何年も後にやってくるあの恐怖

何年も後にやってくるあの恐怖

何年も後にやってくるあの恐怖

静かに忍び寄る業務ミスという亡霊

司法書士の仕事は、今日の成果が明日すぐに出るわけじゃない。むしろ何年か経ってから、あのときの処理が正しかったかどうか問われることもある。だからこそ、私たちは常に「数年後の自分」に責任を残している。だが、それが恐怖となって返ってくる日が、必ずある。ある日突然、見知らぬ番号からの電話で「◯年前の登記について確認したいのですが」と言われたときの、あの心拍の上がり方は今でも忘れられない。

「あれって大丈夫だったっけ」が突然やってくる日

過去の記憶というのは案外薄れるのが早い。「確かに処理したはず…いや、したよな?」という曖昧な自信しか残っていないことがある。特に、忙しさのピークだった時期の案件は、自分でも処理の記憶がぼんやりしていて、正直自信が持てない。「あれって大丈夫だったっけ」という思いが一気に襲ってくる。冷蔵庫の奥に放置された期限切れのヨーグルトを発見したときのような、何とも言えない不安感。そんな感覚に似ている。

書類の隅にあった小さな見落としが大問題に

あるとき、抵当権設定登記の案件で、住所表記の「番地」が全角と半角で食い違っていたことがあった。当時は「まあ、支障ないか」と判断して処理したが、3年後、抵当権抹消の段階で金融機関から「登記簿上の表記が違う」と指摘され、大わらわになった。小さな表記の違いが、書類全体をやり直す引き金になる。それが積もれば、信用も失う。たった一文字の違いが、将来の自分を責め立てるのだ。

原因追及の電話に冷や汗が止まらない午後

その電話は午後2時過ぎだった。「御社で処理された登記について確認したい」と丁寧ながらも鋭いトーン。一気に心拍数が上がる。原因追及モードに入った依頼者からの質問に答えるうちに、どんどん追い詰められていく感じがして、頭の中が真っ白になる。過去の自分の判断が正しかったのか、あやふやな記憶と格闘する時間。あの午後の冷や汗の量は、真夏の法務局より多かったと思う。

忙しさの中でこぼれ落ちる確認作業

地方の事務所で司法書士をやっていると、華やかさとは無縁の日々。小さな案件でもひとつひとつ丁寧にやるしかないが、忙しさにかまけて「後で確認しよう」が積もっていく。そうやって見落としたミスが、数年後に牙をむく。特に繁忙期は、確認という工程がどこかへ吹き飛んでしまうことがある。

忙しい時期に限って起きる「見たつもり」

12月の登記ラッシュ、年明けの相続相談、3月の決算対応…忙しい時期は目の前の仕事をこなすことで精一杯。「見たつもり」「確認したつもり」で次の処理へと進んでしまうことがある。でも、「つもり」は仕事じゃない。後になって見返すと、自分の字が汚くて読めない申請書のコピーや、不明瞭なメモが出てくる。自分の過去の仕事に、突っ込みを入れたくなる瞬間がある。

事務員も疲弊しているからミスも二人三脚

一人で事務所を切り盛りしているとはいえ、事務員さんの力は大きい。でも、事務員だって人間だし、疲れているときは判断も鈍る。私が確認を任せすぎていた時期に、重要な資料のコピーが抜けていたことがあった。そのとき、私も彼女も互いに責任を感じて言葉が出なかった。ミスは個人の問題じゃなく、チーム全体の空気から生まれることもある。

「任せてたつもり」と「聞いてない」が衝突する瞬間

口頭での指示は便利だけれど、記録に残らない。だからこそ、後から「言った」「言ってない」の水掛け論が始まる。私が「お願いしてたよね」と言えば、事務員は「聞いてません」と返す。どちらが悪いというより、書面に残していなかった私のミスだと痛感した。些細なミスほど、コミュニケーションのずれから起こる。

仕事の記憶より弁当のおかずの記憶の方が鮮明な日々

正直言って、数年前の登記内容より、その日の弁当に何が入ってたかの方がよく覚えている。疲れた日々の中では、脳のキャパシティなんてたかが知れてる。そんな状態で、重要な確認作業が抜けるのも無理はない。でも言い訳はできない。ミスはミスとして、数年後に牙をむいてくるのだ。

ミスが出た時の孤独さと無力感

ミスが発覚した瞬間、誰にも言えない孤独感が押し寄せる。特に、一人事務所の司法書士にとっては、それを共有できる相手がいない。責任もプレッシャーも、全部自分に跳ね返ってくる。

誰にも相談できず一人で抱える夜

夜遅く、ミスに気づいたときの絶望感。事務所は静まり返り、パソコンの冷却ファンだけが音を立てている。誰にも相談できないまま、Googleで類似事例を探し続ける。解決策が見つからないまま、空が白んでくるときもある。夜は長いけれど、救いの光はなかなか見えてこない。

頭の中で何度も反省会を開く無限ループ

やってしまったことは戻せない。それはわかっているのに、なぜか頭の中では過去に戻って「こうしておけばよかった」と何度も再現してしまう。朝のコーヒーを淹れる手が震え、食欲もなくなる。誰にも責められていないのに、自分が自分を最も厳しく責めてしまう。

自分を責めすぎて体調を崩した経験

ある時、本当に体調を崩したことがあった。熱も出ていないのに体が重くて起き上がれない。病院で「過労とストレス」と言われて、やっと少しだけ自分を許せた気がした。あのまま無理してたら、今ごろ事務所ごと潰していたかもしれない。

「辞めたら楽になるかな」とつぶやいた夜

弱音なんて普段は言わないけど、その夜は本気で考えた。「辞めたら楽になるんじゃないか」と。誰も待ってないし、背負うものも減る。でも、机の上に残された依頼者の書類を見て、やっぱり自分の仕事を放り出すわけにはいかないと思い直した。結局、やめられないんだ。

それでも前に進むための自衛策

ミスをゼロにすることは不可能かもしれない。でも、ミスを減らす努力はできる。未来の自分を守るために、記録や習慣、そして周囲との関係を見直すしかない。

「未来の自分」を助けるための記録習慣

小さなメモでも、残しておくことの大切さを痛感している。昔は面倒で避けていた業務記録も、今では日々ノートに残している。自分への「伝言」を毎日書くイメージ。忘れっぽい自分を前提にして、仕事の設計をするようになった。

相談できる関係性を作ることの大切さ

一人事務所とはいえ、同業の知り合いや信頼できる士業の仲間がいるだけで心の支えになる。勇気を出して失敗談を共有したことで、逆に相談してもらえるようになった。ミスは隠すより、学びとして循環させた方が、自分も周囲も救われる。

ミスを責めない文化は自分から作る

事務員にも自分にも、ミスを責めるよりも「どうすれば繰り返さないか」を考える空気を作ることが大事だと気づいた。怒るよりも一緒に反省する方が、次につながる。完璧じゃない自分を受け入れられたとき、仕事に少しだけ余裕が生まれた。

一人事務所でも「報告書」を書く意味

社内報告なんて無縁の世界だけど、あえて自分用の「週報」を書いている。1週間で気づいたこと、うまくいかなかったこと、確認が甘かったことを書き出す。それを読み返すことで、自分のクセやミスの傾向が見えてくる。相手がいなくても、自分に報告する。それが今の自衛策だ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。