エンディングノートに自分の名前を書いてしまった日

エンディングノートに自分の名前を書いてしまった日

自分の名前を書く欄に手が止まった

エンディングノートという言葉を初めて聞いたのは、確か母が倒れたときだった。「自分のことは自分で整理しておきたい」と言って、病院のベッドの上でペンを握っていた母を思い出す。そんな姿を見て、「まだ早いだろ」と笑っていた自分が、十数年経ってそのノートを自分のために広げている。司法書士という職業柄、人の人生の終わりに立ち会うことは少なくないけれど、いざ自分の名前を書く欄になると、不思議と手が止まる。これは誰に見せるものなのか、何のために書くのか、そんな問いが頭をよぎった。

まだ先の話だと思っていた

正直、エンディングノートなんて定年近くなってからでいいとばかり思っていた。45歳、独身、モテない。友人付き合いも減り、最近ではLINEの通知も仕事関係しか鳴らない。だからこそ、ある日突然、誰にも気づかれずに終わってしまうんじゃないかという感覚がちらついた。若いころのように「死ぬのはまだまだ先」なんて思い込むには、いろんなことを見すぎてしまったのかもしれない。依頼人のエンディングを処理するたび、自分もその「処理される側」になる未来を考えるようになった。

親の介護と相続で現実に引き戻された

実際のきっかけは父の介護と、その後の相続手続きだった。自分が専門職であるはずなのに、いざ家族となると話は別だ。兄弟とは気まずくなるし、事務所の業務も滞った。「もっと前に話し合っておけばよかった」と何度思ったことか。そのとき、母が書いていたあのエンディングノートが出てきて、少しだけ救われた気がした。そんな経験があるからこそ、自分も“備えておく側”にまわるべきなのかもしれないと、ようやく思えた。

気づけば自分が書く側になっていた

人の死後をサポートする側だったはずの自分が、今では「誰に知らせるか」「どの口座を閉じるか」なんてことをメモするようになった。慣れた手つきでページをめくりながら、ふと「これは遺族が読むんだ」と気づく。けれど、自分にはその“遺族”が誰なのか、ピンとこない。事務員の○○さんに迷惑をかけるわけにもいかないし。名前を書くという行為が、こんなにも孤独を突きつけるとは、思っていなかった。

仕事に追われて気づかなかった老い

毎日忙しい。登記の確認、面談の段取り、役所とのやりとり、郵送作業…こなしているうちはまだ気が張っているが、ふとした瞬間、体の疲れが抜けないことに気づく。元野球部だった頃は、夜中まで練習しても翌朝ケロッとしていたのに、今では椅子から立ち上がるのに「よいしょ」と声が出る。自分の老いに気づいたとき、「ああ、これはもう折り返してるんだな」と妙に納得してしまった。

いつの間にか誕生日を誰も祝わなくなった

今年の誕生日、誰からもおめでとうと言われなかった。いや、正確には、Googleカレンダーのリマインダーがひとつ鳴っただけだ。昔は親が電話をくれていたけど、それも今はもうない。職場で事務員さんに言われるのが最後の砦だったが、去年あたりからスルーされている。誕生日が特別でなくなった瞬間、時間の感覚が一気に曖昧になった気がする。そんなある夜、エンディングノートの表紙を見て、「ああ、これを書く年齢になったんだ」と思わされた。

事務員との会話だけで一日が終わる

地方の小さな事務所で、雇っている事務員は一人。彼女とは業務連絡しか話さない。沈黙が苦にならないのはありがたいけれど、気づけば今日一日、誰とも世間話をしていない日もある。コンビニのレジの「温めますか?」が唯一の会話だったりする。こんな生活を続けていて、急に倒れたとしても、誰が気づくだろう。そう思うと、エンディングノートは「気づいてもらうための道具」でもあるのかもしれない。

机の引き出しに入れたままのエンディングノート

実はまだ、書き終えていない。いや、正確には半分も進んでいない。名前、住所、生年月日を書いたところで止まってしまった。書こうとするたびに「誰のために?」という声が頭の中で響く。でも、それでも書き進めないといけない気がしている。たとえ誰かが読まなくても、自分が“どうありたかったか”の記録として残す意味はあるんじゃないか。そう自分に言い聞かせている。

独身司法書士のリアルな将来設計

周囲の同業者は家庭を持っている人が多い。子どもの進学、親の介護、老後の資金。会話の端々に「家族」がにじむ。でも自分には、その要素がごっそり抜け落ちている。だからこそ、自分の将来設計は「他人に迷惑をかけない」が第一基準になってしまう。エンディングノートもその延長線上にある。何もないようで、何かは残る。そんな微かな希望にしがみついている。

親戚付き合いは希薄 他人の死後事務ばかり

いざという時、頼れる身内がいないという現実。司法書士として、たくさんの死後事務に関わってきた。けれど、他人のそれをどれだけ見ていても、自分の番になるとやっぱり戸惑う。死後事務委任契約や任意後見の仕組みをよく知っているからこそ、不安も膨らむ。「この人で本当にいいのか?」「途中で何かあったら?」と疑問が尽きない。法律の知識だけでは、自分の老いも死も片付かない。

自分の最期を誰が引き受けてくれるのか

病院、施設、火葬、納骨。それぞれに人の手が必要になる。けれど、その「誰か」を頼れる人間関係が自分には乏しい。成年後見制度を利用すればいい、なんて軽くは言えない。信頼とは、契約書だけじゃ成り立たないから。最近では、顔も知らないNPOに任せるケースもあるけれど、それはそれで寂しい話だ。自分が扱ってきた書類の一つ一つが、今はなんだか冷たく感じる。

元野球部のプライドと今の現実

高校時代は坊主頭で毎日泥だらけだった。甲子園は夢のまま終わったけれど、あの頃は「チームで戦ってる」という感覚があった。今はどうだろう。一人でパソコンに向かい、ひたすら書類を整える日々。正直、打席に立っている感覚もなければ、誰かに応援されている感覚もない。静かな闘いが続く中、プライドだけが取り残されていくようで、ふとしたときに「情けないな」と呟いてしまう。

体力も気力も昔とは違う

最近、肩こりがひどい。夜中に何度も目が覚める。書類の字が霞んで、老眼かもしれないと思った。そんな自分を、昔の自分が見たらどう思うだろうか。元野球部としての体力は、もう跡形もない。でも、仕事はやめられない。生活のためでもあるし、何より「自分が必要とされる唯一の場所」だから。そういう意味でも、エンディングノートは「仕事の終わり方」でもあるのかもしれない。

がむしゃらが通用しない仕事の世界

若いころは、徹夜でも何でもやっていた。根性でなんとかなると思っていた。でも今は違う。知識も、段取りも、人との関係もすべてが必要で、力技では通用しない。エンディングノートのように「整える」という作業が、人生の終盤では特に重要になる。がむしゃらではなく、丁寧に、静かに。そうやって終わらせる準備をすることもまた、大人の責任なのかもしれない。

それでもまだ書けなかった欄

エンディングノートを開くたび、どうしても書けない欄がある。葬儀の希望、遺言の有無、財産の分配…。書こうとしては手が止まり、また閉じてしまう。もしかしたら、自分は「生きるために」これを書いているのではなく、「誰かに見つけてほしい」気持ちで書いているのかもしれない。そんな弱さを隠さずにいられるノートだからこそ、手が震えるのだと思う。

連絡先に書く人が思い浮かばない

「緊急連絡先」の欄で手が止まった。兄弟とも疎遠、友人も減り、恋人もいない。事務員に書くわけにもいかないし、行政に頼るにも限界がある。こんなにも人との距離が開いていたことに、欄を前にして気づかされた。誰かに頼りたいけれど、誰も浮かばない。そんな孤独に、自分でも驚いた。

何も残せない不安とほんの少しの期待

たとえ財産がなくても、人生を記した紙切れが誰かに届くかもしれない。そのとき、読んだ誰かが「この人も頑張ってたんだな」と思ってくれたら、それだけで報われる気がする。何も残せないと思っていたけれど、このノートだけは、自分の記録として存在してくれる。期待なんて言えるほど立派なものじゃない。でも、誰かに届くかもしれない。そんなかすかな思いを抱えて、また少しだけページを進めた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。