孤独な戦場に立ち続けるということ
「先生」と呼ばれて、笑顔で対応していても、その内側で何度も心が折れそうになる。司法書士という仕事は、社会的には「頼れる存在」と見られがちだが、実際には孤独との戦いだ。相談できる相手が身近にいない。専門性の高さが逆に、誰にも愚痴一つ言えない空気を作ってしまう。笑っていても、背負っているものは重い。立ち止まる暇もなく、走り続けるしかない日々。そんなとき、「自分はなんでこの仕事を選んだのだろう」と考える。
「先生」と呼ばれても、誰も助けてくれない
正直なところ、「先生」という呼ばれ方には未だに違和感がある。確かに資格を持っていて、仕事として責任あることをしている。でも、その呼び名が重荷になることもある。相談を受け、解決し、請求書を送る。そこに感謝や労いがある日は稀で、「ちゃんとやって当然」と見なされることがほとんど。何かあれば責められ、うまくいっても当たり前。そんな現実の中で、「助けて」と言えない日々が続く。
信頼されるほど、孤独になる矛盾
一度信頼を得ると、逆に「任せっきり」にされてしまう。依頼者は当然のようにこちらに全部を預けてくる。「お任せします」と言われることは光栄なはずなのに、それがプレッシャーに変わる。何かあっても「先生が何とかしてくれるでしょう」と言われ、逃げ場がなくなる。そんな中で自分の気持ちを吐き出す場所がない。信頼されているはずなのに、どんどん孤独が増していく。それがこの仕事の矛盾の一つだ。
「わかってもらえない」の繰り返しが心をすり減らす
たとえミスなく完了しても、「無事終わって当然」としか思われない。説明しても伝わらない、努力しても報われない。そんな「わかってもらえなさ」が蓄積していく。誰かに理解してもらいたいと思っても、言葉にするのが怖い。愚痴を言っても「先生のくせに」と思われるのではないか。そう思うと、ますます口を閉ざすようになる。心がすり減っているのに、誰も気づかないまま日常が過ぎていく。
一人じゃ回らない、でも人は雇えない
現実問題として、事務所の仕事量は明らかに「一人では無理な」水準に達している。でも、新たに人を雇うには資金的にも精神的にもハードルが高い。今いる事務員一人に頼りきりで、ミスが出れば「やっぱり自分が見なければ」となる。結果、自分が抱え込み、負担は増えるばかり。「一人じゃ無理」なのに、「一人でなんとかしなきゃ」と思ってしまう。この矛盾に、気づいていないふりをしている自分がいる。
事務員1人で足りるはずがない現実
小さな事務所では、人件費が重くのしかかる。だからといって、すべてを抱えるのは無理がある。事務員にはできない専門判断を、どんなに忙しくてもこちらがやるしかない。締切が重なれば夜中まで仕事。依頼者からの問い合わせは休日にも来る。事務員が気を利かせてくれても、それだけで回るほどこの業界は甘くない。補助者の存在はありがたいが、業務の責任はすべてこちらにのしかかってくる。
「お願い」と言えない自分が悪いのか
人に頼るのが苦手だ。「ちょっとこれお願い」と言いたくても、気を使ってしまって結局自分でやる。「これぐらいなら自分で」と繰り返すうちに、どんどん首が回らなくなる。それでも「自分の要領が悪いだけ」と思い込んでしまう。頼ることに罪悪感を持ってしまうのは、たぶん性格の問題。でも、それが結果的に自分を追い詰めている。「お願い」と言う勇気、それが一番必要なのかもしれない。
休めない、教えられない、なのに頼られる
業務が立て込むと、教える時間すら惜しいと感じてしまう。結果、事務員が育たない。でも、任せられないのは自分の責任。休む暇もない中で、教育する気力まで持てないのが本音だ。「もっと信頼して」と言われても、そう簡単にはいかない。判断ミスひとつで信用が吹き飛ぶ仕事だから、つい慎重になってしまう。だからこそ、「一人じゃ無理」なのに、「一人でやった方が早い」となってしまう。
ミスは許されない。でも人間だからミスはする
この仕事で一番怖いのは、たった一つのミスが依頼者の人生を左右してしまうことだ。登記の数字一つ、名前の漢字一文字、それが違うだけでトラブルになる。しかも、たいていは「気づかれない」ミスではなく、「絶対に見つかる」ミスだ。人間だから間違う。それはわかっている。でも、「司法書士」という肩書きは、その当たり前の間違いさえ許してはくれない。だからこそ、ひとつの作業にも手が震える。