夜中に流れる恋愛ドラマが刺さるちょっとしんどい夜に思うこと

夜中に流れる恋愛ドラマが刺さるちょっとしんどい夜に思うこと

恋愛ドラマが胸に刺さる夜にふと立ち止まる

夜中にふとテレビをつけると、流れていたのは甘ったるい恋愛ドラマ。ふだんなら興味も示さないはずなのに、その日はなぜか目が離せなかった。仕事終わりの疲れた体に、妙に沁みてきたセリフ。「好きになってもいいですか?」という台詞が、妙にリアルに響いたのだ。司法書士という職業は淡々とした事務処理の連続で、感情に触れることはほとんどない。だからこそ、そういった感情のやりとりに飢えていたのかもしれない。ふと、自分はこんなふうに誰かと向き合ったことが最近あっただろうかと思った。

感情移入しすぎる自分に少し引く

ドラマを観ながら「この展開、さすがに都合良すぎるだろう」と突っ込みを入れる自分がいる一方で、その裏でじんわり涙ぐんでいる自分にも気づく。感情移入してしまっている自分に、正直驚いた。こういうのはもっと若い女性が見るものだと思っていた。でもよく考えたら、自分の人生に「誰かを想って涙する」みたいな要素なんて、もう何年も登場していない。感情をどこかに置き忘れたまま、日々をこなすだけの生活に慣れすぎてしまったのだ。

こんな展開現実にはないとわかっていても

恋愛ドラマの中では、すれ違っていた二人が偶然にも再会し、たった一言で全てがうまくいく。そんなの現実にあるわけない、と思いながらも、心のどこかでそれを「いいな」と思っている自分がいる。自分の生活では、偶然の再会どころか、人と目を合わせる機会すら減っている。登記簿に書かれた文字とパソコンの画面と向き合う日々。誰かとすれ違ったとしても、それが次に繋がることはほとんどない。わかっているのに、信じたくなる。それがちょっとしんどい。

それでも心が反応してしまうのはなぜだろう

ふとした瞬間、ドラマのワンシーンに胸が熱くなる。それは「まだどこかで誰かと繋がりたい」と願っている証拠なのかもしれない。仕事は大事だし、責任もある。だけど、心のどこかでは、誰かに「今日も頑張ったね」と言ってほしい。たったそれだけの言葉が、どれだけ救いになるかを知っているから。もしかしたら、恋愛ドラマを観て泣いたのは、あの登記が終わらなかったせいじゃなくて、自分が寂しかったからかもしれない。

ドラマの世界と現実の自分との距離

ドラマの主人公はおしゃれな職業で、美男美女ばかり。こちらは朝から地味なスーツで法務局と銀行を往復し、夕方には事務所で一人、郵便の束を前に溜息をついている。なんなんだろうな、この差は。あまりに遠すぎて、笑えてくる。自分の生活にはスポットライトもBGMもないけど、なぜか静かにドラマを観ているこの時間だけは、少しだけ心が温かい気がするのだ。

司法書士としての毎日にはロマンスがない

登記書類の準備、顧客との打ち合わせ、相続の相談、そして終わらないメール対応。どこにロマンスを差し込めというのか。何より「時間がない」のが一番のネックだ。そもそも誰かと知り合う場にすら出られていない。もし誰かと恋愛が始まるとしたら、それはもう奇跡に近い確率だろう。たまにお客さんに「先生、お若いのに独身なんですね」と言われるけど、それが逆に胸に刺さることもある。

仕事と生活に追われて感情を置き去りにしていた

思い返してみれば、ここ数年、自分の感情と正面から向き合ったことがなかった。喜怒哀楽が淡々とした日常に溶け込み、どこかへ消えていった。怒ることも、泣くことも、嬉しくてはしゃぐこともなかった。そりゃあ、ドラマの一言が刺さるはずだ。感情に飢えていたんだ。まるで、自分という人間を生きていないような感覚。そう思ったとき、ドラマの世界が少しだけまぶしく見えた。

一人で観る恋愛ドラマがこんなに効くとは思わなかった

恋愛ドラマってこんなに人を動かすのかと、自分でも驚いている。正直に言えば、恥ずかしさもある。でも、誰かに見られているわけでもないし、たまにはこんな夜があってもいい。恋愛ドラマを観て自分の感情に気づけたことが、ちょっとだけありがたかった。

事務所に残る静けさとテレビの音だけ

夜遅く、事務所に一人で残って仕事を片付けていると、テレビの音がなんとなく空間を埋めてくれる。無音の中では、自分の孤独が浮き彫りになるからだろう。テレビから流れるドラマのセリフが、まるで誰かと話しているような錯覚すら覚える。なんでこんな生活になったんだろうと考える夜もある。好きで選んだはずの道なのに、最近はちょっとだけ迷子だ。

誰にも言えない寂しさと向き合う時間

寂しいって言葉、簡単に言えそうで言えない。でも正直、誰かと一緒に夜を過ごせたらどれだけ救われるだろうと思うことはある。事務員の子は結婚して子どももいる。自分の周りの友人もどんどん家族を持ち、次第に疎遠になっていった。寂しさを口にする相手すらいないという現実に、もう慣れてしまった。

優しさより愚痴の方が多くなる夜

本当はもっと優しい言葉をかけたいし、感謝の気持ちも伝えたい。でも、疲れや苛立ちの方が先に出てしまう。事務員にもつい強い口調になることがある。反省はするけど、次の日にはまた繰り返している。そんな自分に嫌気が差す夜に、恋愛ドラマの登場人物たちのやさしさが胸にしみる。自分はどうしてこうなってしまったんだろう。

ふと野球部時代を思い出す夜

グラウンドで汗を流していたあの頃。仲間と笑い合いながら、白球を追いかけていた。恋愛なんて意識する暇もなかったけど、今よりずっと心が自由だった気がする。あの頃の自分はどこへ行ったんだろう。何か大事なものを、いつの間にか置き忘れてきた気がしてならない。

あの頃は恋愛ドラマなんて見なかった

青春ドラマすら鼻で笑っていたのに、今では静かに見入ってしまっている。野球部の仲間たちは今どうしているだろう。みんな家族がいて、子どもの運動会や学芸会に行っているのだろうか。ふと、誰とも共有できない日常が、こんなにも心を疲れさせていたのかもしれないと気づく。

仲間がいて夢があって汗があった

勝つためだけに必死だったあの頃は、今思えば贅沢だった。仲間とぶつかることも多かったけど、心から笑えた。今は一人で決断し、一人で責任を背負って、一人で夜を越える。肩を叩いて「大丈夫だ」と言ってくれる仲間がいれば、今の生活も少し違っていたかもしれない。

今はもう誰かと一緒にいる時間が希少だ

仕事中は常に「対人」であるにも関わらず、心はずっと「対自分」だ。人と話していても、どこか距離がある。誰かと心から笑い合ったのは、いつだったか思い出せない。人肌が恋しいという感情を、自分が抱くとは思わなかったけれど、夜中のドラマがそれを思い出させてくれた。

共感してくれる誰かがいるだけで救われる

誰かにこの気持ちを話すことはないけど、こうして文章にすることで少しだけ救われている。もしかしたら、この文章を読んで「わかるよ」と思ってくれる誰かがいるかもしれない。そんな人がひとりでもいれば、今日の自分はちょっと報われる。

独身であることの虚しさを笑いに変えたい

独身をネタにすることもあるけど、本音を言えばやっぱり寂しい。家に帰って「おかえり」と言ってくれる誰かがいたら、それだけで全然違うのにと思うことがある。でも、それを笑いに変えられる自分でいたい。せめてコラムでは、本音をさらけ出していきたいと思う。

司法書士という職業のリアルをもっと話してもいい

かっこいい仕事に見えるかもしれないけど、実際は地味で孤独で責任ばかり。誰かと感情を交わす瞬間なんてほとんどない。そんな職業のリアルを、もっと誰かと共有してもいいと思えてきた。誰かが「自分だけじゃなかったんだ」と思ってくれたら、それで十分だ。

だからこそこのコラムを書いている

誰かとつながるために、今こうして夜中に文章を書いている。恋愛ドラマがきっかけだったけど、それが今の自分の寂しさや弱さに気づかせてくれた。こんなふうに自分の気持ちを整理できたのも、ドラマのおかげかもしれない。もしかしたら、今の自分が一番人間らしいのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。