは既に気づいていた
「これ、おかしいですよね。地番が昔のままになってるし、附属建物の記載がない」
冷静にファイルをめくるサトウさんの目は、まるで金田一少年のようだった。
ぼくはといえば、夕方のコーヒーをすすりながら「あれ、これってどこがおかしいんだっけ……」と首をかしげるばかりだった。
古い地番に仕掛けられた罠
確認すると、地番の「二番地」は、昭和五十二年の区画整理で「二番二」に変わっていた。
ところが登記簿には旧地番のままの記載が混じっており、これが所有権の移転手続きに影を落としていた。
どうやら、誰かがわざと古い情報を使って書類を作っていたらしい。
登記申請書の落とし穴
依頼人が以前に提出した登記申請書を確認すると、添付された印鑑証明の日付が、なんと申請日よりも一週間後だった。
「これ、未来から来た証明書ですね」とサトウさんが皮肉を飛ばす。
ぼくはやっと、サザエさんのマスオさんばりに「あれれ~、これは変だぞ~」と呟いた。
司法書士会の先輩からの忠告
「シンドウくん、それはたぶん、昔の相続を偽装して、誰かが土地を奪おうとしてるな」
先輩司法書士のイシイさんは電話口でぼそりと言った。
「旧地番を使って移転登記ができるって思ってる奴、まだいるんだよ。困ったもんだ」
閉ざされた権利証明書の意味
依頼人が持参した「権利証」は、紙質も古くフォントも旧式だった。
しかし、法務局の履歴にはその文書の提出記録がない。つまり、それは……偽物。
サトウさんが指摘するより前に気づきたかったが、ぼくの頭は雨音に負けていた。
現地調査という名の密室突入
週末、ぼくとサトウさんは問題の物件に赴いた。
古びた門扉を押し開け、玄関に入った瞬間、鍵が閉まった音がした。
「密室トリック、って感じですね」とサトウさん。やれやれ、、、本当に閉じ込められてしまった。
なぜ被害者は施錠を
中にいたのは、依頼人の兄と名乗る男だった。
彼は「俺の土地だ。あいつは相続放棄して出ていったくせに」と怒鳴った。
「だけど、あなたが登記を偽装したら逆にあなたが罪に問われますよ」と告げると、男は黙り込んだ。
カギを握るのは印鑑証明だった
依頼人の印鑑証明は偽造されていたが、実印登録番号の照合でそれが判明した。
サトウさんがこっそり市役所に問い合わせてくれたおかげだ。
「シンドウさん、たまには自分で調べてみてくださいよ」そう言われ、耳が痛かった。
サトウさんの冷たい推理
「この密室に必要だったのは、物理的な鍵ではなく、心理的な施錠なんですよ」
サトウさんは小声でそう言った。兄は弟の弱みを知っていた。だからこそ、偽装に踏み切れたのだ。
「優しさが仇になるって、あるんですね」と彼女は吐き捨てた。
やれやれとため息をつきながら
ぼくは玄関の鍵を開けて、ようやく外の空気を吸った。
サトウさんは既に車に戻り、スマホで何やら調べている。
やれやれ、、、今日は珈琲が苦い気がする。
動き出す犯人の第二手
後日、別の不動産でも同様の偽造申請が見つかった。
例の兄は登記簿の盲点を突いて、複数の土地を狙っていたのだ。
しかし、それも今ではすべて明るみに出ている。
シンドウついに気づく
事件の本質は、登記の不備ではなく、家族間の信頼の崩壊だった。
ぼくは登記簿を閉じながら、静かにそう思った。
人の心は、登記簿よりもずっと複雑で読みづらい。
密室の真相と登記簿の秘密
密室は物理的なものではなかった。登記という制度を盾にして、人が人を閉じ込める構図こそが、真の密室だった。
そしてその鍵を開けるには、法律の知識だけでなく、人間を信じる力が必要なのだ。
サトウさんにはそのどちらも備わっている。ぼく? まあ、少しは頑張ってるよ。
登記簿が静かに語る結末
登記簿は黙っている。だがその沈黙の中に、真実が詰まっている。
僕ら司法書士の仕事は、そこに耳を澄ますことだ。
さて、次の依頼は……もうすぐ五時になる。